異世界人 二

 異世界人の勇者一行が魔族領への侵攻を始めてから四年。

 魔族に対して絶大な能力を発揮する勇者・如月きさらぎ勇太ゆうたを中心に編成された帝国軍の快進撃で魔族領の半分近くの領土をコレオ帝国の支配下に置いた。

 十六歳のときに異世界に転移して既に九年。ここに来てようやっと、ミル・イル・コレット第一皇女が召喚時の盟約とした魔王の討伐が見えてきた。

 とはいえ、魔族領へと侵攻を深めれば深めるほどに激化する魔族の抵抗。

 帝国軍はその対応に苦慮しつつあった。


 最前線ではほぼ常に、魔族との衝突を繰り返している。

 傷付く兵士たちの治療のために聖女・白羽しらは結凪ゆいなは出ずっぱり。

 休む暇も無く、次から次へと押し寄せる負傷者の対応に当っていた。


「聖女様。そろそろお休みになられたほうが良いのでは?」


 帝国軍の白魔道士隊の幹部が結凪を休ませたがっていた。


「でも、私が休めば皆が……」


 ある時、結凪は言葉を取り戻した。

 彼女の首元を飾る小さなボタンが四つ施されているネックレス。

 それが結凪の心の支え。

 それに、部位の欠損を完全治療できるのは彼女だけ。

 激しい戦闘が繰り返されていて怪我人が多数というこの状況を乗り越えるには魔王軍の疲弊を待つしかない。

 ここで堪えなければ帝国軍は後退を余儀なくされる。

 ここで結凪が休めば治るはずの者が治らず、戦地に復帰できないことで多くの死者を出してしまう。


「私が回復を怠ったせいで負けるということは許されませんから」


 結凪は帝国から支給されているマジックポーションを一瓶飲み干して、治療を再開した。


 本陣では如月を中心に何人かの帝国軍幹部と数人の異世界人で軍議を催している。


「戦況は厳しいな……」


 如月は勇者という恩恵であるが故、本格的な戦闘経験は魔族領に入るまでなかった。

 同じく異世界から召喚されて転移したクラスメイトたちと違い、魔族に対して絶大な力を発揮する勇者の権能はヒトに対しては抑止力が強くデバフでしかない。

 そのため、帝国軍が周辺の小国を制圧する戦争では帝都に留まっていた。

 そして四年前。魔族領への侵攻が始まってようやっと出番が回ってきた格好だ。

 帝国軍は剣聖の塚原つかはら紫電しでんと狂戦士の恩恵を持つ川田谷かわたや緒方おがた、そして、聖騎士の一条いちじょう栞里しおりが交替で前線に出て戦っている。

 一条が持つ聖騎士という恩恵は、聖女と共に戦うことでしか権能の効力が得られないため、聖女の白羽結凪と前線に出ていなければならない。

 帝国軍はこの聖騎士と聖女が揃って戦場で行動しているときが最も強力で、前線の押し上げに一役買っていた。

 後方の魔法兵団は魔法を使う恩恵を持ったものを中心として構成されている。

 特に魔女の恩恵を持つひいらぎはるかは戦略級の魔法を連発するため聖騎士と聖女が後方に陣に下がっている時の防衛戦としての効果を発揮。

 彼女と交替でその役を担う賢者の高野こうの貴史たかしは柊ほどでないにしろ充分な牽制として機能する。それに彼には回復魔法が使えるため聖女のように部位欠損こそ完全治療できないものの高い継戦能力で帝国軍の戦線を支えていた。


