北へ 一

 この小さな宿場町に人口の二十倍以上の人が押し寄せた。

 その全てがセア辺境伯領の領都セルムから逃れてきた人たち。

 一夜を明かすと領民は再び北へと針路を取る。

 セア辺境伯家のご令嬢ニコア・イル・セアをこの町まで届けたけど、彼女は宿屋に避難していた彼女の両親や使用人、祖母と共に先に北へと出発している。

 俺たち平民は最後だ。

 先に貴族たちが辺境伯に続いて北へ逃れ、平民はその後についていった。

 いつ帝国軍が迫ってくるかもわからない。

 この状況で最初に犠牲になるのは間違いなく平民だ。

 だから、そうならないように俺たちには祈るしか出来ずにいた。


 幸運なことに、帝国軍の追撃はいつまで経っても来なかった。

 何日も歩いてようやっと到着したセア辺境伯領の最北の町。

 港町ファルタ。

 町に入り切らないほどの人間が押し寄せていて中心街の宿はセア辺境伯を始めとした貴族たちが専有。

 町から外れたところに平民は留められた。

 とはいえ、俺は懐かしくて町外れにある古びた家に行くことにする。

 昔、俺が住んでいた家だ。

 家は直ぐに見つかった。

 近付いてみると、人の気配は全く無い。

 家には鍵さえなく家財道具は概ねそのまま。

 持っていけそうなものだけ持っていかれた感じだろう。

 土塊を積み重ねただけのボロボロの竈があって、それだけが辛うじて我が家だったと思わせるものだった。

 家の中も失くなったり朽ちてるものはあるが、住んでいた当時の名残りが見える。


 家から出ようとしたら、少し年のいったお姉さんが通りかかった。


「あら、そこはロインさんたちが住んでいた家だよ。ロインさんの持ち家だから勝手に住むと捕まっちゃうよ」


 おばさんは俺に注意をする。


「お久しぶりです。ロインは僕の父です。僕はクウガです」

「ああ、クウガくん! 随分と大きくなって……見違えたわ。こんなところにどうしたの……ってセルムは今大変なことになってたんだったね」


 俺は九年ぶりに会った近所のお姉さんと長い世間話をする。


「そうかい……。ロインさんやラナちゃんと逸れちゃったんだね。これからどうするんだい?」

「それが、わからないんです。僕たちはセア辺境伯様についていっているだけなので」

「私たちは所詮、平民だからねえ……。お貴族様が相手ではどうにもならないものね」


 このお姉さんの言うとおり。

 貴族が相手では平民は何をしようもない。


「お姉さんの旦那さんは漁師さんでしたっけ?」

「ええ、そうよ。今日も朝から漁に出てるわ」


 俺の記憶は間違ってなかった。

 なら、俺はお世話になった近所さんを救いたい。

 そう考えて北へ逃れることを勧めることにした。


「ここはそう遠くないうちに戦場になります。船があるようでしたら皆様で北のほうに逃げたほうが良いでしょう」

「そうかい? 旦那に相談してみるよ。まあ、私たちはここに愛着があるから離れられないかもしれないけれど、子どもたちだけでも生き延びられるように考えてみるさ。クウガくんはどうするの?」

「僕はセルムの平民の視線もありますから一人だけというわけにはいきませんし……」

「何言ってるんだい、ロインさんには今まで散々に世話になってるからね。その時はクウガくんも一緒するさ」


 お姉さんはそう言って「私は水汲みの途中でさ」と離れていこうとしたが、


「ああ、その家はまだロインさんの持ち物なんだ。だからクウガくんがそこで寝泊まりをしても大丈夫だよ」


 と、教えてくれた。

 俺はありがたく昔の我が家で夜を過ごすことにする。

 屋根のあるところで眠るのは本当に久し振りだ。


 翌朝──。

 目が覚めてからというもの、入れ代わり立ち代わり近所のおばさんやおじさんたちがやってきた。

 食事など差し入れをたくさんもらって、ありがたい。


「おお! クウガだ!」

「本当にいた!」


 カイルとキウロだ。

 おお、懐かしい!

 カイルは少し太ったか?

 キウロは痩せてる!


