掘っ立て小屋 一
『ここがワシの家じゃ』
魔王城から離れた海岸に立つ小さな掘っ立て小屋。
ナイアと俺は皇女たちと異世界人の二人──時庭と木曽谷を伴ってこの小さな隠れ家に戻る。
小屋の前に幌付きの荷馬車が停まると、中から褐色の肌を持つダークエルフのリウと二本の角が生える異形の女性のシビラが迎えに出てきた。
「こんなところに小屋があっただなんて……」
すっかり元気を取り戻した皇女ミル・イル・コレットは思わず声を漏らす。
『リウ、荷馬車に横たわった黒髪の異世界人がおる。其奴は子を宿しておって悪阻で体調を崩してる。薬か何かを与えてやってくれ』
『承知しました』
皇族の女性たち──ノラ皇后、長女のミル皇女、三女のニム皇女は荷馬車から下りて掘っ立て小屋を興味津々に眺めていた。
次女のメル皇女は荷馬車の幌に残って悪阻で苦しむ木曽谷に付き添う。
この掘っ立て小屋に立ち寄ったのは木曽谷の体調を慮ってのこと。
健康状態は良好でありながら、悪阻で体調が芳しくない木曽谷を休ませるためだった。
ナイアの指事でリウは荷馬車の様子を見て様子を確認。
女の細腕では支えきれないと考えたのかリウは荷台から可憐な小顔を出して助けを求める。
『この方を家に入れるのでどなたか手伝ってくれる?』
リウの助けを呼ぶ声に反応を示したのは時庭。
『俺がやります』
荷馬車に乗り込んで木曽谷をお姫様抱っこして荷台から下りると、リウを付き添いで小屋に入った。
リウがどうやって木曽谷の体調を回復するのか見てみたい。
見れば何か覚えられるかもしれない──不思議なことに最近はそんなふうに物事を見始めている。
目で見て、知ろうとすると──探究心が芽生えると沸々と心の奥から直感めいた感覚が沸き起こり、大抵のことは何でもできるようになる。そんな確信があった。
『シビラは食事の用意をしてくれ。リウはニンゲンの女の面倒を見た後に温かい茶をこ奴らに用意してやってくれ』
ほぼ全裸に近い装い──悪魔のような出で立ちの魔人シビラが小屋に入ると、中にいるシビラとリウに言う。
小屋の中から『承知いたしました』という声が聞こえ、ナイアは直ぐに俺たちの傍に戻ってきた。
『寝床はどうしようかのう。ワシやシビラはともかく、リウもクウガも眠るし、ニンゲンたちも寝る必要があろう』
『荷馬車には毛布があって寒さを凌げるので、場所だけでも借りられるなら助かります』
寝場所についての心配をナイアはしたが、木曽谷を小屋に置いてきて、外に出てきたばかりの時庭が答える。
荷馬車には何枚かの毛布があって食糧もそれなりにあった。
そんな中、皇族の一人が俺の傍に近づいて──。
「ねえ、クウガ。喉が乾いたわ」
俺と同じ年齢の第三皇女のニム・イル・コレット。
彼女はこの海岸の小さな小屋から見える魔王城の──少し低くなってしまっているらしいのだが──を眺めていて、そちらに意識を注いでいたようだ。
着ている服こそ俺と変わらない平民らしい衣服だけど、気位の高さは変わらず、言葉を発することができるようになってからは随分と俺に懐いていた──とはいえ、彼女は皇女。平民の俺は良いように使われる身だった。
しかし、ナイアが食事とお茶を用意させているのを知っている。
「煎れて差し上げたいところですが、ナイア様がお茶を用意させているそうなので、お待ちいたしましょう」
「あら、そうだったの。私はクウガの煎れたお茶が良かったのに……残念だわ」
「リウというエルフの女性が煎れたお茶を戴いたことがありますけど美味しいお茶でしたよ」
「エルフ!? ここにエルフがいるのです?」
お茶を煎れることをお断りさせていただいて、リウが煎れてくれたお茶を待とうと促したかったのだが、エルフの女性と伝えてしまったことで彼女は目を輝かせた。
ここにいるのはリウという名のエルフの女性──で、間違いないが魔王の権能による邪気に冒されて肌が褐色となったダークエルフの女性だ。
「はい。ここに迷い込んだときに彼女に保護されたんです」
「見てみたいわ。大丈夫かしら?」
「聞いてみましょうか」
ニム皇女がリウを見たいと言うので、俺は手伝うついでにナイアに許可を得ることにする。