「ここまでは順調だったんだけどなあ。一筋縄ではいかないねー」


 背中に長い両刃の剣を背負う塚原の発言は続く。


「こっちも白羽を中心に何とか持ち堪えてるけど、魔王軍はまだ手が緩まないんだよな」

「結凪はもうずっと寝てなくて休まないと本当にヤバいよ。良い加減少しでも良いから休ませてあげたいんだけど」


 一条は言った。


「俺と高野が戦場に出るタイミングまで何とかならない?」

「ちょっと厳しいと思うよ。本当に全然寝てないんだよ?」


 如月は決断をしなければならないと考える。

 自分も充分な休息を取れていなくて戦場に出て戦えるのか自信がなかった。

 それに計画ではあともう少しで援軍が到着するはずだ。そう考えたら最も効率の良い白羽結凪に聖女としての権能で戦い続けるのが最適解だと結論する。

 ただ、一人の女性に極めて大きな負担を強いることは誰もが憚る思い。

 そんな時、帝都に使わせていた大滝凌世が本陣の天幕に入ってきた。


「今、戻った」

「お疲れ様。急がせて悪いね」

「ああ、すっげー疲れた」


 如月が大滝を労うが、腰に幅広の剣──青竜刀をぶら下げる大滝は表情を崩さず低い声で応じる。


「どうだった?」

「援軍のほうはまもなく来るよ。俺が帝都に行ったときにはもう増援の準備と開拓団の編成が整ってたから対応が早かったよ」

「そうかそれはありがたいな」

「で、増援の総大将に皇太子が着任して、こっちに到着次第、如月からデルメ皇子に権限を移譲という手筈らしい」

「そっか……」


 如月は足掛け四年でここまで何とか辿り着いたというのに、ここまで積み重ねてきた戦果こうも簡単にすげ替えられるのかと消沈。

 しかし、総大将の座から降りれば一兵卒として動きやすくなるのも事実。そう考えると全体としては悪い判断ではないと考え至る。


「ああ、あと、如月が気に入ってた人妻さんの居場所も掴めたぞ」

「本当か?」

「高野にも続報があるし、伝えてくるわ」


 大滝はそう言って天幕から出ていった。

 如月への朗報と高野への朗報はある意味同種のもの。


 如月は転移してからしばらく、帝城に留まっていた。

 ある日、如月が城内をぶらぶらしていた時に見かけた女性。如月はその女性に一目惚れ。

 何やらミル皇女と親しいらしく定期的に帝城に訪れているらしい。

 如月は彼女を見かける度に後をつけた。

 時にはトイレにまで忍び込み彼女の様子を観察する。

 それから見ているだけでは我慢出来ずに声をかけた。

 初めての告白だった。そして、如月にとって名のわからないその女性からは「私は既に結婚しておりますからお断りいたします」と断られた。

 それでも、諦めきれなかった如月は見かける度に声をかけてしつこく付きまとう。

 見かける度に話しかけては断られ続けたが、如月は諦めずに迫り続けた。


「あなたが結婚していて、もし、子どもがいたとしても俺は気にしません。お願いします」


 女性は「何をお願いしますなのか意味がわからない。私には夫がいるから、他の男性とこうしてお話することもありません。もう止してください」と強い語気で返される。

 如月は我慢の限界だった。

 どうしてもこの女性ひとを自分のものにしたい。俺は異世界から召喚されて勇者になった。

 この世界では崇奉される存在だ。この世界の人間は俺の言うことを聞くべきなんだ。

 そう信じて止まず、女性に更に言い寄る。


「俺は異世界から来た勇者。皇帝だって俺のことを〝様〟付けで呼ぶほどの人間。俺のところに来い。さもなければ皇帝に取り計らって俺の下に来るように命じることもできるんだぞ!」


 そう強気で迫った。

 だが、それでも、女性は屈することがない。


「民の英雄になろうとも言うお方がそういった脅迫紛いのことをするのは、お止しされたほうが宜しいのではないでしょうか?」


 人の妻を権力によって強引に奪い取ろうとする言動はとても英雄とは言えないもの。もしそれが罷り通るなら勇者に相応しくない。

 彼女は暗にそう伝えた。

 それでも如月は手を伸ばし、彼女を奪い取ろうとする。

 ところが、急激に力が抜けた。

 力を込めて伸ばした手は彼女が身を翻すだけで振り払われ「おわかりいただけなかったようですね。ですが、このことは公言いたしませんから。どうかご自愛くださいませ」と吐き捨てるように言葉をかけて、女性は去った。

