魔族領 三

 バッデルの町の東門から街道に抜けて北東に進む。

 この街道はハラド街道と呼ばれており、それほど広くないこの街道に馬やロバを引いて歩く魔人や獣人をよく見かける。

 街道というから安全なのだろうと思いきや、実はそうでもなくて、時折野党や魔物と戦っている気配を感じることがあった。

 俺はそういった気配を感じてもニコアとミローデ様にはわからないのでできる限りそういったものを避けて街道を北上する。

 街道の旅は非常に快適だ。

 バッデルを出たばかりのころは森の中を歩き続け、途中で水浴びができるせせらぎがあったり、休憩小屋のようなものが建っていたり、この街道は人通りがそれなりにあるから、ファルタからバッデルまでの道のりよりもずっと楽ができた。

 それにニコアとミローデ様の靴を買い替えたこともあってペースが上がり調子が良ければ日に30km近く進む。

 ファルタを発ってもうすぐで一ヶ月ということもあり、ニコアもミローデ様もだいぶ慣れてくれたみたいだ。


 バッデルを出て五日。

 森を出て開ると開けた場所に出る。

 ここからしばらく平地を進み山間──峠道に入る。

 その前に、陽が傾いてきたので、今日はここで野営だ。

 周囲にも野営の準備を始めている商隊なんかがいて、ここなら安全だと思われた。


「すみません。今日は水辺がないので水浴びの用意ができません」


 野営の設置をして火を焚く。

 ここから先、山に入る直前まで水辺はない。

 女性が身体を清められないのは大変だろう。

 俺は何となく謝罪した。


「大丈夫です。こうした旅では水浴びができないことがあるのは承知の上ですから、それに──」


 貴族が馬車に乗って遠出──外遊をするときも風呂に入れないなど普通にあるそうだ。

 ミローデ様がそう言ってくれた。

 どうやらニコアもそれは承知しているらしくて、貴族は旅をしていても毎日風呂に入るものだと思っていたのは俺だけらしい。

 ということはニコアも帝国内を移動して国外にも足を伸ばしたことがあるのかも知れないな。

 さすが、辺境伯家。


「今日はこの固いパンと干し肉で食事を作ろうと思います」

「む、今日も……だよね?」

「そうとも言いますね……」


 毎度の料理当番の俺は今回もパンと干し肉で食事を作る。

 バックパックにくくりつけてある鍋を取り出して火にかけると、革袋から水と肉を注ぐ。

 今日の昼飯の後に用意しておいたものだ。

 予め革袋に水を入れてその中に干し肉を浸しておく。

 そうすることで夕飯時には柔らかく食べられるのだ。

 このパンと干し肉で食事を作るのは野営実習でもやったばかりなんだよね。

 まだ一ヶ月くらいしか経っていないのに、もうかなり昔のことのように感じる。


「この食事は野営実習を思い出すわね」


 ニコアも俺と同じで、この固いパンと干し肉は野営実習を思い出すようだ。


「そうですね」

「クウガの班はクウガが調理したのよね? 先生が褒めてたわ」

「はい。俺が調理っていうか提案してみんなでしましたね……」

「楽しかったのになぁ……」


 明るいうちは大丈夫なのに、ニコアは薄暗くなってくると、こうして思い出して涙をポロポロと零し始める。

 まあ、仕方ないよな。俺も思い出すから。

 けど、それが復讐心を駆り立てて俺の記憶を鮮明に掘り起こしてくれる。


──絶対に、絶対に、異世界人を殺してやるッ!


 右手にギュッと力が入る。


「私、あの銃で──家族を奪われたの……。友達も先生も──みんなを奪った異世界人が許せない」


 ニコアが復讐心を言葉にしたのはこれが初めてだ。

 俺の服の裾を握って言葉を続ける。


「私、何人もの人を殺したの。その中に異世界人もいたわ」


 ニコアが打ち明けてくれた。

 彼女は俺たち平民が漁師たちの協力で対岸に渡りきった数日後に建造途中で放棄された大船を改修して、平民がいなくなったことに気がついて慌てて船に乗ったそうだ。

 そのときに帝国軍がやってきて軍港からライフル銃で船上の人間を次々と撃ち殺した。

 異世界人の引き金で放たれた銃弾がニコアの家族を奪い、ニコアは魔法を使い、軍港ごと破壊。

 異世界人を含めて多くの帝国兵が消え去った──ということらしい。


「お父様が平民を盾にして逃げるつもりだったのが、まんまと平民に出し抜かれて──。それでも平民が悪いだなんて私は思わなかったわ。確かに私たち貴族と平民は違う世界を生きている。違う世界で生きているからこそ平民は平民で生き延びる方法を選択できた。それだけだものね」


