第一皇女 二

 晩秋を迎えたメルダ領。

 コレオ帝国に下って十年ほど。それまではメルダ公国という国だった。


「この度はこのような僻地に興行に来てくださって誠にありがとうございました。民もさぞ喜んだことでしょう。本日のお見送りが残念に思いますが」

「いえ、こちらこそ。皆様に喜んでいただけて何よりです」


 メルダ公は時庭ときにわ大成たいせいの手を握り、メルダの地で一人劇でも素晴らしい娯楽をもたらしたことに感謝を示す。

 恩恵のおかげとは言え、時庭は悪い気がしていない。


「また帝都にお戻りになられる際には是非、お立ち寄りください」

「ええ、そのつもりです」


 時庭は幌馬車の御者席に座りメルダを出発。

 メルダ大橋を北に渡り、魔族領へと入った。

 帝都から逃げて一ヶ月。

 馬車には木曽谷きそたに未来みらいとミル・イル・コレットが乗っている。

 部位の欠損すら治癒することができる聖女の恩恵を授かった白羽しらは結凪ゆいなが北に向かったという情報を得て、彼女を追った。

 そうして最初の目的地、メルダ領についたが役者の恩恵を持つ時庭が路銀稼ぎのために劇場を開く。

 そこで十日ほど、稼いでからメルダを出た。

 その間、帝都から皇族の捜索のための追っ手があったが、木曽谷が持つ偽装者という恩恵の能力によって身を隠している。

 時庭が手綱を握ると馬が馬車を引く。


「どうだ? 大丈夫そうか?」


 時庭は荷台の木曽谷に声をかけた。


「まあ、今のところは? 皇女様は?」

「おかげさまで私は……」


 一ヶ月近い馬車の旅でしおらしくなったミルは言葉尻が消え入る小さな声で答える。

 彼女の視線の先には母親で前皇帝の妻のノラ・イル・コレットと、四歳年下の妹のメル・イル・コレット、そしてもうひとり、十六歳下の妹のニム・イル・コレットが横たわっていた。

 彼女たちは喉を潰されており、ポーションを飲ませても回復せず。異世界人が弄んだ箇所が腐り落ちずに保つので精一杯といった状態。

 特にノラの状況が最も悪く、潰されたり銃撃された箇所から壊死が始まっていた。

 もはや生きていることすら奇跡とも言える。

 辛うじてポーションの効果があったミルだけが何とか身体を起こして言葉を発することができる。

 左足が全く動かず、右手はあるけど感覚が全く無い。

 席に座ることはできるが、大丈夫だと言えるほど状態ではなかった。


「まあ、とりま、魔王城に向かってるって話だから二、三週間もしたら結凪に治してもらうからさ」


 最長で三週間。

 状態の悪いノラは保たないだろう──。

 ミルはこんな状況で助けてくれた異世界人に感謝を示しながらも母親と妹たちの命を慮ると心の中で嘆かざるを得なかった。

 しかし、こんな状況を生んだのは自分にも要因がある。それは理解していた。

 異世界から勇者を召喚する──。

 そうすることで魔族に打ち勝ち人類の平和を取り戻す。

 バレオン大陸では魔族と人間の小競り合いが繰り返されていたし、しばしばやってくる魔族に対する防衛戦のために他国からの援軍要請に辟易していたところが当代の皇帝にはあった。

 その皇帝の命により、女神の巫女の一人であるミルが祈りを捧げて異世界召喚を実行する。


「父の命令とは言え、異世界の人間をこちらへ喚んだ私への報い──なのですよね……」


 ミルは独り言ちて涙を流す。

 その囁きのようなつぶやきを耳にした木曽谷は言う。


「まあ、家族に会えなくなったのは淋しいし、会いたい気持ちは今もあるけど、実際のところアタシはあのままあの世界に居ても今ほど楽しく生きられなかったって思うんだ。何の才能もないし、名前を書いたら受かる大学に行って低学歴のゴミよりも少ない収入で生活して、金がないから結婚もできなきゃ子どもも作れない。それがこっちに来てから、アタシはすぐに城から出されたけど、そのおかげで色んな人に出会って金も持てた。気遣いなく付き合える都合の良いセ●レもいてさ。満足してるんだよね。だから今更元の世界に戻っても、却って困るくらいだよ」


