9-2.早乙女さんのことは、諦めた方がいいんじゃないかな




 さっきまで浮かれるように脈打っていた心臓の鼓動が、まるで冷や水でもかけられたみたいにぱたりと鳴り止む。



「昨日も言ったよね。人はさ、好きって理由だけじゃ一緒にはいられないって。今の正臣と早乙女さんがまさにそれ」



 凛子の視線から目を逸らせない。



「......ちょっとそんな顔しないでよ。だって事実じゃん。会えばきっと二人とも、不幸になる」



「......なんでだよ」



「だからさっきからあたしも結衣さんも言ってるでしょ!? あの人と正臣じゃ住む世界が違うって!」



 声を荒げた凛子の表情が悲痛そうに歪む。



「大体、早乙女さんが実家に連行されたのだって正臣が原因じゃん」



「特に身に覚えはないけどな」



 苛立ちの感情を含ませて吐き捨てると、「嘘でしょ?」と呟いた凛子が鼻で笑った。



「まあ正臣はバカだから、わからなくても仕方ないか」



「なんだと......」



「だってそうでしょ? 普通、あの付き人の話聞いたらわかるでしょ? 早乙女さんは、将来家を継いで財閥を背負って立つ人。生まれた時からの決定事項なのよ」



 夏休み初日の図書館で、そういえば美姫が言っていたことを思い出す。


 進路に悩む正臣を美姫はうらやましいと言っていた。選択肢があることが羨ましいと。


 正臣が感じている以上に美姫には自由がないのかも知れない。


 生まれた時から決まったレールをただ突き進み続ける。


 脱線する事も止まる事も許されない。


 早乙女財閥の次期総帥という、けわしく厳しい道のりを。



「それをどこの馬の骨とも知れない庶民のあんたが揺るがした。早乙女さんをまどわせた。そんなの、邪魔者扱いされるに決まってるじゃない」



 悲痛な表情。ちょっと頭を冷やして考えればわかるような事を凛子に言わせてしまって、情けなくなる。

 


「身に覚えがない? それぐらい言われなくても気づきなさいよバカ......」



「ごめん......」



「......いや、あたしの方こそごめん。こんな事言われる筋合いなんてないよね。余計なお節介にも程があるってわかってる」



 不安げな表現で上目遣い気味に正臣を見つめる凛子に首を横に振る。


 凛子の言ったことはまぎれもなく正論だ。


 やっぱり、住む世界が違うのだと思う。


 財閥の次期総帥と一般庶民。


 美姫ほどのお嬢様だ。進路どころかひょっとしたら結婚する相手まで決まっている可能性だってある。


 正臣のせいで早乙女財閥という巨大組織が思い描く理想の未来が崩れそうになっている。


 そう考えれば、紅緒べにおが正臣を害虫と呼ぶ理由も理解できる。



「そうだよな......そうなんだけどなぁ......」



 正臣とてバカじゃない。冷静に考えれば美姫に会いに行くという判断がかなりリスキーだと理解している。


 でも、頭でわかってもこの気持ちは抑えられない。


 会いたい。


 会って何をするのか、何を伝えたいのかもわからないけど、とにかく美姫に会って最後に見たあの辛そうな表情を少しでも笑顔に変えてあげたい。


 今はそれしか考えられない。



「......ずるいなぁ、早乙女さん」



 ははっと乾いた笑いを浮かべた凛子の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。



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