引っ越し

 セア辺境伯領の領都セルム。

 ファルタから南東に歩いて七日目の昼下がりにセルムの外壁の門をくぐって市街地に到着。

 母さんの冒険者証が身分証明となってすんなりと領都に入れた。

 ある意味、顔パス。母さん凄い。

 セルムも一面、雪景色。

 大きな通りは石畳になっていて馬車の車輪の跡で石が露わだけど、大通りから外れると土の上に雪が積もり、人がすれ違う程度の道しか出来ていなかった。

 外壁を背にしてしばらく歩く。

 数時間ほどかけて空が赤らむ夕方になってようやっと、平民向けの宿屋街に着いた。


「孤児院に寄らなくて良かったのか?」


 途中、父さんが母さんに訊いた。

 セルムの孤児院はセルムの南端──外壁の近くで日当たりの悪い場所にこじんまりと存在する建物らしい。

 宿屋街からそれほど離れていないところにあるみたいだけど、母さんは孤児院のことは口にしていなかった。

 それで父さんが気を利かせて母さんに訊いたのだろう。

 だけど母さんはいつでも行ける場所なら今じゃなくても──と思っているのか、そんなようなことを口にする。


「今は良いかな。住まいを決めてロインが仕事を始めたら顔を出そうと思ってるの」

「それで良いのか? 世話になった人がいるならもっと早くに顔を出しておいたほうが良いんじゃないのか?」


 父さんから見ればお世話になった孤児院だから戻ってきたら顔を出すのが筋だと考えているんだろうけど母さんはそうではないみたいで──、


「あそこに顔を出すとやっかいなものが出てきそうでイヤなのよね。だから後回しで良いよ。気が向いたら行くつもり」


──だそうだ。

 セルムでは宿が直ぐに決まった。

 ここまでの七日間。野営は一度もしていない。

 夜を通して歩き続けたことはあったけど、通りすがった宿場町でそれなりの宿を泊まり継いでセルムに向かった。

 今回泊まる宿も、


「代金は一部屋で金貨一枚と銀貨二枚になります」


 と、小綺麗な宿の柔らかいベッドで寝泊まりが出来ている。

 なぜ、そんなに上等な宿に泊まれる金があるんだ。甚だ疑問。

 部屋の鍵を受け取って、クロークから離れようとしたら、奥から出てきた女将さんに母さんが話しかけられた。


「あら、ラナちゃんじゃない。久し振りね。元気にしてた?」

「ご無沙汰してます。元気でしたよ」

「そちらは旦那様? それとお子様が二人?」

「ええ、旦那のロインで、お兄ちゃんのほうがクウガでこっちは娘のリルム」

「旦那さん、イケメンねぇ。さぞモテるでしょう? ラナちゃん大変じゃない?」

「ええ、それはもう」

「ずっと見られなくて心配だったから、おばさん、安心したわ。セルムにはしばらく滞在するのかい?」

「いいえ。こちらに住むつもりでファルタから移ってきたんです。明日から家を探すつもりで──」

「そう。だったら、私が世話になった仲介人を紹介しようか?」

「紹介に与れるなら、早めに住まいを決めたいので助かります」

「ん〜、じゃあ、明日。朝食の後に連れて行くよ」

「ありがとうございます。お願いします」


 どうやら、ここは母さんが見知った宿のようだ。

 おかげで晩ご飯は金額以上に手の込んだ料理が出てきて、とても有意義な晩餐になった。

 母さんありがとう。と思うんだけど、母さんは俺が生まれてくるまで一体何をしてきた人なのか、とても気になる。


 それから翌日──。

 朝食を済ませたら女将さんが母さんを呼び出して何やら話をしていた。

 しばらくして朝食のテーブルに戻ってきたら、


「さあ、行こうか。すぐ近くだから女将さんも一緒に来てくれるってさ」


 と、母さんの横に女将さんが並び立ってた。


 女将さんが紹介してくれた仲介人は女将さんが代々お世話になっている割と信頼のできる不動産業を営むおじさんだった。

 宿からも近い。


「ジョン、いるかーい」


 仲介人さんの家のドアを女将さんがどんどんと叩く。


「おいおい、気がついてるよ。全く、ローズはいつも乱暴だ」


 ジョンという男性が家から出てきた。

 父さんよりも背が高い。


「お客様をお連れしたよ。家を借りたいんだってさ」

「それはそれは───と、ラナ様でしょうか。初めまして。お話は常々伺っておりました」


 母さんが様付けで呼ばれていることにびっくり。


「はい。本日はよろしくおねがいします」

「ええ、ええ。こちらこそ。私はジョンと申します。どうぞよろしくおねがいします」


 挨拶を簡単に交わすと仲介人のジョンが「ここでは何ですからどうぞお入りください」と家の中に通された。

 女将さんのローズさんは「私は仕事に戻るからこれで帰るからね」と宿に戻る。


「では、早速ですが、どのような物件をお求めでしょう?」


 応接間で母さんと父さんが並んで座り、ジョンと物件の相談を始めた。

 俺は少し離れたところにある小さな丸椅子に座ってリルムを膝に抱えている。


「そうね……。できれば冒険者組合ギルドが近いほうが良いかな? ロインはそのほうが良いよね?」

「そうだね。近くなくても良いから安全なところが良いよ。冒険者組合は近くなくても良いから道が分かりやすければ良い」


 母さんと父さんの要望を訊いて、それを纏め始めると、ジョンがテーブルの上に地図を出した。


「この辺りにちょうどよい空き家があります。それと少し離れますがこちらも比較的良いでしょう。冒険者組合までは一本道ですし、敷地や建物も割と大きめになります。どちらも直ぐに入居はできますが、二番目に紹介した方は少々値が張りますが、ラナ様なら問題ないかと思いまして──」