 木曽谷は標準的な家庭で育っている。

 両親は共働きで子育てのために夜遅くまで働いて大変そうだったけど、仲が悪かった兄が居るしアタシが居なくなれば父も母も身を粉にしてまで働かなくて良くなるだろう──と、そんなことを考えて異世界での十三年間を振り返った。


「とはいえさー。チカラがあるからって好き放題しても良いって、アタシには理解できなかったから城から出されて良かったよ」

「それは申し訳ございませんでした……」


 言葉だけ聞けば責められてるようにも思う。だからミルは謝罪する。

 しかし、木曽谷は違った。

 アステラに召喚されて帝城から出されたことで世界が一気に変わる。


「俺もさー。あ、親が毒だったってこともあったけど、おふくろはいないし親父も滅多に帰ってこない。そんな家だったからこっちに喚ばれて、ある意味せいせいしてるんだよ。それに勉強だってあまり得意じゃないし、大学に行くのも俺にはあわねーなって思ってたからさ。こっちに来てからは木曽谷と同じで、城から出たおかげで楽しく人生を送れてる。まあ、旧友つながりでアイツラの状況は聞いてたけど、流石にやりすぎっつーかね。色恋沙汰で人を殺したり一家を滅ぼすとかさ。考えられねーっつの。そんなことされたら俺にも災厄が降りかかりそうでさー。それで許せなくなったんだよな」


 御者席で話を聞いていた時庭が言葉を挟む。


「そうだったんですね……」

「ああ。メルダでも俺が異世界人だって知ると武器を構えて喧嘩腰になるヤツもいたしなー。ここじゃ髪や目が黒いのは俺たちしかいないし、恨みを買われるようなことをされるのは心底迷惑してるんだよ。皇女様だって父親の命令がなかったら異世界召喚なんてしなかったんだろ? それに元の世界じゃ経験できないここでの人生を俺は楽しんでるしな。実は感謝してるのさ」

「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけると少し楽になります」


 時庭の言葉はミルにとって優しいものだった。

 感謝の印としてこの身体を差し出せればと思うものの、彼女の身体は使い物にならない状態。

 強いものは強さを驕り、チカラを持たないものは知恵を振り絞ってこの世界を生きていた。

 異世界人は同朋だからといっても一枚岩ではない。


「そんなわけでさ。アタシはこの世界で生きるつもりだから皇女には生きててもらわないとね。メルダで分かったけど、皇女様って意外と人気があるんだよ。委員長の国はアタシには合わないしさ」

