魔族領 八
思い出せば思い出すほど、無力な自分を呪いたくなる。
握る手に力が入るのは何も出来なかった自分が悔しかったからだろう。
そんな俺に魔王ナイアは俺の事情を問う。
『ところでなぜ、逸れたんだ? 同じ人間なら、群れから放り出されることもなかったんじゃないのか? ララノアが都に入れて童が入れないということはなかろうに』
ナイアの言葉は俺の心をより深く抉る。
俺も知りたいくらいだ──声を大きくして言いたいところだけど耐え忍ぶ。
門番は俺を下賤な平民と罵った。
おそらく魔都に入るには帝国に縁のあり身分が確かなものでないといけないのだろう。
ということはミローデ様が俺を魔都に迎え入れることを許さなかったということだ。
ファルタで平民を先に北岸に渡した意趣返しみたいになってしまった。
とは言え、聞かれたことには答えなければならない。
大雑把に説明をすると、ナイアが呆れ顔で言葉を紡いだ。
『ニンゲンはエルフやドワーフが魔族領のひとつだということも知らんのか。それよりも、ニンゲンの身分制度は実に不条理。こんな小さな子どもを一人で放り出すなど、魔族でも考えないことを……ニンゲンとは残忍じゃな』
魔族は種族によって違いはあるものの、人間と比較して同族内での繋がりが強いと言う。
ララノアやラエルにも聞いたけど長い時を生きるエルフですら人間よりも身分に関係なく同郷の間での結束が固い。
それだけに閉鎖的で外部との関わりを持ちたがらない傾向があるのだとか。
それでもその中の極小数が縄張りを出て魔族領を巡り、他種族との関わりを持つ者がエルフにはいる。
魔族領は魔王を頂点とした王政ではあるけれど、魔王は勇者や賢者、聖女と同じ恩恵程度のもので、いわば魔族の象徴なのだとか。
魔王を中心に魔人や獣人の猛者が強者を求めて魔都に留まり、その中の強者──一部の者たちで執政する。
ナイアも政治に関わっていないわけではないが、独裁ではなく、どちらかというと合議制に近い。
そんなわけで、種族間は緩い繋がりを保ちつつ、各種族に合った文化を築き、その中心が魔王城の一室、スティギア評議室で開かれる評議会で決まるのだと、ナイアは言う。
評議会には各種族から代表が一人ずつ集まってあれやこれやと決めていくらしいが、そこにナイアも含まれていたなら何故、こんな掘っ立て小屋に少人数で過ごしているのだろうかと疑問に思う。
『ワシは象徴とは言え強力な存在であることには違いない。そこにいることで種族に影響を与えることをワシは良しと思わなかったのじゃ』
聞いたらそう答えた。
ナイアは魔人。人間に似てはいるが額や肩には漆黒の宝石のようなものが埋め込まれていて、同じ人間のようには見えない。
もともとが膨大な魔力をうちに秘める種族でその魔力を用いて強力な武芸や強大な魔法を使う種族らしい。
それでいて恩恵を持っているというのだから、勇者以上に強力な存在なのだろう。
『それで、こんなところに少人数で生活をしているんですか……』
『そうじゃ。ここならば、ほんの少し移動するだけで魔王城にいる人間に悟られることなく様子を伺うことができるし、他の種族と連絡も取りやすいのじゃ』
ナイアの言葉はにわかに信じられない。
魔王城の方角を見ても何も見えないし、ちょっとの移動だけじゃ済まないはず。
空からでも見ない限り絶対に無理。
それでも様子を見られるのは魔人だからとか魔王だからとかそういう理由があるんだろう。
一通り話を聞き終わると、今度はリウが口を開いた。
『ナイア様、私から一つ、クウガに聞きたいことがあるのです。よろしいでしょうか?』
ナイアが『うむ。かまわん。聞くが良い』と答えると、リウは身体を起こし、俺に顔を向けた。
『姫様──ララノア様について詳しく聞かせてほしい』
ララノアのことはナイアに会うまでの間に多少のことを伝えたけど、詳しくは伝えていない。
一緒にヤヴァスという女性を弔ったとかそれから一緒に旅をしたという話で済ませていた。
『特にここに来るまでの間に話したことから変わりありません』