「カイル! キウロ!」

「急に来なくなったからどうしたものかと思ったけど、セルムに急いで引っ越したって聞いてさ」

「そうそう。セルムが滅んだってきいて心配だったんだ。無事で良かった」


 二人はそう言って俺の肩を抱いた。


「カイルとキウロは何やってるんだ?」

「俺は漁に出てるんだ」

「俺はオヤジが手伝いをしてる農場で働いてるよ」


 カイルは父親が馬小屋で働いているけど、そこでは働かなかったんだな。

 でも、漁に出てるって言ってたけど……。


「カイルは今日は漁がなかったの?」

「ああ、領主様がいらっしゃってて今日は港を使うから漁を中止にされたんだ」

「なんでも建造途中で放棄された軍港と船で対岸に渡るらしくて、領兵がたくさんいて厳重な警戒態勢を敷いてるよ」


 なるほど。

 良い領主だと思ってたけど、何故か裏切られた気持ちだ。

 セア辺境伯領を放棄して魔族領へと逃げようとしてる。

 俺たち平民は帝国兵に蹂躙されるのを黙っているしかない。

 セルムが落ち着いたらきっと直ぐに帝国兵は追ってくる。

 俺はどれだけ信じてもらえるかわからないけれど、カイルを頼ってファルタの人たちやセルムの平民を何とか北へ渡らせることはできないかを相談してみることにした。


「カイル、ちょっと良いかな」


 翌日の早朝。

 俺はカイルに頼んで対岸へと船で渡った。

 その先に何があるのかを知るためだ。

 川幅はとてつもなく広く小一時間ほどっかかってようやっと着くという距離。

 小一時間ほどかけて渡った先はファルタの景色とよく似ていた。

 対岸だから当然かと思いつつ、少し歩くと小さな集落があったのでそこに行ってみることに。


 その集落には人影がちらほらと見えていた。

 近付いてみたらこっちに気がついた様子で集落から数人こっちに向かって走ってくる。


『ニンゲンがこの村に何の用だ!』


 猫みたいな人間みたいな顔をした男が俺に槍を向けている。

 三角の耳がぴょこぴょこと動いていた。

 獣人族!?

 初めて見た。

 聞こえてきた言葉は帝国内で交わす言語とは全く異なるものだった。

 だけど、何を言っているのか不思議とわかる。

 そして、何を言えば良いのかもわかる。


『対岸のファルタという町から渡ってきたクウガと申します。決して危害を加えるつもりはありません』

『ん? お前、俺たちの言葉がわかるのか?』

『──どうやらそうみたいで……。ともかく相談をさせていだきたいんです』

『戦う意思がないのは分かった。それは信用しよう。で、相談とは何だ』


 彼らは構えた武器を下げて話を聞いてくれる体勢をとってくれた。

 ありがたい。話せるのなら助かる可能性が無いわけではない。

 俺は帝国の内情を説明して、ファルタにいる平民たちがどうにかここに避難できないかを願い出た。


『別にこっちに渡ってくるのは構わねえ。俺たちに喧嘩を売らないなら俺たちからは何もしないでおいてやろう。だが、俺の村でお前らニンゲンの面倒は見らんねえ。その辺の空き地に勝手に家でも何でも作れば良いさ。俺たちの縄張りが荒らされなければ何も言うことはない』


