馬車
正装の仕立てに行ってから二ヶ月。
ついに領城に登城する日。
家族五人と公爵家のご夫人のレイナの六人でセルム城へと向かった。
セア領民学校に入学する日まで数週間というこの時期。
昨年の入学選考の最優秀成績者だとかで領城に招待されたのだ。
朝、軽めの朝食を済ませて部屋で着替えてから居間に入ると、父さんとレイナが既に着替えを終えて皆を待っていた。
「お、決まってるねー。見た目が良いから下手な貴族よりもずっと上品ね」
家出中の公爵家嫡男のご夫人のレイナ。
彼女は胸元が少し強調された上等なドレスに身を包んで綺麗に化粧まで済ませている。
こういう服装だと本当によく映える。
おっぱいが大きくて腰が細い。
ちっぱいな母さんではこのような服装はできないだろう。
「それが今回、仕立てた正装か。なかなか良い出来だね」
父さんも正装なんだけど、これがまた立派な服装だ。
引き締まったスリムな体型に美丈夫。
また、どこぞの貴族のご令嬢やご婦人方に色目を向けられるに違いない。
「僕ではこういう服を選べないから、レイナさんが選んでくれたので、そのおかげです」
俺がレイナを呼ぶ時は本来なら様をつけなければならないのに〝様〟をつけると怒られるので緩い敬称で呼ばせてもらっている。
レイナは平民のこの家にずっと入り浸ってる。
上級貴族だというのに、孤児院出身者と父さんや母さんの家に居候状態というこの状況。
どう考えたっておかしいのに、レイナの実家の辺境伯家から何も言われていないというのが異常だと俺は思っていた。
で、初めて見る父さんと母さんの正装。
母さんが二階から降りてきてリルムとクレイを連れてきた。
リルムもクレイも上等な服を着ていて、母さんは胸元が隠れて飾りが目立つドレス姿を着用。
化粧もバッチリ決まっていて、どこからどう見ても傾国の美姫と評価されそうな眉目秀麗さ。
レイナはそんな母さんを眩しそうに見て嬉しそうな表情を浮かべていた。
残念なのはやはりちっぱいだという一言に尽きる。
胸元の大げさな飾りは胸の小ささを誤魔化すためだろう。レイナとは対照的である。
「やっぱり、ロインはそういう格好すると際立つわー」
母さんは父さんを最初に褒めた。
滅多に見ることのない正装姿だもんな。
「お姉さまの正装。私、初めて見るけど凄すぎる」
「ありがとう。めったにこういう格好しないから不安でさ」
「お姉さまのその顔で不安とか、逆に他の人だったらもっとだわ」
「ははは。私、礼儀作法とか冒険者だったときにちょっとかじっただけで全然だからおかしなところがあったら教えてよ」
「ふふふ。お姉さまが私に教えを乞うだなんて新鮮! 任されましたわ」
「ええ、お願いね」
とまあ、そんな感じで母さんとレイナがやり取りをして、
「そろそろ迎えが来るわ」
と、レイナの言葉で俺たちは家の戸締まりをして玄関を出た。
門の前に馬車が止まっていた。
二頭立ての普通の大きさの馬車だ。
馬車といえば、以前、ファルタで見た八頭立ての超大型の馬車を思い出す。
あの馬車には俺の前世のクラスメイトたちが乗っていて帝国の快進撃の象徴みたいなものだった。
華美な装飾を施した特別製の超大型馬車はこの大陸で二つとない豪華なもので帝国にとっては世界最強だと威信を示す旗幟なのだろう。
「お迎えにあがりました。クウガ様とご家族様。どうぞご乗車ください」
御者が乗降口の前に立って車内へと案内する。
俺が最初に乗り、最後にレイナが入ってきた。俺は何故か母さんとレイナに挟まれて、正面に父さんがリルムとクレイの間に座ってる。
御者は車内の俺たちが座席に着いたことを確認すると、
「では、参ります」
と、扉を締めて、御者席に戻った。
馬車に乗るのは初めてだ。
どことなくソワソワしてると、レイナが俺の耳元で囁いた。
「クウガくん、馬車に乗るの初めて?」
なぜ、わざわざ耳元に口を寄せるのか。
微かに香る香水の香りが、俺を居た堪れなくさせる。
「は、はい……。馬車は初めてです」
俺がそう答えると、母さんとレイナが揃って笑い出した。
「私はこう見えても冒険者時代に何度も馬車に乗ってるからね」
俺が初めての馬車で緊張してるのかと思ったのか、俺が緊張で固くなっているのを二人に揶揄われているらしい。
ケタケタと笑った母さんからも、香水の香りが漂ってくる。
レイナの匂いと混ざり合って、なんとも言えない感じだけど、そのせいで居た堪れなさが数倍に膨れる思いだ。
俺の緊張は初めて乗る馬車よりもそういったものから来るものだった。
馬車は石畳の上を進み、車内は石畳の繋ぎ目で車輪からガタガタと音をさせて車内を揺らす。
座面はクッションが敷かれているけど、車輪から伝わるショックを緩和させる程度で尻や腰への刺激が強い。
正直、乗り心地は悪かった。
領城についたのは家を出て数十分後。
思ったよりも遠くない距離だ。その数十分で俺の腰は馬車の振動で痛んでる。
「初めての馬車はどうだったかな?」
レイナは揶揄うつもりらしいが、俺にそんな余裕はない。
「お尻と腰が痛い……」
