魔族領 七
エルフの王女のララノアと、その従者のラエルと共に魔王城へ向かいはじめて十日ほど。
最後の峠を越えると魔王城の姿が見えた。
「あれが魔王城──」
思わず声に漏れ出る。
勇者との戦いで瓦解しているとはいえ、それでも剛健さが伺えた。
城下に広がるは魔都と呼ばれるパンデモネイオス。
大小の建物がひしめく大都会だ。
セア辺境伯領の領都セルム市も大きな都市だったけど、パンデモネイオスはそれを凌駕していた。
俺の独り言を耳にしたララノアが俺の隣に並び立つ。言語が違うから通じていないだろうに。
『あー、派手に壊れてるね』
『ララノア様は見たことがあるんですか?』
『うん。何度か来てるからねー。これでも一応、王女なんでね』
ララノアとラエルとはよく話した。
ここまでずっと野営だったから交替で見張りをするのに二人きりの時間が何度かあったからだ。
彼女と二人きりで過ごした夜の中で、ララノアはエルフの里の女王の娘だと打ち明けてくれた。
王族だと言うのに砕けた会話が多いのは、エルフの里では身分で区別することがないそうだ。
ゴブリンの巣穴を出ていこうミローデ様とは最低限の言葉しか交わさなくなったが、エルフにはそういった平民だから会話しないとかそういうことはしないらしい。
『二十年ぶりか……エフイルとリウは元気だろうか』
ララノアの反対側から聞こえたもうひとりのエルフの美声。
ラエルが俺の隣に並び立つ。
『前回はふたりを見送りに来たんだもんね。二人に会えるのが楽しみだよ』
エフイルとリウは同郷のエルフらしい。
人間が魔王城に攻め入ったという話を聞いて二人のエルフの安否を確認しにきたというのは知っていたが名前は初出。
『無事で居てくれると良いが……』
『縁起でもないこと言わないでよー。さあ、もたもたしてると日が暮れちゃう。早く行こう』
峠を下ればそこに魔都。
ララノアに手を引かれて俺は峠を走る。
後ろでニコアが俺についていこうとしていたがミローデ様に引き止められていた。
「門番には私が話をつけてきましょう」
魔都の南門前に到着すると、ミローデ様がそう言ってひとりで門番のところに向かう。
「やっと着いたわね。長かったわ」
ニコアが俺の隣に並んだ。
「本当に長かったね。無事にたどり着けて良かった」
「ええ。それよりも、お祖母様が急に厳しくなられてしまって、クウガにはお世話をかけてしまったわ。ごめんなさいね」
「いいえ。良いんです」
貴族と平民は違うので──とは、言葉にしなかったけど。
『──ヤヴァスも一緒に来れたら良かったんだけど』
『本当に残念でした……』
ララノアとラエルも長い旅の終着点にたどり着いて感慨に浸っていたらしい。
そうこう話していたらミローデ様が戻ってきて、
「通行の許可が出たので参りましょう。ニコア、行くわよ」
ミローデ様はニコアを隣に呼び寄せてから魔都の南門に向かった。
門は重厚で漆黒の鋼鉄が編み込まれているような造り。
「すごい……」
人間の都市では見られない──いや、帝都は凄いのかも知れないけど──建造物で心が踊る。
門の上部を見上げて歩いていたら俺の胸に槍の柄が交錯して足止めされた。
「ここは許可のある者以外の立ち入りを禁止している。引き返されよ」
足を止めると門が閉じられた。
足止めされた俺に気が付いていないのかミローデ様もニコアも、ララノアとラエルも俺のことは気にかけておらず、こっちを一瞥ともしない。
「え? どうして?」
「言わないとわからんのか! 下賤な物乞いの平民め。子どもであっても容赦はしない。引き返さなければここまでの命と思え」
懇願する機会すら与えられず、俺は引き返すしかなかった。
やっと、魔都に着いたというのに──どうして!?
なぜ俺は魔都に入れないんだ!?
途方に暮れた昼下がりの午後──。
どうしよう……。
とりあえず南に向かって歩くことにした。
あのまま魔都に留まろうとしては命は助かったとしてもその代償が大きい。
もし、門を強引に越えようとするのなら帝国兵の門番と戦わなければならなかった。
騒ぎを起こすわけにはいかない。
日が暮れる前に何とかしたいけど……食料はほとんど残ってない。
こんな状況で放り出されて溜まったもんじゃない……と思っても後の祭り。
小一時間ほど歩くと南東に不思議な気配を感じた。
人……?
