魔族領 六

 ここまでの話をニコアの通訳を介して聞いていたミローデ様は言った。


「協力者──それも、エルフの中でも身分の高い方が同行してくださるのは心強いわ」


 ミローデ様はララノアとラエルの二人が魔王城までの旅に随行することを応諾する。

 ニコアがミローデ様の言葉を訳してララノアに伝えた。


『決まったみたいね。じゃ、魔都パンデモネイオスまでよろしくね』


 ララノアは太陽みたいな笑顔で右手を差し出した──が、その手を握る者は誰もいない。

 ミローデ様はどうやら異種族同士が軽々しく手を取り合うことを良しとしなかった。

 それでも「よろしくおねがいいたします」と胸に手を当てて頭を下げる。

 こうして旅の同行者が増えたわけだけれど──。

 その後、生き残った獣人たちはバッデルに向かった。

 彼女たちは個体でもそれなりの強さを持っている。

 ゴブリンに拐われたのは不覚を取ったからと言えるが、そもそも大規模な群れを形成するゴブリンと、小規模な集団でしかない獣人ではゴブリンの群れほうに軍配があがる。

 囚われた彼女たちがその証明みたいなものだった。

 中には強力な獣人もいるけれど、そういった存在は魔王城に近くならないと出会わないとララノアが言う。


『食事はどうしましょうか? エルフは人間と食べるものが違うんですよね?』


 食事の準備を始めると、ラエルが俺の近くに寄ってきたので訊いてみた。

 このとき、ララノアはミローデ様とニコアと何やら話していて、食事の準備に入ってることすら気が付いていない。


『それほど、変わらないと思う。故郷では木の実、草などの植物、狩猟で獲った鳥や小動物を食べてる。旅に出てからもあまり変わっていないが──』


 どうやらエルフと人間で、食べるものが違うなどということはそれほどないらしい。

 夕食のために干し肉を鍋の水に浸しているとラエルが不思議そうに覗き込む。


『これは干し肉です。塩気が強くて、固いので水に浸して柔らかくするんです。それにスープの出汁になりますから』


 干し肉を水に浸すのは領民学校に通っていたときに実習できて良かった。


『肉か……。クウガが調理するのなら、私が今から狩りに行くとしよう』


 ラエルは返答を聞かずに一人で行ってしまった。

 残された俺は一人で料理に打ち込む。

 人当たりの良いララノアのおかげで俺の服の裾を掴んで離れなかったニコアが彼女と言葉を交えている。

 ニコアが楽しそうに談笑している姿を見るのは嬉しく思うけど、ララノアもラエルもエルフとは言え女性。

 女性の集団に男が一人というのは居た堪れない。

 そのうち居心地が悪くなりそうだが……。

 それでも、今まで一人で料理をしていたけれど、ラエルが近くに来てくれたのは嬉しかった。

 前世ではボッチのDKだったけど、優しい両親に恵まれて可愛い妹と弟がいて、レイナみたいな人がいて、人を恋しく思えるようになったらしい。

 ラエルが肉を獲ってきてくれるなら、干し肉はそのまま出汁に使っても良いのか。

 なら、鍋を火にかけてしまおう。

 火を起こす準備──と言っても、囲いを作るだけだけど──を始めると、ラエルが鳥を二羽、持ってきた。

 早い!