何とか声を振り絞った。
すると、レイナが俺の腰に手をあてがってくれる。
この人、ふざけたことを良くするんだけど時々、めちゃくちゃ優しい。
「すごく揺れるもんね。馬車に乗って身体が痛くなるって人、結構いるのよね──ってそういえば……」
馬車から降りるとレイナが気軽に話をしながら先導をしてくれる。
俺と父さんは緊張して動きが固く、母さんとレイナは慣れた様子。リルムとクレイは領城の剛健な作りに目を輝かせていた。
で、レイナは馬車の話を続ける。
「帝都では異世界人が、「この世界の馬車は痛い」って言って、生産系の恩恵持ちが中心になって新型の馬車を作ったのよ。これが色んな所で好評でね──」
レイナの話では帝都には揺れない馬車というものがあるらしい。
王族やそれに近い公爵家にのみ所有が許される代物で、それを異世界人たちが発明した。
前世の俺のクラスメイトが作ったということか。レイナは公爵家に嫁いだ身だからそういった情報が耳に入ったんだろう。
レイナがセルムの──家に入り浸り始めてはや二年。それまでの情報をレイナは持っているということになる。
クラスメイトと言っても、俺はもう死んだ人間で別の人間としての人生を歩んでるんだから、俺にはもう関係のない人間たちだ。
レイナから異世界人について聞いたところで俺にとっては雲の上の話でしかない。
だから俺には関係ないとそう結論を出して、せっかくのお城を堪能しようと城内を観察。
足下は大理石が敷き詰められた床でピカピカに磨かれている。
ところどころに絨毯が敷かれているのは滑らないようにするためだろう。
壁は石、コンクリートがバランス良く配置されて頑丈そうに見えた。
「こっちに行くと謁見の間になるんだけど、今日はここじゃなくて、こっちなんだ」
レイナが謁見の間と言った衛兵が居る扉の前を通り過ぎて、更に奥へと進む。
城内をレイナの先導で平民がぞろぞろとついていく様子がシュールなのか城内の騎士たちからの視線が痛い。
「今日はこちらよ」
レイナは扉の前で足を止める。
扉の両脇に騎士が立っているがレイナを見て敬礼をした。
騎士は貴族の出のものが多く、平民の俺が彼らから敬礼を向けられるのは、なんとも言えない気持ちだ。
「準備はできているようですので、どうぞお入りください」
騎士たちが扉を明けて入室を促すとレイナが「ご苦労さま」と声をかけてから入室。
部屋はどうやら食堂のようでテーブルには数々の料理が用意されていた。
部屋に入ると正面にゴンド・イル・セア辺境伯とそのご夫人のセイラ・イル・セア。彼らの左に用意されたテーブルにニコアとセインが座っている。
「お兄さま。お姉さまをお連れしました」
「ああ、ご苦労。レイナは適当に座ってくれ」
「ええ、でも後で座るから今は良いわ」
レイナはそう言うと横に下がって俺がゴンドを向き合うかたちになった。
俺は片膝をついて頭を下げる。俺の後ろにいた父さんと母さんも膝をついて頭を下げる。
リルムはクレイに「頭を下げるのよ」と小さな声で伝えてからぎこちなく膝をついた。
「ようこそ。クウガくん。五年ぶりだと思うけど大きくなったね。ラナの昔の姿に本当によく似てる」
「お久しぶりです。ゴンド様。本日は昼食会にお呼びいただき誠に光栄にございます」
「ん。頭を上げなさい。それと席についてくれ」
ゴンドの許しがあったので頭を上げ、立ち上がり俺はゴンドの真正面の席の椅子の傍らに立つ。
すると、レイナがすーっと俺の右に来て椅子の横に立った。
「レイナはそこで良いのかい?」
レイナの行動を見てゴンドが尋ねると「もちろん。私、クウガくんの隣に座りたいの」と言う。
やれやれといった表情で「そうか。なら良い」と声にした。
俺の左に母さんが座り、その左に用意されたテーブルに父さん、リルム、クレイの順に席に寄った。
ゴンドが頷くとレイナが俺に「座ろうか」と言ったので、俺が座ると母さんたちも一緒に腰を下ろす。
「それでは、本日はセア領民学校の入学選考で大変優秀な成績を修めたクウガくんを招かせてもらった。セア領民学校史にでは──いや、我が領史において、平民が最優秀成績者となったは初。それをこうして我が城に招いて歓待の場を設けるのは、身分に問わず優秀なものに貴賤なく報奨を与えることを意味し、それは民の結束をより一層強めるものとなろう。このような大変貴重な──そして、歴史的な時事に私が当主として関われたことを誇りに思うこととし、この昼食会を後世に語り継げるものとしよう。クウガくん、おめでとう。そして、本当にありがとう。私はキミを歓迎するよ」
俺はただご飯を食べるだけだと思っていたのに。それとはまたちょっと違った雰囲気だ。
「まあ、ちょっと大げさだけど、ここにいるのは私たちだけじゃないし、ポーズとしてはとても良いんじゃないかな。クウガくんもそう思うでしょ?」
レイナが俺の耳元に唇を寄せて、そう伝えてきた。
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