学校

 入学式の翌日。

 俺は寮に入らず平民街から徒歩での登校のため早めに家を出て教室に入る。

 教室では既にニコアがおり、席に座って何やら教科書を読んでいた。


「ニコア様、おはようございます」

「ごきげんよう。クウガ。学校内では身分は関係ありませんから私の名に〝様〟はいらないわ。ニコアとお呼びください」

「善処します」


──かしこまりました。


 と、答えることもできたけど、いくらなんでもニコアと呼び捨てにすることは出来ない。

 ニコアさんと呼ぶことにしよう。そう考えて出てきた言葉が善処しますだった。


「はあ、まあ良いわ。クウガ、あなたに聞きたいことがあったの」

「なんでしょう」


 俺は机の席に座り、カバンから教科書を取り出して机の物入れに突っ込む。


「あなたが昼食会にいらっしゃったときにお父様が話していたあなたのお母様のアンクレット。何となく気になって探せないかと思って……」


 あの時の会話、聞いてたんだね。

 ニコアはそれをずっと気にしていたらしい。


「どの辺りというのがわかれば良いんですけど、子どもだけではセルム湖岸に出ることはできませんし……」

「そうよね……。私が誰にも悟られずにセルム湖岸から森に入ることも難しいので──。あのときから気になってずっとモヤモヤしてるのが気色悪いのよ」


 というのはきっと、父親の初恋相手で迷惑をかけて大事なものをなくしたことで父親との接点がなくならないことを気に病んでるのか。


「確か、セルム湖岸で野営実習という行事がありましたよね?」

「野営実習は私たちが四年生になった夏にするもので随分先のことじゃない?」

「ですが僕らだけで湖岸に行けるのはそこしかありません」

「そうね……確かに」

「湖岸に出られれば森に忍び込むことはできると思いますけど、そのアンクレットとやらがどこに隠されたのかが分からなければあまり意味がないように思います」

「アンクレットの場所は良いの。父の性格ですから何となくわかります」


 それでわかるって凄いな。そう思っていたらニコアが言葉を続けた。


「今のところは仕方ないわね。私たちはまだ十歳になろうという子どもでしかありませんから。何かしら手段がないか考えておきます」


 母さんのアンクレットの話はここで一旦終わった。

 これ以降、この話をすることはないまま月日が流れていく。



 十二歳になり十三歳を迎えるこの年、俺は領民学校の四年生になった。

 二歳年下のリルムも領民学校に入学することが出来て、彼女は二年生。


「クウガは今日から野営実習だっけ?」


 朝、相変わらず綺麗な母さんが食堂に料理を運んでくると、俺と一緒に席に座るレイナが俺に訊く。


「はい。ですので、今日は家に帰りません」

「えー。じゃあ、今日はクウガくんのお茶が飲めない……」

「このあと作りますからそれで我慢してくださいよ」


 レイナは公爵家のご夫人で別居中の身。

 セア辺境伯当主のゴンド・イル・セアの実妹でまだ彼女の母親がご存命だから実家に帰れば良いのに、この家に住んでいる。

 彼女と生活してもう六年だ。

 貴族のご令嬢だから早めに子を産めば良いのに嫁いだ先はマザコンで、彼女の夫であるロマリー家の嫡男が有利な条件で離縁したいからと異世界人と事に及ばせようと結託していたらしい。

 それで逃げてきたのだけど、そこで俺の母さんが貴族街と平民街を隔てる内壁の直ぐ側に引っ越したのを知って、レイナは実家より母さんの庇護下に入ることを選んだ。

 その割を食ったのが父さんで、ここ二年は辺境伯からの指名依頼を受託せざるを得ない状況にあった。


「おはよう。クウガ、リルム」


 父さんが食堂に入ってくると学校に行くために早めに朝食を取っていた俺とリルムに挨拶をする。

 続けて、レイナにも「レイナ様。おはようございます」と声をかけた。


「おはよう。ロインさん。今朝はいかがでしたか?」

「今朝も、あちらの偵察がいらっしゃっておりましたね。衛兵には既に伝えてありますので対処いただけるでしょう」

「ありがとう。ここは本当に良い家ね。とても助かってるわ」

「お褒めに与り光栄です」


 父さんが頭を下げて自分の席につくと、母さんが父さんの分の料理を運んでくる。


「全く、厄介事を持ってきてさー」

「お姉さま、そう言わないでくださいよー……って、お姉さまだって狙われてるじゃないですかー」

「本当に迷惑な話よね。私の夫がロインじゃなかったら私もレイナも本当に大変なことになってたね」

「やー、ほんと、お姉さまには助けてもらってばっかりで、それに、ここには世界一の私専属の給仕もいるし」

「クウガがいつあんたの専属になったんだよ」

「えー、もう良いじゃないですかー。私のおかげでロインさんがお姉さまの傍にいられるんですよ?」

「それだけはありがたいって思ってるけどさー」


 母さんとレイナは相変わらず仲が良い。

 しかし、こうなったのは二年前。母さんとレイナがリルムとクレイを連れて貴族街にリルムの制服の採寸をしに外出した際に帝国軍の暗部と思わしき兵士に襲われたことに発端。

 貴族街で魔法を連発した母さんによって撃退に成功したものの、この刃傷沙汰は事件として扱われ、レイナが辺境伯の保護の対象となった。

 そこで斥候の恩恵で索敵や察知などの能力が高い父さんにセア辺境伯が指名依頼を冒険者組合ギルドに提示。銀級三階位の父さんは冒険者組合の指示を受け、我が家でレイナの護衛をさせられているわけだ。