魔王城から真南に伸びるこの道は人通りがほとんどない。
バッデルから魔王城に繋がるバラド街道はほぼ一本道で獣人や魔人をちらほら見たが、ここでは数時間歩いたところで人っ子一人いない。
なのに少し外れた場所に人っぽい気配を感じたのだ。
もしかしたら水があるのかも知れない。
そう思うと居ても立っても居られず、道を逸れて南東に向かった。
一時間ほど歩くとそこは海だった。
もうすっかり日が落ちて辺りは真っ暗。
それでも視認できるのは俺の魔法で光を灯しているからだ。
でも、これでは水があっても水浴びは出来ないし水も使えない。
魔法の光を弱めて南を見ると視界に光が灯っているのが見えた。
人がいる?
俺はどうしても気になって光の出どころに向かった。
『止まって』
冷たく透き通る声が俺の耳を突き刺す。
ん?
これはエルフ語か?
『すみません。人の気配がしたので、つい近寄ってしまいました』
わかる言語だったので、そのまま返した。
『ん? どうしてニンゲンがエルフ語を喋るの?』
『どうしてと聞かれても、わかるんで……。失礼ですが、もしかして、お名前はエフイルかリウというお名前のお方でしょうか?』
『エフイルは死んだよ。私はリウ。どうして私の名前を知ってるの?』
エルフの言葉だからもしかしてと思って、ララノアから聞いた名前を口にすると、声の正体はリウという女性のエルフのものらしい。
『ララノア様から聞いてたんです。魔王城までご一緒させてもらったので』
『姫様が魔王城に来てるの?』
『はい。ラエル様と一緒です』
『ラエルか……ヤヴァスは居なかったのか?』
『ヤヴァス様はゴブリンに捕らわれて命を落とされました』
『そうか……ヤヴァスは輪廻に還ったの……』
『ララノア様と一緒に弔いましたので……』
警戒心が和らいだのか彼女は俺の魔法による照射範囲に入ってきた。
『脅して悪かったわ……ってキミ、子どもじゃない……』
『褐色のエルフ……?』
光に照らされたリウは褐色の素肌で若干露出のあるエルフの女性だった。
ララノアやラエルと違って、なかなかエグい体型をした女性である。
俺よりも少しだけ背が低い彼女の耳はララノアと同じくらい尖ったもの。
それがエルフであることを主張していた。
『姫様と一緒だったら、私のこの肌の色に違和感を抱くのは仕方ない。かくいう私も肌の色が変わったことを驚いたから。事情は私から説明するから着いてきて』
光の灯るその家は小さな掘っ立て小屋みたいで──。
部屋も2Kくらいでとんでもない狭さだった。
『ナイア様、不審者を捕らえました』
小屋に入るなり、かしづいて顔を伏せて報告を述べるリウ。
その相手をナイア様と言った。
小屋に似つかわしくない立派な椅子に座る黒い髪に赤い瞳の艶麗な女性。
その傍らに同じく黒い髪に巻き角が特徴的な黒い瞳の女性。
黒い髪に赤い瞳の女性がナイアという名前か。
それにしても、また、知らない言語だ。
『あら。ニンゲンの子どもじゃないか。こんなところにどうして? 避難民から逸れでもしたのか?』
ナイアと呼ばれた女性が俺に向かって言う。
『事情があって魔都に入れてもらえませんでした……それよりも避難民というのは?』
彼女が発した言語で返した。
『ほう、童、魔族の言葉が通じるのかい? シビラにも聞こえたよねぇ?』
『ええ。
ナイアが傍らの女性に俺が喋った言葉が魔族の言葉であることを確認。
シビラと呼ばれた彼女も俺が魔族の言葉で喋ったことを伝えた。
『キミ、エルフの言葉だけじゃなくて魔族の言葉もわかるのか』
俺の横でかしづくリウも俺の顔を見上げる。
『エルフ語までできるのか。そんなニンゲンは聞いたことがないよ。名を聞こうじゃないか』
ナイアは嬉しそうにして俺に名を問う。
『ロインとラナの息子のクウガと申します』
コレオ帝国の平民の名乗り方で名を名乗った。
『ロインとラナの息子のクウガ……。んー……長い。もっと簡単にしておくれ』
当然というべきか、人間社会の名乗り方は通じず『クウガです』と言い直す。
『最初からそう言ってくれたら良かったのじゃ。ワシはナイア。少し前まで魔王と呼ばれていた。こっちが悪魔族のシビラで、そこにいるのがエルフ──ダークエルフと言うべきじゃな。ダークエルフのリウ』
自分の名を名乗り、シビラとリウを紹介して、ナイアは椅子から立ち上がった。
彼女は背が高い。
ハイレグの黒っぽいレオタードに胸元を覆う布面積がとても小さい。
今にも零れ落ちそうだ。
背も高いけどおっぱいもでかい。
見上げたらおっぱい越しに顔が見えた。
目が合うと──
『しばしの滞在を許そう。子どもだから保護してやる。恩に着ると良い』
腰に手を当てて大仰に言う。
凛々しい声は強そうだ──って、魔王って勇者と戦って死んだのでは?