「予算は大丈夫だけど、こっちより、そっちのほうが住むには良いよね……。でも、ここだと貴族街に近いんだよな……」


 先に紹介されたほうは冒険者組合に近いらしいが、建物がいまいちらしい。後に出た方は貴族街に近いことで平民では手を出しにくい値が張る物件なのだとか。

 そして、貴族の邸宅みたいに敷地があって庭が広いそうだ。


「安全面や衛生面では断然、こちらのほうが宜しいと私は思いますが、ご予算次第ということになりましょうか……」

「他には候補になりそうなものはないの?」

「無いというわけではありませんが、お時間が宜しければ物件を見て回りましょうか?」


 ジョンの提案に母さんは父さんに確認を取る。


「ロイン、どうしよう。見てから決める?」

「あ、うん。見たほうが良いだろうな」


 実のところ即決したい母さんに対して父さんは見てから決めたほうが良いと考えていた。

 見て回るうちに空き家が見つかるかもしれないし別のところを紹介してもらえるかもしれない。

 で、父さんと母さんは見てから決める方向に気持ちが傾いた。


「お決まりのようですね。では、見に行きましょう」


 そうして俺たち一家はジョンの引率でセルムの空き物件を巡るツアーが始まった。


 最初に行ったのは一番目に教えてもらった物件だ。

 前世に例えるならボロアパートである。

 駆け出しか少しこなれた冒険者が住む家という印象らしい。

 言い方は悪いけど、依頼や任務の途中で命を落として空きができて、駆け出しの冒険者がまた入居するといった腰を据えて住む雰囲気ではない物件だ。

 パーティ単位で住むことを前提にしているからなのか確かに広めではある。


「この物件は冒険者が入れ代わり立ち代わり入退室を繰り返すところでして、ご家族で住まわれるには少し不向きかもしれません」


 とはいえ、何故かそれなりの設備が整っていて住みやすそうなのは間違いない。


「悪くはないけど──」


 というのが父さんと母さんの印象か。

 そうしてジョンの家で紹介されなかった空き物件を見ながら最後の物件──内壁に近い空き物件に着いた。


「ここ、良いね」


 物件を見るなり、母さんは言った。

 どうやらひと目見て気に入ったらしい。


「広いな。ここならたしかに冒険者組合から一本道で分かりやすい」

「ここは予算があるようでしたら一番オススメできる物件です。坊っちゃんは聡明そうですから内壁内にある学校に通うこともできましょう」


 ジョンの〝学校〟という言葉に父さんと母さんが揃って反応を示した。

 父さんも母さんも孤児院育ちで学校とは無縁だったからか、学校に通うことに憧れを持っているのかもしれない。


「そっか。学校か──」


 父さんが独り言のように声にする。

 母さんは内壁の向こうに意識が言っているのかそっぽを向いたまま考え込んでいた。


「坊っちゃんは今、おいくつでしょうか?」

「僕は四歳です」