 ニコアの言う通りだけど、出し抜いたのが俺だからね。

 ある意味、俺がニコアの家族の命を間接的に奪ったようなものだろう。

 ニコアの話を聞いていたミローデ様が口を開く。


「貴族には貴族の義務ノブレス・オブリージュというものがあるのよ。ゴンドは昔から自分だけ良ければそれで良いというところがあったから──民を蔑ろにすれば民は貴族には従わなくなるものよ。圧政が敷かれていれば民が蜂起することもあるくらいですから」


 ゴンド・イル・セアという辺境伯家の領主は確かに平民を──下々のものを軽視する発言や行動が見受けられた。

 そういったところがニコアにも見られるし、私ならもっと上手くやるとでも言いたげだった。

 俺は貴族というものをもう信用しないことにしている。

 今は頼れる存在が俺しかいないから綺麗事を並べてるだけかもしれない。

 セルムを出てからの扱いで俺が学んだことだ。

 喋っている間に良い具合に出来たので固いパンを茹だったスープに突っ込む。

 そんな時だった。


 突然、大声を張り上げる人の声。


『ゴブリンだーーーー! ゴブリンの群れが来てるぞーーーー!』


 その声で周囲の野営を張った獣人や魔人たちがざわついた。

 俺は火を消して腰帯の短刀の柄を握る。

 周辺を探索すると北西の方角からかなりの数のゴブリンの気配がした。

 その中に素早い集団が一つ。


「魔物が近寄ってくるようなら、食い止めますから、これに隠れて」


 俺はミローデ様とニコアに毛布をかけて隠した。

 火を消してるから、夜目の利く獣人でなければ視認するのは難しいだろう。

 とにかく彼女たちの気配を気にしつつ、こっちに来るゴブリンの群れに対処しなければならない。


 最初に目についたのはやはり何かに騎乗するゴブリンだ。

 ゴブリンは背丈は低く痩せ細った体型で強そうには見えない。

 ただ、彼らも魔物なので魔法による身体強化を図っているのだろう。

 見た目以上に良い動きをする。

 そんなゴブリンに対処する獣人も強いものからそうでないものまで様々。

 周囲を観察しながら俺はどれをやれば良いのか探りを入れる。


 ゴブリンの群れから離れて移動しているのは何かに騎乗しているゴブリンか。

 彼らは少ない犠牲で次々と獣人たちを伸していった。

 なら、俺はこっちだな。

 彼らを視認すると俺は魔法で土を盛り上げる。

 すると、次々と転げ落ちるゴブリンたち。

 この場で最も厄介だったからそれがいなくなれば俺が動かなくても対処できるだろう。

 ゴブリンが乗っていたのはラージ・ボアだ。

 猪型の魔獣のラージ・ボアは野営実習で狩ったイノシシよりも知性が高く獰猛である。

 そのラージ・ボアを操るのが子鬼ゴブリン──なのだが……。


『くそッ! 速くて捉えきれないッ!』


 ラージ・ボアはイノシシと同じで直線的な動きしかしないのに速度が速く獣人たちでも対応に苦労しているようだ。

 ゴブリンは男の獣人を殺害し女の獣人は殺さずに拐う。


『いやっ! いやーーッ!! 助けてぇ! 助けてーーッ!!』


 髪を掴まれて引き摺られ行く若い女性の獣人。

 泣き叫ぶ彼女の姿に舌舐めずりして後方に下がった。


『ヤシハーーーーッ!!』


 彼女の恋人と思しき男性の獣人は彼女を拐ったラージ・ボアに騎乗するゴブリンを追いかける。

 恋人を取り戻そうと必死に走る男性。

 懸命に走ったがほんの数十メートルほど走ったところで別のゴブリンに後ろから首を刎ねられた。

 胴から跳ね飛ばされた頭を目で追う獣人の女性。


『うあああああああーーーーーーーーーッ!!』


 大声で泣き叫んで彼に手を伸ばした。

 そんなことはお構いなしとゴブリンは彼女を引き摺る。

 助けにいくべきか、静観するべきか。