『クウガはララノア様とラエルとはパンデモネイオスまで一緒だった──ということで間違いない?』
『はい。魔都の門まで一緒でした』
『では、ララノア様はニンゲンと一緒にパンデモネイオスに入ったのか』
『そうです。平民の俺は魔都に入ることを許されませんでしたけど……』
『そう……。ララノア様とラエルが心配ね……』
リウがため息をつくとナイアが言葉を挟む。
『ララノアとララノアの従者か……ニンゲンは卑しいからのう。じゃが、ララノアには何度か世話になっている。助けてやらねばならんな……』
『しかし、パンデモネイオスは強固な結界と城壁に守られておりますし……』
『なに、あの城の結界はワシの魔力で保たれているからのう。そのうちに結界が弱まるだろうから、それまで待つしか無いのじゃが……』
ナイアの言葉にはリウも頷いた。
どうやら、この魔王ナイアは自身が施した結界が弱まる機会を待っていたらしい。
考えてみたら魔族は魔法に長けたものも少なくない。
無闇矢鱈に魔法を使わせないために結界を施したのだろう。
しかし、それは結界の効力より勝る勇者のチカラの凄まじさを体現しているように思う。
『申し訳ございません。ナイア様』
『うむ。良い良い。それより、いい匂いがしてきたな』
話し込んでいたらどうやら食事の用意ができたようで、二本の角を生やした悪魔のシビラが全裸に近い半裸姿でエプロンを身に着けてテーブルに食事を運んでいた。
妖艶な後ろ姿──体躯に見合わない小さな蝙蝠の羽と尻の割れ目の上部から映える細長いしっぽ。布面積が小さい下着だから筋肉質にも見える肉がプルプルと弾む。
一つ見間違えたら裸エプロンにしか見えない。
そんな彼女が最後の料理をテーブルに置いた。
『お食事の用意ができました』
シビラの言葉のあと、ナイアは俺に手を差し出し、
『童、手を差し伸べよ。ワシがエスコートしてやろう』
と、言うので手を伸ばすと、言葉の通りにナイアは俺の手を取った。
すると、身体をピクリとさせて、一瞬、動きを止める。
『童、クウガという名じゃったな』
『はい。クウガです』
『ロインとラナの息子とも言っておったな……。覚えておこう』
ナイアが俺の手を引くので、俺は立ち上がる。
そのまま彼女に手を引かれて、食卓まで連れて行かれると、ナイアは俺を隣に座らせる。
料理は海が近いからもしやとは思っていたけど、魚介料理が中心で、悪魔の手料理は非常に美味しかった。
翌朝──。
『クウガはこれからどうするのじゃ?』
ナイアは俺を
食事のときもすでにクウガ呼び。
『おかげさまで、身体が休まりましたし、家族を探しに、メルダに向かってみるつもりです』
ゆうべはお楽しみでしたね──と言いたいところだけれど、俺はまだ子ども。
それにあんなことがあってぐっすり眠れるわけがない。
門番に通せんぼされるまでのことが脳裏に何度も過ぎって悔しさで寝付けなかった。
いつの間にか眠っていたけれど、温かい風呂に使ったおかげか、体力はしっかりと回復している。
結果として、おだやかな一夜だったのかもしれない。
『そうか。ならば、しばし、クウガに付き合おう』
『ご一緒される……ということですか?』
『そうじゃ。悪いか?』
『いえ、決してそのようなことは……』
『シビラとリウとも相談してのう。クウガを安全に送り届けることにしたんじゃ。南に向かうんじゃろう? メルダ──じゃったの?』
『はい……メルダに向かおうとはしてましたが……』
『うむ。ならば良い。メルダまでワシがしかと送り届けよう。良いじゃろ?』
そう言われては断る理由がない。
昼前には一人で出ようと思っていたけれど、どうやら俺は一人になれないらしい。
魔王城から真南に伸びる細い街道。
ナイアと俺はこの道を南に進む。
『このような狭い道を良く作り上げたものじゃ』
どうやらこの街道は魔族領の者が作ったものではないらしい。
南のメルダに向かうには一旦バッデルを目指し、その途中に枝分かれする街道に進む。
しかし、勇者一行が魔族領に侵攻すると、勇者たちはその街道ではなく、メルダから真北に伸びる道を作った。
険しい山間をうねる山道。所々にトンネルを掘って勇者は魔王城を目指した。
