18-1.新学期





「正臣様、お迎えに上がりました」



 もうすっかり見慣れた黒塗りの車。運転席から現れた赤髪の女性がいつも通り、よどみのない所作しょさで頭を下げてくる。



「おはようございます、紅緒べにおさん」



 時刻は七時頃。紅緒と初めて出会った頃から季節は進み、気だるかった暑さは少し鳴りを潜め、秋の装いを感じさせる。



「ていうか毎回言ってますけど、そうやってオレに頭下げるの本当に辞めてくれませんか?」



 正臣の家はいたって普通の閑静かんせいな住宅街に建っている。


 ただでさえ異様な存在感を放つピカピカの外車から、これまた異質な真っ赤な髪の黒スーツの女性が降りてきて正臣に頭を下げている。


 当然今日も周りから奇異きいの目を向けられてしまっているわけで。


 だがかたくなに紅緒はその姿勢を崩そうとしない。



「なりません。あなたは早乙女家が認めた方。敬意を払うべき人なのです」



「いや、そうかも知れないですけど......」



「諦めた方がいいですよ。紅緒の性格は短い付き合いの正臣くんでもわかるでしょ?」



 車の窓が下りると同時に笑顔で手を振るエメラルドグリーンの瞳と目が合う。



「おはようございます。正臣くん」



「おはよう。美姫」



「さ、そんな所に突っ立っていないで早く行きましょう。今日は大切な日なんですから」



「おう」



 紅緒が開けてくれたドアから身体を滑り込ませて車に乗り込むと、隣の美姫が顔をしかめめる。



「もうっ、正臣くんネクタイ曲がってます」



「え?」



「全く、身だしなみに関しては正臣くん全然ダメダメなんですから。せっかくお母様に認めてもらったのに、こんなんじゃ足元すくわれちゃいますよ?」



 ぷりぷり怒りながらネクタイを正してくれる美姫にごめん、と謝って彼女のされるがままにされておく。


 夏の連休が明けて早ひと月。


 早乙女財閥の眼鏡にかなった正臣は、毎朝美姫と一緒に早乙女家の車で通学するようになった。


 美姫の家に行ったあの日の翌日から行われた現早乙女財閥総帥である和葉による品定め試験は、覚えることから実践まで課題は多かったものの、なんとか夏の間にクリアし、晴れて認めてもらう事が出来たのだ。


 夏休みは早乙女家に缶詰だった。


 正直、もう和葉のしごきはこりごりだったりする。



「しかし、正臣くんはやっぱり要領がいいんですね。昨日の夜、お父様が正臣くんにすぐにでも仕事手伝って欲しいって興奮気味に話していましたよ」



「マジか! じゃあオレ、和葉さんから解放されるのか!?」



 美姫の父親は比較的朗ほがらかで話しやすい。定期的に褒めてもくれるし、何を求めているかが明確なので一緒に仕事していてやりやすい。


 対して感情変化がとぼしく、何を求めているのかわかりにくい厳しい和葉から離れられるのなら正直かなり嬉しい。


 が、美姫にふるりと首を横に振られてしまう。



「でもお母様が、正臣くんにはまだ教えることがあるからダメだって言ってました」



「......マジか」



「お母様、正臣くんのこと大好きですもん。お父様のお願いでもそう簡単には手放さないと思いますよ」



「え、あれで?」



 和葉から好かれている要素に全く心当たりのない正臣が露骨に嫌な顔をしてしまうと、美姫かクスリと笑う。



「そうですよ。ふふっ。私としては正臣くんがお母様とお父様から引っ張りダコにされるのは嬉しいです。ま、こうなることは最初からわかってたんですけどね」



 鼻息荒く胸を張る美姫が愛おしくなって、ブロンドの髪をくと、ふにゃりと目を細めてくれた。



「すごく得意げだな」



「もちろんです。だって私が好きになった人ですもん」



「そ、そうか......」



 熱っぽい視線。目が合うと、潤んだ瞳が閉じるられる。


 そして突き出されたつやのある瑞々みずみすしい唇に気づき、思わず喉がなってしまう。


 二人の間にある肘掛けに置かれた白い手に自分の物を重ねると、心音が徐々に加速していく。

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