『ナイア様。リウ様のお手伝いをさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?』
『うむ。かまわんぞ。リウも喜ぶだろう』
『それで、俺が手伝う様子をニム殿下が見学したいというのですが……』
『ん。かまわん。ただ、狭いから気をつけるようにな』
ナイアの許しが下りたので、ニム皇女が嬉しそうに俺の隣に並ぶと躊躇いながら袖の裾を掴む。
どうやら腕を回したかったようで伸ばした手をぎゅっと引いてからのことだった。
それから彼女は一瞬目を閉じてから顔を向き直し──
「見たいわ」
そう言って笑顔を作った。
後ろからは背中を突き刺す鋭い視線がミル殿下から向けられている。
これは気配でなんとなくわかった。
小屋に入るとシビラとリウがテキパキと動いている。
二人とも元魔王の幹部らしい露出の多い装い。素晴らしい体型の持ち主で見る者は心が豊かになり寿命が伸びることだろう。
「わあ、いい匂いがするわ」
小屋はリウがお茶を煎れる匂いと、シビラが魚を調理している匂いが充満。
バターの匂いがしたりしてるので魚のソテーか。
ここは調味料の類が揃っている様子だし、バターもあるくらいだ。
どうしてこんな小さな小屋で物が揃っているのか本当に不思議で仕方がない。
『あら、ちょうど良いところに来たわね。熱い湯を出してくれる?』
俺に気がついたリウがエルフ語で声をかけてきた。
人数分の茶を用意するのに湯が足りなかったようだ。
「あの黒いエルフはなんと仰っているの?」
「俺に手伝いを求めてきたんです。お湯がほしいと頼まれまして──」
「そう。だったら手伝って差し上げて。エルフの女性も気になりますが、クウガの働きも見たいわ」
左うちわな振る舞いで俺に仰せになるニム皇女。
皇女だから大仰なのは当然なんだろうけれど、最近信じていたセア家のミローデやニコアに裏切られたばかり。
だからこうして身分を差を痛感する態度は疑心暗鬼になってしまう。
とはいえ、ここで見てるというのだから見せておけば良い。
リウの傍に近寄って彼女の手にもつ器に熱湯を満たした。
『ありがとう。クウガはニンゲンだと言うのにエルフ以上に見事な魔法ね。助かった』
そう言って薄衣のダークエルフが可憐に微笑む。
『どういたしまして』
『何ならこのまま、クウガが煎れてくれても良いよ。むしろ頼みたい』
『わかりました。では、少し多めに煎れますから茶葉を足しても良いですか?』
『もちろん。構わない』
結局、俺がお茶を煎れる。
リウが準備していた茶は一つは木曽谷に飲ませる薬茶、もう一つは俺たちが飲むためにこれから用意しようとしていたものだろう。
薬茶はともかく、俺たちに用意してくれるはずのお茶を俺が煎れたとしてもナイアは喜んでくれそうだし、皆の分を用意すれば会話も弾みそう。
薬茶は既に茶葉が用意されていたのでお湯を注ぐだけ。それから、もうひとつの大きなティーサーバーに使う茶葉を選ぶ。
母さん譲りの魔法でお湯を創り、薬茶に注ぎ始めると、リウとニム皇女が俺の手元を凝視。
『実に手際が良い──』
「凄い……今まで見てきた使用人よりも綺麗だわ」
二人が言葉を漏らすと、互いに目を交わして笑顔を交換。
まるで言葉は通じなくても思いが通っているかのよう。
ニム皇女は合流してからここまでの間に俺のお茶を何度も飲んでいる。
母さんの友達のレイナも俺のお茶が好きだけど、ナイアや皇族の女性たちに気に入ってもらえたのは僥倖。
だから見慣れているはずなのに──と思ったけど、旅の合間に野営を張って煎れるお茶と、掘っ立て小屋とは言え道具が揃っている屋内で煎れるお茶ではやはり違うのだろう。
俺は同じ作業のつもりだけど、ニム皇女は全く別のものを見るかのような好奇心を駆り立てられた視線を俺に向けていた。
ここには様々なお茶がある。
エルフの薬茶──それを俺が煎れた。
茶瓶を手に取り、蓋を開けて香りを嗅ぐ。
すると今、このタイミング──シビラが腕によりをかけて作った料理を美味しく食べるためのベストチョイスが俺の直感が教えてくれる。
『ふむ……そうきたか……まるで老齢のエルフがその深い知識より選ぶ茶葉の組み合わせのようだ……』
俺が選んだ茶葉をリウはそう評価した。
「いい香り……」