どうして生きてるんだろうか。
『さすがニンゲンの子だ。どうしてワシが生きてるのじゃ? という顔をしてる。それはおいおい話すとして──シビラ、この子に食事を用意しておくれ』
『かしこまりました』
ナイアはシビラに食事の準備を命じると、シビラは嬉しそうに応じてキッチンに立つ。
狭い家なので調理をする様がよく見える。
魔王を名乗る女性と、その従者たち……。
とても地位の高いものが住んでいるとは思えないこの掘っ立て小屋。
それに勇者の如月が魔王を討伐したと帝国に広まっていたし、平民の俺の耳にも届いていた。
『ワシが生きてることとか、こんな小屋に住んでるのが理解できないという顔をしてる』
シビラという悪魔の尻に見惚れていたとは言えない──が。魔王が生きていることも、魔王がこんな小屋に住んでることも理解できないのは間違いない。
けれど、それを口にして良いのか分からなかった。
それを察したナイアは面白おかしく語り始める。
勇者は人間の敵には無類の強さを発揮する。
それは恩恵の効果によるもの。
人間と争う魔族は勇者にはめっぽう弱かった。
次々と討ち取られる魔王の幹部。
その誰もが脳筋で軍や戦術なんてものは度外視。
魔族領とは魔族や獣人といった多くの種族が烏合する連邦王国のようなもの。
その頂きに担ぎ上げられているだけで力はあるのに何の権力もないというのが魔王ナイアという存在だった。
『勇者が城に攻めてきたときには重鎮どもは揃って退散。ワシらだけが城に残っておった』
異世界人を前線にした帝国は魔族領を抉るように侵攻。
何年もかけてようやっと魔王城にたどり着いた勇者一行がナイアの前に姿を見せた。
『あいつらは考えが及ばない脳筋の集まりで助かった。ワシだって魔王という恩恵を授かった魔人。勇者に対抗する力が無いわけじゃない。勇者が考えなしに大技を連発したせいで城が吹き飛ばされたんだが、瓦礫やホコリがワシらに逃げる隙を与えてくれた』
それで、異世界人の索敵範囲から逃れて、この場所に掘っ立て小屋を作ったのだそうだ。
まるでファルタの平民の家みたいな小さな小屋。壁と屋根だけがある──みたいな。
『ワシが生きてることは幹部に伝わってる。ニンゲンどもも魔王を倒したからと言って早々に引き返すのも本末転倒。あれでは取り戻せと言ってるようなもの。だから、そのうちに魔王城を取り戻すことになるわけじゃが──』
勇者ご一行は勇者の攻撃で姿形もろとも消し去ったと思っているそうだ。
魔王を倒した勇者と異世界人は帝国兵たちと一緒になって、城下町の魔人や獣人を犯し、殺し、暴虐の限りを尽くした。
その被害者の一人がエルフ族のエフイル。彼女も里を出てしばらくして肌が褐色に化したダークエルフだという。
異世界人はもっと道徳的だと思っていたけど、力を持ったらそうでもないのか。
野営実習のときの彼らは異世界から持ち込んだ銃で攻め込んだ。その後のことは全くわからないけど、白でも黒にできる力を得て人間が変わってしまったのか。
思い出すと胸にムカムカと込み上がるものがあった。
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