 俺が飛び出せば獣人を助けられたかも知れない。だけど、そうしたらニコアとミローデ様に何かあった場合に対処ができない。

 戦闘ではふたりに頼ることはできないし、彼女たちだけで自分の身を守ることは難しい。

 魔物の群れの一部がこちらに向かってきてるのだ。

 何匹かのゴブリンが俺たちに気が付いてる。

 俺が近寄るゴブリンの群れに気が付いていないということを知らずにゆっくりと距離を詰めていた。


「ニコア、ミローデ様。もうすぐゴブリンが来ます。何があってもそこから動かないでください」


 ふたりに注意を促して、バッデルで買った短刀を右手に構える。

 俺の武器はこれだけ。

 近付くゴブリンの殺気が強まり、戦闘態勢をとる。

 魔力を練り、魔法の準備をはじめた。

 後方で魔力を高めているゴブリン、弓を構えるゴブリンに狙いを定めて風属性の魔法で刃をつくる。


──パキッ!


 前線のゴブリンが地面の枝を踏み折ったのを皮切りに彼らは俺に目掛けて剣を振りかぶってきた。

 ドタバタと走るゴブリン。

 遅い……。

 剣速も遅く剣筋はよれよれ。

 ゴブリンってこんなものなのか。

 俺にとっては初めての実戦。

 前線のゴブリンの攻撃を躱すと、今度は後ろから火属性魔法や毒矢が飛んでくる。

 しかし、射速に乏しい矢は俺に届く前に地面に落ちた。

 どうやらゴブリンの精鋭はラージ・ボアに乗っているらしい。

 ここに来たのは最弱の部類のゴブリン。

 魔法を使うゴブリンだけが精鋭に届きそうな実力の持ち主なのだろう。

 だが、魔物の弱々しい魔法は、風属性魔法で簡単に押し返して風の刃で首を刎ねることができた。

 俺の視界で首から血を流して息絶えるゴブリン。

 続けて弓を番えるゴブリンを風の刃で仕留めた。

 俺に向かって剣を振りかざす数体のゴブリンが残る。

 彼らの攻撃を避けながら俺は右手の短刀でゴブリンの懐を一突き。

 剣先がぷつりと皮膚を貫き肉を裂いてゴブリンの身体に刀身がめり込む感触。

 そして、傷口から生温かい血が短刀から手に伝わる。

 生まれ変わる前だったら──天羽あもう空翔くうがの人生だったら、きっと、俺は怖くて逃げ出したかも知れない。

 けれど、ここはアステラという世界。俺はアステラの世界で、ロインとラナの息子として生まれ育ったクウガ。

 俺の死生観はアステラの──バレオン大陸にあるコレオ帝国で育った平民としてのもの。

 初めての体験で手の震えはあるものの、俺はゴブリンから剣を抜いて蹴り飛ばし、次に向かってきたゴブリンの攻撃をいなしてゴブリンの左の脇腹を短刀で刺す。

 最後のゴブリンは魔法で首を刎ねた。

 初めての魔物との戦いで高揚しているのか、喉から心臓が飛び出そうなほど強く鼓動してる。


「ニコア、ミローデ様。当面は大丈夫そうです」


 こっちに向かってくる気配がなくなり、ふたりに声をかけた。

 俺の言葉でひと安心したニコアとミローデ様はうずくまって隠れていたところから起き上がり顔をあげた。

 ミローデ様は長年、辺境伯家の妻として生きた経験からか、それほど不安な様子はない。

 俺の服の裾に手を伸ばすニコアの顔は青褪めていた。


「こ……怖かった………」


 ニコアは小さな声で呟く。

 ゴブリンの群れは獣人たちとの戦闘に集中。

 人間の匂いに聡いゴブリンだから俺たちに気が付いていないということはないはずだ。

 それでもこっちに来ないのは獣人との戦闘が厳しいのだろう。

 ここは逃げることを選んで戦闘領域から離脱。

 俺ひとりではゴブリンの群れを相手に戦い続けることはムリだし、ニコアとミローデ様を送り届けなければならない。

 加勢できないことに後ろめたい気持ちはあったけど、俺はニコアとミローデ様と三人で道なりに北を目指すことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る