14-1.お泊まりドギマギ




「美姫ちゃーん、お着替え置いとくからねー!」



 廊下の向こうから聞こえた母親のデリカシーのない大声に右手で顔をおおうと、驚くほど熱を持っていることに気がついてさらに恥ずかしさが増してしまう。


 我が家の風呂に、美姫が入っている。


 考えたくないのに、無意識に脳内で勝手に映像を補完しようとしてしまい、考えないように何度も首を左右に振って妄想を追い出す。


 美姫が家に来てからというもの、正直余裕がない。



(美姫は、どうなんだろう......)



 なんと言うか、お嬢様が庶民の家に泊まるなんて抵抗感だらけだろうと思ったのに、美姫は驚くぐらい順応しているようにみえる。


 自分でカップラーメンを作って食べていたし、全然性格の違う櫻子ともなぜか意気投合したようで、さっきまで楽しそうに談笑しながらテレビを見てソファーでくつろいでいたのだから驚きだ。


 なんというか、はっきり言って面白くない。



(こっちはこんなにドキドキしてるっていうのに......)



「あんた、頭抱えて何してんの?」



「なんでもない」



 首を傾げてリビングに戻ってきた櫻子は、

美姫が泊まる為に必要な物をコンビニで調達したついでに買ってきた缶チューハイを手に、どっかりとソファに腰掛けて人を小馬鹿にするような表情を作った。



「嘘つけ。このむっつりスケベ」



「うるせぇ」



「がはは。あ、そういえばお父さん、今日帰ってこないってさ」



「そうなの?」



「なんでもシステムトラブルが見つかったんだって。多分、今日どころかしばらく帰ってこないわよ」



「うわぁ......また?」



 父親はIT系の会社に勤めており、結構偉い役職らしいのだが、勤め先がいわゆるブラック企業というやつで、定期的にヤバい状態に陥ってしばらく家に帰ってこなくなる。


 そんなに辛いなら辞めればいいのに妙に律儀な性格なので、「辞めたら誰が酷い目にあう」の一点張りで、かたくなに辞めようとしない。

 

 そんな不器用な父親を正臣は嫌いではないのだが、そういった報告を受ける度に不憫ふびんに感じてしまう。



「いい正臣、中小IT企業の管理職なんて、人間のやるもんじゃないからね」



「あ、あのぅ......」



 櫻子の妙に重みのある声の後、申し訳なさそうなか細い声が廊下とリビングを繋ぐ扉から聞こえてきた。


 おずおずとした所作しょさで、リビングに入ってきた美姫の姿に正臣は絶句した。


 襟元がだらしなく伸び切ってしまい、寝巻きに降格させたお気に入りの着慣れたTシャツと、ゆったりめのハーフパンツ。


 正臣の寝巻きをなぜか美姫が着用している。



「か、母さん......?」



「あらー? 美姫ちゃん、正臣の着替えの横に私のやつ置いといたでしょ?」



 照れからきているのか、お風呂のせいなのか、顔を真っ赤に上気させた美姫がキョロキョロと視線を泳がせる。



「その......こっちを着てみたくなってしまったと言いますか......」



 観念したようにささいた美姫は、サイズが合わな過ぎて、ブカブカに余ったTシャツのたるみに顔を埋めて顔を隠してしまった。


 ダメだ。本当に頭がおかしくなる。


 破壊力が高すぎる美姫から逃れるように視線を彷徨さまよわせる。


 心臓がおかしくなりそうなくらい脈打って苦しい。


 対して楽しそうなのは櫻子だ。



「あらー。その気持ちわかるわぁ。どお? 好きな人のTシャツは?」



 なんて質問するのだろうか。


 着古きふるした服だ、変な匂いとかしていないか不安に襲われて、彼シャツ姿の美姫に再び視線を戻す。

 


「......はい。正臣くんの香りに包まれて幸せです」



 くんくんっとTシャツの匂いを確かめて、くしゃりと顔をほこらばせる美姫。


 もう、居たたまれなかった。



「......風呂、行ってくる」



「はいはーい。ごゆっくりー」



 リビングから逃げるように正臣は風呂に向かった。


 すれ違った美姫からした、強い石鹸の香りがそんな心臓に追い討ちを掛け、脱衣所に着く前に限界を迎えた正臣は、膝から廊下に崩れ落ちるのだった。

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