 なるほど。彼らはどうも種族単位というかそんな感じの単位でそこかしこに集落というか縄張りを形成するらしい。

 そうなら特に移住は自由で他の集落との干渉がなければ町や村を作っても良いのか。


『わかりました。だいたい二万人から三万人が最終的に移住するかもしれませんが、そちらの縄張りに関わらなければ良いんですね?』

『三万人とは随分だな。だが、俺たちは縄張りさえ無事なら文句はねえ』

『ありがとうございます。でしたら、そちらに関わらない範囲で移住します』


 そんな簡単なルールで魔族領が成り立っていたなんて知らなかった。

 これならずっと前からでも移住できたんじゃないかとさえ思う。

 それに話ができるなら平和的に交渉をすることもできたはずだ。

 俺は別れの挨拶をして再びファルタへと戻った。


 家に戻ってから近所のお姉さんやおじさんたちに話して対岸に避難する手段を伝えた。

 カイルを通じて漁に使う小舟を使って北に渡る。

 俺は向こう岸のルールを説明すると、争わないことと他所の村に関わらないことなど、注意点の説明は伝えた。

 そして、翌朝から漁師たちの協力で対岸へピストン輸送を始める。

 最初に農民や大工、杣工を渡し、居住スペースの確保や雨風を凌ぐための臨時の建屋などを作る。

 それでも追いつかないとは思うけどそれでも徐々に進んでいけば良い。

 今は夏だから何とかなるはずだ。

 実際、今だって屋根がないところで過ごしている難民ばかりだから。

 こうして平民は平民でファルタ川を渡り、貴族は貴族でファルタ川を渡る準備をしていた。

 その間、セア辺境伯──ゴンド・イル・セアは平民への情報開示を渋り、曖昧な説明を繰り返していたため領民の間には彼への不信感が芽生えつつある。

 彼が、このファルタ川を渡れば、辺境伯としての職務を放棄したとみなされ廃爵されるだろう。

 とはいえ、帝国が攻めてきてる時点でもう帝国貴族からは失墜してるんだよな。

 既に没落した貴族。だと言うのに自らの庇護下の者たちだけで大きな船に乗って安全を確保する真似は受け入れられないと考える領民は少なくない。

 要するに、セア家はセア家で既に貴族ではないから民を慮る必要は無いと考え、領民は領民で既にセア領は滅んだも同然。

 新たな主となる帝国の異世界人に従えるか否かという選択肢で〝否〟を選択してセア家の後をとりあえずついて行っているという感じだ。

 考えてみたら他に行くところが無いんだもんな。


 そして、今日が最後。

 最後に渡る平民を運ぶ小舟に俺と彼ら彼女らが乗る。


「クウガくん──だったかしら?」


 初老を過ぎて幾許かという女性で……いくつくらいなのかわからないけれど、彼女は俺の名を呼んだ。


「──はい。そうですけど」

「そう。ロインによく似てるわね」

「父──ですか? お知り合いで?」

「ええ。私、ロインが育った孤児院に勤めてるもの。ロインがこんなに小さいときから知ってるわ」


 そのおばさんは手で高さを表現してみせた。

 父さんが孤児院で育ったというのは知っていたけど、実際にそれを知っている人と話したのはこれが初めて。


「ロインもあなたみたいなところがあってね。人を見捨てられないというか、お人好しとでも言いましょうか……それで随分と損をする性格だったけど、私たちはロインにとっても助けられていたの」

「そうでしたか……」

「確かに顔立ちなんかはお母様のほうに似てらっしゃるんでしょうけど、声や仕草、それに性格なんかはよく似てる。まるであの子をまた見てるようで、懐かしいわね」


 おばさんと話していて、父さんのことが気になった。

 今どうしてるんだろう──と。


「父はセルムから逃げる時に逸れてしまいまして……」


 そう言うと、おばさんは俺に隣に座れと手でポンポンと開いてる座席を叩く。


「大変だったねえ。その年で随分と大きな苦労を抱えて……ロインも良く抱える子だったけど、あなたも同じ。それは、とっても嬉しいことだけど──」


 俺が隣に座るとおばさんはそう言って俺の頭を抱き寄せて優しく擦ってくれた。


「──だからって全部一人で背負わなくたって良いんだよ。ロインに会ったら、そう伝えておくれ。ルーサがそう言っていたよって……」


 それから対岸に着くまでの小一時間。

 俺は父さんの昔話を聞く羽目に。

 ちなみにこのルーサというおばさん。父さんの初恋の人なのだそうだ。

 湯浴みを覗いたり下着をくすねるなど、とても信頼のおける冒険者とは思えない行動をしていたらしい。

 年頃になるとおっぱいに顔を埋めに来るなど、そういったいたずらを良くしていたそうだ。

 確かに、このルーサという女性は胸がある。ちっぱい母さんでは話にならないほどに。

 なお、父さんは小さい頃から、


『俺、ルーサと結婚するッ!!』


 と言って憚らなかったそうだ。

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