「そう──ですか……」


 ですが、この身体では──もう……。

 ミルは言葉を飲み込んだ。

 このまま帝国から離れるのなら、もう、表に出たくない。

 ミルはそう思っていた。


 メルダを出て一週間後──。

 この日、昼頃に食事をとってから木曽谷が唐突にこういった。


「ねえ、時庭。アタシの生理が来ないんだけど」


 馬車は北を目指している真っ最中。

 馬はゆっくりと馬車を引いていた。

 その手綱を握る時庭。


「そうか。覚悟はしてたけどできるときはできるんだな」

「それだけ? 結婚しようとかそういうのないの?」

「そもそも、ここって平民に結婚ってものがないだろ」

「あ、そう言えばそうだった。じゃ、どうするの? アタシ、放置?」

「生まれたら一緒に育てたいとは思うよ。だから今のままで良いんじゃないか?」

「あんた、すっかりこっちの人間になってんのね」

「そりゃあな。何もかわらない。それで良いじゃん」

「確かに──」

「こっちじゃ子どもを堕ろすなんてことはできないしな。だから今まで通りってことで」

「わかった。ありがとう」


 二人のやり取りを見ていたミルは、


「お子様が宿られたのですね。おめでとうございます」


 と、二人の会話が落ち着いたところで言葉にした。


「まさかこんなときにって思ったけど、迷惑かけたらごめんね」

「いいえ、お世話になっているのはこちらのほうですから──」


 ミルは二人の会話を聞いているのが好きだった。

 とても仲が良さげで、口調は荒いものの二人の間の良い空気感にミルは憧れを持っている。


「あー、そう言えばポーションがあと一週間くらいで無くなっちゃいそう」


 魔王城のある魔都パンデモネイオスまで行くことになればまだ二週間以上という距離。

 皇族の女性たちは壊死が広がるのをポーションで抑えていた。

 知識がないために満足な治療などが出来ず、ポーションに頼ってきたが、メルダでありったけを入手したつもりだったというのに、それでもやはり足りず。

 特にノラにとっては死活問題である。

 異世界人たちにBBAだなんだと罵られながら暴虐の限りを尽くされた彼女の状態は非常に悪い。


「──そうですか……」


 ミルはこれまで協力してもらった立場なので責任を追求したり、母を救って欲しいという言葉すら烏滸がましいと考えていた。

 だから、間に合わなかったら死にゆく肉親を看取る覚悟でいる。

 それでも、自然と目に涙が溜まっていく。零すまいと必死に抗っているが──。


「そこは何とかするよ。だから、頑張って」


 木曽谷は皇女たちに諦めてほしくない。

 とにかく生き延びて勇者でなくなった如月を玉座から引きずり下ろして欲しいと言葉なく訴える。

 お腹に子どもが出来たのかも知れない──と、そう考えたら、コレオ帝国は皇女たちに返すことが安定に繋がると思えた。


 北へ向かう旅は続き──。

 しかし、旅は思うように進まず。


「やー、ごめん。アタシのせいで……」


 生理が来ないと時庭に打ち明けた数日後から、木曽谷は悪阻に苛まれていた。

 特に食事のあとが厳しく、ミルの言葉もあってこれまでの半分のペースでメルダと魔王城を結ぶ道を進んだ。


「ミライ様のお体を優先してください。私たちのこの身体ではそれほどではないでしょうし、これからを生きるものを大切になさるべきです」


 座席でぐったりする木曽谷をミルは気遣った──といっても、ミルは座席から一人で移動できるわけではないが。


「ははは。まさかアタシが励まされる側になるなんて──」


 強がってみせるも想定しない気持ちの悪さに木曽谷の自虐し始める。


「少し落ち着くまで休みましょう」

「いや、そっちこそ。早くついたほうが良いじゃんね。アタシのことは良いからさ」


 木曽谷は言い出したら聞かないところがある。

 勝ち気な性格もあって、素直に頼ることができない面があった。


「時庭様、ミライ様の体調がよろしくないので少し休みましょう」


 休まないと強情を張り続ける木曽谷では話にならないと判断して、ミルは時庭に頼むことにした。


「そうだな……どっちにしてもムリは良くないね」


 手綱を握る時庭は馬車を停めて、木曽谷を休ませる。

 ポーションを使う間隔を伸ばしているから徐々に壊死が進み腐臭が漂う荷台から木曽谷を下ろすと、


「水を差し上げますから──」

「お願いします」


 ミルは時庭から革袋を受け取ると、詠唱のない水属性を使って革袋の中を冷たい水で満たしていく。

 ミルの魔法はレイナから教わったものだった。


「ありがとうございます。水魔法、本当に助かります」


 水を受け取った時庭は急いで木曽谷の元に戻る。

 馬車の荷台にはミルと、声を発さない母とふたりの妹。

 カヒュー……カヒュー……と、大きく胸で呼吸していて目は虚ろ。

 もう長くはないようね……。

 私もあとどれくらい生きていられるのかしら……。

 荷台に座るミルは木曽谷が戻ってくるまで荷台に寝そべる家族を見守った。


 そうしてゆっくりと北上する皇女と異世界人。

 数日後、北からやってくる人の姿を見て時庭は馬車を停める。

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