『これなんかどうだろう? 料理に使えるか?』

『ありがとうございます。助かります』


 ラエルが鳥を獲ってきてくれたので今日は美味しい料理が食べられそうだ。

 受け取った鳥の首の骨を外して下処理を始めた。


 それから、しばらくして──。


『お、美味しいッ!!』


 ララノアが目を丸くして驚いていた。


『鳥の肉がこんな香りのある食事になるなんて、驚いた』


 ラエルも鳥を口にして感動している。

 鳥は二羽とも解体して今日の料理に使った。

 塩と香草で味と香りを付けて焼いただけのものがエルフの二人には感動だったらしい。


『私たちが食べるには少し塩が強いけど、これはこれで美味しい』

『ん。エルフの料理では塩をこのように使うという発想がない。無論、このスープもだ。塩と柔らかい干し肉との組み合わせが素晴らしい』


 ララノアとラエルは嬉しそうに食事を頬張った。

 獣人にはパンを食べるという習慣がないからパンはないけど、それでもお腹を満たすにはちょうど良い量。

 それに久し振りの肉。干し肉じゃない肉だ。

 ララノアとラエルは他にも気になったものがあった。


『これ、美味しい。ラエルは食べてみた?』

『姫様、この赤くて得体が知れないものを口にするのはまだ怖くて……』

『そう? じゃあ、食べてみてよ。すっごく美味しいよ』


 ララノアがラエルに見せたのはニンジン。

 彼女たちはニンジンを初めて見たようだ。

 ララノアの勧めでラエルが恐る恐るニンジンを口に運ぶ。

 ラエルがニンジンを口に入れて咀嚼をすると、目を見開いて口を手で押さえた。


『姫様、これは甘くて美味しい……』

『そうなの。私もびっくりよ』


『この赤いのは初めて食べるが甘くて食べやすい』

『私もこれ、とても好き。甘くて美味しい。なんて食べ物なの?』


 ラエルが美味しいと言ったニンジン。ララノアも気に入ったようで、スープから取り出して頬張る。


『それはニンジンという野菜です』

『へー、こんな野菜があったんだねー。んー、美味しい』


 ララノアはニンジンを味わいながら、スープの野菜を次々と食べた。

 このスープは大根も入っていて、肉も入ってる。物品が少ない旅の最中に作った料理だから味付けは足りないけれど平民の間では一般的な料理──だけど、正直なところあまり美味しくない。