 勇者の権能は同族への危害を許さない。

 英雄であろうとする権能が故に人類に仇なす存在には強力な力を発動するが、守るべきものに危害を加えようとすると強烈に力が削がれる。


「くそッ! 何でだよッ!」


 如月は悔しさのあまり壁を殴って穴を空けた。


 この女性こそがセア辺境伯家のご令嬢でロマリー公爵家に嫁いだレイナ・イル・セアだった。

 レイナにしてみれば同じ水属性魔法の使い手であるミル第一皇女に無詠唱魔法の使い方を教えるために通っていた。

 それが、この一件でレイナが登城することを拒むようになる。

 その後、如月はレイナの身分を突き止めて彼女の夫であるロマリー公爵家の嫡男を呼び出した。

 極度のマザコンの彼にしてみれば実母との時間を削がれたくない想いからレイナを排除したいと考えているため、レイナをモノにしたいという如月との思惑が一致。

 彼と結託してレイナを無理矢理にでも自分のものにしようと計画を立てて実行に移したその日。

 レイナが公爵家から飛び出した。

 それ以降、レイナの行く先を特定できず、調査を頼むこともままならない。

 それでも如月はレイナを欲しがっていた。


 このレイナとの一件は、異世界人の男子の間ではある程度知られた話だったので、塚原は、


「お前、まだ諦めてなかったの?」


 と、如月に呆れていた。

 塚原の言葉に口を噤んだ如月に塚原は「拘らなかったらもっと他の女と上手いことできるだろ」と如月の肩に手を置いて小さい声で言う。


「そうなんだけどな。何か見たらこう……ね?」

「わからなくもないけどさー。高野といいお前と良いさ。ってかお前、白羽にも言い寄ってなかったか?」

「あれは気の迷いみたいなもんだよ」

「お前、良い顔して意外と酷い奴だよな。まあ、良いけどさ」


 塚原は如月の肩に置いた手を話すと「まあ、上手いことやれや」と天幕の奥に行く。

 再び前線で戦うために一時の休息を取る。


「それにしてもここで指揮権がなくなるとは思わなかったなー」


 如月はため息をついて呟いた。

 最後まで残っていたのは一条で、彼女は天幕から出て結凪のいる陣に行こうとしたが、足を止めて言葉を紡ぐ。


「ここまでは予定通りじゃない? 魔族が相手なら如月くんを指揮官に置いておくより前線に出てもらったほうが良いだろうからね」

「それもそうなんだけどね」

「私は結凪のところに戻るから、なにかあったら呼んで」


 そう言って、天幕から出ていった。


「それにしてもセア辺境伯家か……よりにもよって」


 セア辺境伯は異世界人がファルタに滞在を初めた時に何者かに斬り捨てられて死亡した。

 その時に、その犯人がファルタの銅級冒険者のロインという男ではないかと容疑をかけたのが同じく異世界人の高野。

 だが、ロインは肩から刃を入れて斬り殺すような武器の使い手ではなく、セア辺境伯のガレスが殺された日にロインはセルムの冒険者組合に登録して依頼をこなしていたためアリバイがあった。

 それが原因でセア家から異世界人たちが疑われ、以降、異世界人が関わる物事の全てにおいて、セア家からの協力は得られていない。

 魔族領制圧にも参加しないセア家は国賊として討伐される対象になるのではないかと思われたがガレスが殺害された原因を特定しない限り異世界人への協力はしないと宣言されている。

 そのせいでファルタでの軍港の建造は頓挫し、コレオ帝国の北東部から魔族領へと侵攻をしている。

 そこは異世界人が平定した小さな国家で帝国軍へは非協力的だがセア辺境伯領ほどではない。

 そういった地勢的な環境も含めるとレイナを手にするのは困難に思えた。


「俺のレイナを手に入れるためにはセア家をなんとかしなければいけないということか……」


 どうするのが最適解か。

 クラス委員長だった如月は、自らの恋慕の成就のために、ある方向性を見出しつつあった。

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