勇者は当初、メルダからバラド街道に伸びる枝道を突破することができず、敗戦を繰り返し幾度となく撤退を強いられている。
一進一退という状況が続くが、山脈を抜ける山道ができると一変。
『それでも南門にしか出られなかったのは地理的なものがあったが、あのときは魔王の結界に対抗できるものがいるとは思わなんだ』
それが、聖女、
中学生になってから疎遠になったけど結凪は前世の俺の幼馴染。
今では赤の他人である。
道すがら、ナイアはいろんなことを話してくれた。
バッデルから魔王城に向かう道の最後もそうだったけど、魔王城からメルダに向かう道も上り坂を登る。
山腹に沿い、左手に山を見上げながら木々の茂る山道を歩く。
山道は小さな馬車がすれ違うことができる程度の道幅。
ところどころぬかるんでいたけど、ファルタからバッデルを歩いたときよりはマシだった。
半日ほど歩いて、まだ誰ともすれ違っていない。
この道の人通りがないのは人間が作った道だからだろう。
『そろそろ休憩じゃ。ワシは大丈夫じゃが、クウガは疲れたじゃろう?』
少し開けた場所に──おそらく大きな馬車が来たときにすれ違うための待避所でナイアが足を止める。
『わかりました。では、お湯を準備してお茶を煎れますね』
敷布を地面に広げ腰を下ろすための場所を用意する。
『こちらでお待ち下さい』
ニコアとミローデ様にいつもそうしていた。
俺がバッデルで稼いだ金で購入した敷布だけど、俺は一度も座ったり寝そべったりしたことがない。
ナイアは『うむ。気が利くの』と敷布に座る。
魔王ナイアは半裸姿。いちいち揺れる色んな所が目に毒だ。
ついつい目が捕まってしまう。
それでも見惚れているわけにはいかないので枯れ木を集めて火を起こす。
ナイアは俺の作業から目を離さず、ずっと見詰めていた。
『美味いッ! 美味いではないか! 人間が煎れた茶がこれほどまでとは──』
ナイアは熱い茶をひとすすりすると、目を丸くして頬を緩める。
『それはどうも……』
『リウが煎れた茶よりも香り高く味わい深い……エルフの茶を至高と思っておったが、これは素晴らしい』
ナイアは嬉しそうにして、再びカップに口を付けた。
喜んでもらえるのはやはり嬉しい。
ここまで大げさに喜んでくれたのは、最近だとララノアとラエルくらい。
ナイアはふたりのエルフ以上に美味しそうに茶をすする。
ふと、俺のお茶を喜んで飲む女性が脳裏に浮かぶ。
レイナは無事に生き延びてるかな。きっと父さんと母さんと一緒だよね。
俺もお茶を口に注ぎ、大きく息をつく。
熱い茶が身に染みるのは標高の高い山道で気温が下がっているからだろう。
そう思うと、目の前にいるナイアが寒そうに見える。
『あの、ナイア様は寒くないんですか?』
心配になって訊いてみた。
『ワシは空気の冷たさはわかるが寒さを感じぬから問題ないぞ』
半裸姿のナイアだけど、強がっている様子はないから本当に寒くないんだろう。
とは言え、見ているこっちが寒くなる。
それにところどころに見える彼女の魔石や角が通りすがった人に見られるのも良くない。
『ですが、人間の目があるかもしれませんから、できればこれを……』
大きめの布をバックパックから取り出してナイアに差し出した。
魔物などと遭遇したときにニコアとミローデ様を覆って隠すために使用したことが何度もある布である。
これなら身を隠すのに丁度良いのではないかと思った。
『うむ。こう着れば良いのか?』
布を受け取るとナイアはさっとそれを身に纏う。
『これはホビット族の布じゃな。目が詰まって風を通さないから冷たい風が肌に当たらん。魔王のワシには似つかわしくないが良いものじゃ』
そう言って頭を覆うフードを外してからニコリと笑んだ。
露出が減った所為だろう。魔石が埋まっていても、とても可愛らしい女性に見えて鼓動が早まる。
『ほう、童はこのようなのを好むのか。うむうむ』
俺の表情の変化で察したらしい。
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