 それでも彼女たち二人のエルフは美味しそうに肉も野菜も食べてくれた。

 俺も美味しく食べたけど、ミローデ様とニコアは美味しいとは一言も言わない。

 彼女たちは貴族。平民の料理を美味しいと言って食べてはいけないのだ。

 美味いと言ってしまえばそれは平民と同等の食生活しかできない貧しい貴族と思われかねないからだろう。

 食事のあとには茶を煎れる。

 ミローデ様の娘のレイナが褒めてくれる茶をミローデ様とニコアは美味しいという言葉にしない。


『わあー。里でもこういうお茶、いただくけど、エルフの給仕よりずっと腕が良いわ。クウガ、私の専属にならない?』


 ララノアは手放しで褒めてくれた。


『本当に美味しい……。これは里でも煎れるハーブティーの類だと言うのに、エルフの者ですらここまでの味は出せないでしょう。是非、姫様の専属として迎えたいものです』


 うっとりした顔のラエルは口を離したカップの縁を満足げにしながら指でなぞる。

 ラエルは少し大人びた印象で母さんよりも少し若く見える。

 前世の映画や本の知識に寄るとエルフは長命だったけど、この世界のエルフはどうなのか。

 もし長生きするのならきっとニコアの祖母のミローデ様よりもずっと年上かもしれない。

 ならば、ラエルよりずっと若く見えるララノアはミローデ様よりも年齢を重ねているのか。

 最後に残った茶を俺のカップに注ぎながらそんなことを思っていたら──


『なんかいやらしいことを考えてたりする?』


 なんていうララノアの言葉とジト目が俺に向けられた。

 心の言葉は届かないはずだというのに、このやり取りがミローデ様の機嫌を損ねたのか、ミローデ様が冷たい視線を俺に向ける。

 ミローデ様は言葉にこそしないものの何か思うところがあったのだろう。


 翌朝──。

 バッデルを出てから一日に二時間から三時間という睡眠時間だったのが、六時間以上眠れた。

 目が覚めると身体が軽い。

 巣穴の入り口に出ると、そこにララノアが焚き火の傍でうつらうつらとする姿が見えた。


『ララノア様。おはようございます』


 こくりこくりと船を漕いでいたララノアが俺の声で姿勢を正すと、眠たい目でこっちを見る。

 こうして見ているとエルフの女性の顔は本当に綺麗だ。

 背丈は人間とそう変わらないし、尖った耳が特徴的で、ララノアもラエルも胸が平らだった。


『あ、クウガ。おはよう。ゆっくり眠れた?』


 目を擦るララノアから挨拶が返る。


『ええ、おかげさまで。これから見張りをしながら朝食の準備をしますから、ララノア様は休んでください』

『ん。ありがとう。朝食って何を作るの?』

『これです』


 俺は寝起きがけにバックパックから取り出したかぼちゃをララノアに見せた。


『へ〜。何を作るのか興味があるわ。見てて良い?』

『休まれなくて大丈夫です?』

『うん。もちろん。今までラエルと交替で見張りだったからさ。クウガのおかげでいつもよりも眠れたよ』


 そのわりにはウトウトしてたけど──とはいえ、ダメとは言いづらいのでララノアと一緒に料理をすることに。

 かぼちゃは適当な大きさに切って蒸すだけ。

 火が通った中身をくり抜いて、塩などで多少の味付けをしながら捏ねてから団子状のものを平たく潰して焼く。

 残ったかぼちゃの皮は煮てスープにする。

 こういう食事はファルタに住んでいた頃、母さんがよく作っていた。

 見様見真似で覚えた簡単な料理だけど、これが意外と食べられるしお腹が膨れる。

 人数が増えたから一つまるごと使ったけれど、今までは半分ずつで足りていたほど。

 焼く直前に、一つだけ小さく作ったものをララノアにあげてみた。


『味見、してみます?』

『良いの? じゃあ、戴くね』


 ララノアは嬉しそうに小さなかぼちゃの団子を頬張る。


『あっつっ!』


 焼きたてなので当然だ。

 はふはふしながら食べる様子はとても可愛らしい。

 見た目の年代的には転生前の俺と同じくらい──。

 元の世界であのまま生きていたらこういう光景を見られたかも知れない……。

 いや、きっとそれはないな。

 転生して父さんと母さんの間に生まれたからこういった料理を覚えることが出来た。

 前世では後片付けくらいしか手伝いなんてしないし、こんな感じで同年代の女の子との接点だってないはず。


『あっまー。かぼちゃってこんな味がするんだ』


 ララノアは口の中で冷めたかぼちゃを味わう。


『エルフはかぼちゃを食べないんですか?』

『昨日もそうだったけど、このかぼちゃっていうのも初めて見たよ。エルフはさ、自然に生えてる植物や木の実ばかり食べるんだよ。だから、里の森にないものは食べたことがなくって、このかぼちゃというのも初めて食べたんだよ』


 ララノアに聞いたところ、エルフは自然に採取できるものしか食べないのだとか。

 獣人の町──バッデルでは前世で言えば獣が好んで食べそうなものがたくさん売っていた。

 かぼちゃや落花生のような果菜類だけでなく、人参とかイモ類みたいな根菜類もあった。

 前世の世界でも動物が食べなさそうな玉ねぎとかは見なかったな。

 バッデルで購入した食料にはそういった前世の動物が食べそうな野菜が中心だったりする。

 野菜の類は割と日持ちするからちまちま食べるにはちょうど良い。

 なお、エルフは肉を好まない──というのは違うらしい。

 狩猟して獲った獲物を食べるのだそうだ。

 農耕文化がなく、畜産業も存在しない。まあ、畜産業についてはこの世界の人間にもないけれど。


『そうなんですね。バッデルで購入した食料は果菜類や根菜類の野菜が中心ですからお口に合わないようでしたら狩りをして調達しましょうか』

『いやいや、大丈夫だよ。ニンゲンがどんな食べ物食べるのか気になるし、今、食べたでしょ? 美味しいから大丈夫。ここずっと肉ばっかりだったから野菜が良いし』

『わかりました。とは言え、魔王城までは保たないので、旅の途中で狩りなどすることになると思いますよ』

『それはそれで仕方ないよ。こっちもヤヴァスが居なくなって植物採取が上手く行かなくて困ってたんだ。やっと見つけたと思ったら、もう──』


 ヤヴァスというのはゴブリンに捕らわれて死んでしまったエルフか。

 どうやら思い出させてしまったらしい。


『すみません。思い出させてしまったみたいで……』


 居た堪れなくて謝った。


『いや、良いんだよ。魔族領を旅していればこういうこともあるって覚悟をしてたから──。それにクウガのおかげでヤヴァスの魂を輪廻に還せたから、わたしたちとしては悔いはないよ。むしろ、キミには感謝してるくらいさ』


 エルフは人間とは死生観が違うのか。

 哀しむ様子はなかったし。その辺が獣人とも違っていたので違和感がないわけではない。

 種族が違えば文化も価値観も違うのだ。

 同じ人間でも俺みたいな平民とニコアやミローデ様のような貴族とだって埋められないほどの差があるのだから。

 ちなみにこのかぼちゃ料理。

 ミローデ様は好まない。

 なにせ平民の料理の代表格みたいなものだから。

 ニコアは何故か、このかぼちゃ料理を好んで嬉しそうに食べるのに。

 同じ貴族で、しかも親族なのに、ここまで違うのには驚いている。

 ニコアは貴族でも、平民に近い考え方をするのだ。

 ミローデ様も平民に寄り添ってくれる方だけど、平民に理解があるわけではない。

 長く領主の妻として務めた彼女にとって領民──平民は奴隷にも等しい存在。

 考えてみたらゴンド様も平民に一定の理解はしていたけれど、最後は捨て駒みたいな扱いをされたからね。


 朝食を終えて後片付けを済ませると、北へ向かって旅を再開。

 俺とラエルが先頭を歩き、ミローデ様とニコアの後ろにララノア。

 道中はニコアが俺を気にしながらミローデ様の隣を歩く。

 このときからニコアは俺の服の裾を掴まなくなった。

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