「そうですか。学校には十歳から通えますから、こういった住まいはまだ先でも問題はないでしょう」


 ジョンは俺に年齢を訊いたのはこの家は値が張るから半端に金を持つ平民が背伸びをして住むところではないと言いたいのかもしれない。


「ねえ、ロイン」


 そんなジョンの気配りをよそに母さんは父さんに相談を持ちかけた。


「なんだい?」

「私、ここが良い」

「本当に?」

「うん。お金は私のを使うから」

「それじゃあ俺の面目もあるし俺のお金を──」

「お金のことは気にしないで。私も気にしないから。私がロインとクウガとリルムと一緒にここに住みたいなって思っただけから」

「でも、それじゃあ──」

「なら、ロインはクウガとリルムを学校に通わせるためのお金を頑張って稼いで。それなら良いでしょ?」

「あ……ああ──。そういうことなら……分かったよ」

「じゃあ、決まりだね」


 父さんと母さんの相談は直ぐに終わった。

 見た瞬間に母さんは心を決めたのか。


「ジョンさん。私たち、ここに住みます」

「かしこまりました。では、私の家に戻って契約を進めましょうか。お支払いはいかが致しますか?」

「お金は契約を結んだら直ぐに支払うつもりです」

「承知しました。では戻りましょうか」


 そうしてジョンの家に戻ったのは午後の昼下がり。

 母さんがジョンと契約を結んで、お金は本当に即金で支払ってた。

 俺の目の前の出来事でめちゃくちゃ驚いたけど、それでもまだ母さんはお金を持っているようだ。


「ありがとうございます。こちらが土地と建物の所有を証明する書類。こちらが門の鍵と家の鍵でございます」

「こちらこそありがとうございました。直ぐに決まって助かりました」


 父さんと母さんは仲介人のジョンに深々と頭を下げて、今度は宿屋に向かった。

 家が決まったことを伝えてお礼を伝えてから新居へと向かう。


「あの金額……大丈夫だったのかい?」


 道すがら、父さんは心配そうな表情で母さんに聞いた。


「私の全財産の三分の一がぶっとんだけどあのくらいなら平気よ」


 母さんの言葉に俺は驚いた。

 父さんは知っていたのか、それでも、三分の一を出費するってかなり大きいと思うんだ。


「ラナが頑張ってくれたなら、俺も頑張らないとな」

「そうね。ここは領都だから銀級に上がっても依頼のほとんどはセルムで完結するものね」

「ラナがそう言ってくれるなら、俺はファルタを離れたし銅級にこだわる必要がなくなったから」

「ええ。私もできる限りの手助けはするつもりだからね」

「うん。頼りにしてるよ」


 俺とリルムを挟んで二人の世界を築いている。

 両親の仲が良いのは良いことだ。

 俺と手を繋ぐリルムは、


「ゆーちゃしゃまのかみはまっくろけっけっけー」


 と、ご機嫌に手を振って歩いていた。

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