茶葉を蒸らすと周囲に茶の良い匂いが漂う。
『まるで女神ニューイット様からの賜り物のよう……この地の女神から寵愛を感じさせる芳醇な香り──。これはエルフの中でも評価されそう』
リウはエルフ語で呟いた。大げさな褒め言葉だ。誰もわからないから──そう思って口にしたのだろうか。
『はぁんッ……良い匂いー。いろんな欲が駆り立てられそう』
シビラが吐いた言葉は魔人の言語。どうやらキッチンにまで匂いが届いたらしい。
裸エプロンにしか見えない際どい姿は悪魔とか淫魔とかそういうたぐいの種族だからだとか……。
少年の性癖を刺激しかねない色香を撒き散らしている。
内股を擦って尻肉を揺らす様は目に毒だった。
「はしたないわ……魔族って皆、こうなのかしら」
ニム皇女は独り言ちる。
種族の間でものの見方考え方価値観は異なる。
ここはまさにそういったものが入り混じっていた。
シビラにとっては当然の装いが人間の間ではそうではない。
獣人族やエルフのララノアとラエルは人間と変わらない服装だった。
リウも元はララノアと同じエルフだったから同じはず──だけど、リウもナイアやシビラほどではないけれど、露出度が極めて高い。
さっきは時庭もキョロキョロしていて目移りしていたみたいだし、人間の男の性欲を刺激するほどのもの。
けれど、それが彼女たちにとっての普通。
人間の──ニム皇女のような王侯貴族の考えと異なるもので、はしたなかったり卑猥に見えるのは、価値観の違いによるものだ。
そんなことを考えて、シビラの揺れる尻を眺めているうちに、お茶が仕上がり、俺は熱い茶をカップに注ぐ。
最初に注いだカップはシビラに与えた。
『シビラ様、お茶を煎れました。料理の最中で恐縮ですがどうぞ』
『ありがとう。いただくね』
シビラは嬉しそうにカップに注がれたお茶を見て頬を緩める。
可愛い……しかし、その可愛さは魔性のもの。
一度虜になったら抗えなさそうな魅力を放っている。
彼女は一口、茶を啜り──。
『んッ。良いお茶をありがとう。もう少しで食事ができるから待っててね』
そう言って俺の頬をなで上げた。
頬を触れた手から、彼女の膨大な魔力を感じたのは言うまでもない。
これが魔王の幹部──。
『ミライの分はもう与えた。そのお茶は外の皆にも持っていこう』
リウの言葉で我に帰った。
あ、やばいやばい。これが魔族というものか。
リウが声をかけてくれなかったらヤバかった。
心のなかでありがとうを彼女に送る。
『ナイア様。お茶をお持ちしました』
外に出てナイアに声をかけたのはリウ。
俺はティーポットとカップを手にしてリウの後ろを歩く。
『ん。ご苦労──』
『煎れたのは私ではなくクウガにございます。湯を出せず、手伝ってもらったのですが、最後までクウガの手によるものです』
『ん。そうか。それは楽しみじゃ』
リウは勝手にクウガに茶を煎れさせたと怒られるのかと思ったのか、逆にナイアが嬉しそうにほころんだ顔を見て驚いた表情を作った。
それからナイアのカップにお茶を注ぎ、それからノラ皇后、ミル皇女、メル皇女、ニム皇女の順に配り、彼女たちはカップに口をつけるとホッとした表情で落ち着きを見せる。
それから、少し離れた場所にいた時庭と木曽谷にお茶を配った。
リウは最後まで付き合ってくれて、俺と一緒に残ったお茶を飲む。
ん、美味い。
『んん。美味しい。全く、キミには驚かされるわ。ここにある茶葉が、こんなに美味しいお茶になるなんて』
リウが頬を緩めてお茶を飲む。
褐色の肌ながら、とても可憐で美しい。
それから、まもなくして、シビラが食事を運んできた。
外に広げられたテーブルに料理を配膳して皆でテーブルを囲う。
皇族の女性や異世界人は最初こそ警戒して遠慮がちだったが、俺が一口、最初に口にしてからは、みんな揃ってシビラの手料理を楽しんだ。
こうやって一緒に食事をしてると、殺したいほど憎んでいた異世界人を目の前にしているというのに不思議と気が緩む。
意外にも時庭と木曽谷が皇族と魔族の間を取り持って言葉を交わし、交流を図る様相に、俺は復讐心が薄れていた。
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