 要するに父さんはこの二年間。ずっと家に引き篭もってお金をもらっている。

 なお、我が家の周辺には衛兵として領兵が待機していて、父さんが敵性行動を察知した時点で領兵に知らせ、帝国軍を次々と摘発し続けていた。

 母さんも狙われていると分かったのは捉えた帝国軍の監視対象がレイナとラナだという自白があったのだ。

 この帝国軍の暗部を動かしているのがつい先日、魔王の討伐に成功した異世界人とロマリー公爵家。

 ロマリー公爵家がレイナの身柄を要求するのは彼女の嫁ぎ先だから分かるとして、異世界人がどうして母さんとレイナを要求しているのかは良くわからない。けれど帝国から放たれた暗部の自供ではっきりと異世界人から指示を受けていると言っていたのだ。


「何で私なの? って思いません?」

「それは全くの同感だけどさー」

「それに直接言ってくるならわかるけど、あのヒトも勇者もやり方が汚いのよ。男なら正々堂々と真正面から訴えてほしいわね。そしたら、きっぱりお断りして綺麗サッパリ終わりにしたいのに」


 レイナはロマリー家で退っ引きならない事態に陥ったらしく、それに酷く憤慨していた。

 嫁いだ先の夫のデム・イル・ロマリーがマザコンで嫁には一切目をくれず、真っ昼間からロマリー公爵の夫人である実母との逢瀬に勤しむ始末。

 コレオ帝国の第一皇女のミル・イル・コレットに水属性魔法の詠唱を省略する方法を教えるために何度か登城していたレイナは、勇者の如月勇太──クラス委員長に何度も言い寄られる。

 登城をすれば執拗に付き纏われ、用を足すときですら彼に覗かれたりと、レイナはおおよそ勇者と思えない行動をする如月を近寄りたくない気色が悪い男という印象で見ていた。

 レイナが公爵家から逃げ出したのはそんなことが続いたある日。

 その日は昼間だと言うのに珍しく夫と義母の逢瀬で響く嬌声が聞こえない静けさで、レイナはそれを不信に思いロマリー家の使用人に訊いた。


「今日は随分と静かだけど、何かあったのかしら?」


 レイナの質問に使用人は答える。


「先程、勇者の如月勇太様らご来訪いたしまして何やら密談のようなものをしておりました」


 レイナは夫と勇者に繋がりがあることを知り一気に顔が青褪める思いに陥る。


「それだけ?」

「いいえ、何やら客室の一つの清掃をお願いされました者もおりまして──」


 使用人の回答にレイナは嫌な予感がした。

 その時、レイナに割り当てられた私室にもうひとりの使用人がやってきた。


「レイナ様。デム様が客室の方までいらっしゃるよう言伝を戴いてまいりました」

「そう。ありがとう。客室にはどなたが?」

「デム様と勇者様がお待ちしております」

「──そう。わかりました。ありがとう。下がって良いわ」


 自分に指の一本も触れない夫が、私に付き纏う勇者の居るベッドのある客室に呼ぶ。

 それがどういうことか、レイナは察した。


──嗚呼、私。売られたのね。


 レイナは少しばかりの金貨をポケットに入れてから私室を出た。

 客室の前を通過し、裏口から抜け出す。

 着の身着のまま公爵家を出たレイナは服や装飾品を売って装いを変え、乗り合いの馬車を乗り継いでセア辺境伯領へと逃げ果せた。

 彼女は彼女なりに大変だったらしい。

 それにしてもクラス委員長だった如月きさらぎ勇太ゆうたが勇者というのは良いんだけど、レイナに対してストーカー紛いのことをしでかすなんて。

 前世の記憶から彼の人物像を掘り起こしてみても、そんな人間に見えなくてなにかの間違いなんじゃないかとさえ思った。


 俺は朝食を食べ終えて、母さんと交替で台所に立つ。

 食後のお茶を煎れるのだ。

 ファルタに住んでいた頃は母さんがお茶を煎れてくれて、羊乳を注いで俺に飲ませてくれてたんだよな。

 俺とリルムは小さい椅子に並んで座って「おいしい」って母さんのお茶を味わった。

 お茶を煎れていると、最近はそんな昔のことを良く思い出す。

 で、お茶の入ったポットを食堂に運んで配ったカップにお茶を注ぐ。


「ん、相変わらずクウガのお茶は美味しい。ありがとう」

「はー。私、本当に、この一杯のために生きてるわー」


 母さんとレイナはいつもそうやって喜んでくれる。

 見た目の良い美女の笑顔は心が和む。


「ん。美味い」


 と、父さんはいつも言葉が少ない。

 リルムにお茶を注いだらミルクを追加する。

 もうすぐ十歳になるリルムは未だにお茶にミルクを足したものが好きだ。


「お兄ちゃん、ありがとう」


 昔みたいに舌っ足らずな喋り方ではなく、ニコリと桜華爛漫な笑顔を向けてくれている。

 思い返すと舌足らずなあの喋り方、あれはあれで反則級に可愛過ぎた。

 時間を巻き戻せるなら、あの時のリルムともう一度一緒に過ごしたいとそう思う。

 ここにまだ居ないクレイは少しお寝坊さんで起きてくるのがいつも遅い。

 けど、彼は猫舌なので今のうちにお茶を注ぐ。彼のお茶にもミルクを追加。


 最後に俺のカップにお茶を注いで椅子に腰を下ろす。


 これがこの家で過ごした最後の朝となることをこの時の俺はまだ知らなかった。

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