邂逅

 今から四年前。

 俺は大規模召喚魔法によって右半身の大部分が異世界に転移して引き裂かれたのに、その場では死なず、元の世界でしばらく生きながらえた挙げ句に息を引き取った。

 そして、女神・ニューイットとの邂逅を経てこの世界に転生。

 今日、俺は四歳になった。


「おにいたん、おたんじょうび、おめっとー」


 この世界にも誕生日を祝う風習がある。

 俺は年の瀬の月が天の頂に昇り詰めたある夜に産声をあげた。


 産気づいてから俺が産み出されるまで月明かりが輝かしかったのが印象的で記憶に強く焼き付いている。

 あれはまるで天頂の月が俺の生誕に愛慕を注ぐ光を差し込ませてきたかのようだった──と、母さんは誕生日の度にいつも言う。


「リルムのことをよく見てくれる良いお兄ちゃんで、私の手伝いを進んでしてくれる、本当に良い子よね」


 母さんはそう言って俺を抱き締めてくれる。


「最近、空き地で子どもたちと遊んでるけど、クウガは本当に良く育ってるよ。誕生日おめでとう」


 父さんは大きな手で俺の頭を撫でる。


「さあ、食べましょうか」


 山羊のミルクを原材料としたチーズケーキみたいなものだった。

 生クリームも添えてあって、チーズケーキの中には果物が挟まれている。

 今日のために父さんが砂糖を買ってきてくれて母さんが嬉しそうにケーキを作っていたのを俺は見た。


「ああ、じゃ、我らが母なる神・ニューイット様に感謝を──」


 父さんがあの女神・ニューイットに祈りを捧げると、続いて母さんと俺が続けて祈る。

 リルムも真似をして「ぬーいっとちゃまにかんちゃを」と祈った。


 それから数日──。

 年が明けて港町ファルタに雪が舞う。

 ここは一月から三月にかけて、雪が降り、辺りは真っ白になる。

 寒くなると母さんは魔法を使って炎を起こし暖炉に火を焚べる。

 母さんの魔法には詠唱がない。

 平民で魔法を使える人は少ないと言うのに、詠唱を省略して魔法を使うというのは非常に貴重なのだとか。

 さすが、銀級二階位の魔道士だっただけはある。

 父さんも魔法を使えるみたいだけど、母さんと違ってお経を唱えてから発動させていた。

 母さんが俺を生んだのは十八歳のとき。お腹に俺が出来たのは十七歳だろうし、冒険者として活動できるのは十五歳になってからだ。

 たった二年で銀級二階位にまで昇格したことを考えると相当な実力者だったのかもしれない。

 四歳の誕生日を迎えてからというもの、そんなことばかりを考えるようになっていた。


 昼ご飯を食べ終わった頃、この平民の住む粗雑な街に大きな男の声が響く。


「まもなく勇者様が到着される。平民どもは粗相のないように。出迎えたいものは大通り脇にでても構わん」


 セア辺境伯領の領兵がファルタの街中に触れ回っている。

 もう一ヶ月ほど休んでいる父さんが俺に言う。


「見に行ってみようか? 勇者様、気になるだろ?」

「リルもゆーちゃ見たい。ゆーちゃ、見たい」


 父さんに抱っこされているリルムが勇者を見たいという。

 なら俺が行かないわけにはいかない。


「じゃあ、僕も行くよ」


 俺が返事をすると、父さんは母さんに「勇者を見に行ってくるよ」と伝えたところ、


「私も見に行ってみようかな」


 と、母さんも一緒に行くことになった。


 勇者が通るという大通りは家から小一時間ほど歩いたところにある。

 その大通りの脇に出ると人垣ができていた。


「すっごい人ね」


 母さんはファルタに人がこんなにいるのかと驚いている。

 俺もびっくりですわ。


「最近、ファルタに越してくる人が多くて急激に人口が増えてるんだよ」


 ファルタは大きな川の河口にある港町。

 俺の家からは窺い知ることは出来ないけど、最近は港の増設工事で多くの人が引っ越してきているそうだ。

 母さんも家からあまり離れないので最近のことはよく分かっていないらしい。


「これじゃ見えないだろ?」


 父さんが俺とリルムを肩車する。

 見た目はほっそりしてるのに凄い力だ。

 肩の筋肉がぎゅっと引き締まってガチガチになっているのが俺の尻に伝わってくる。


「クウガ、リルム、見える?」


 父さんの肩に乗る俺とリルムに母さんが訊く。


「うん。遠くまで見えるよ」


 俺の目には大きな馬車の御者席に出ている勇者と呼ばれる男ともう一人の女の子。

 俺は馬車を見るのが実は初めて。

 それがとても大きくて──。


「あんなに大きい馬車があるんだね」


 俺はつぶやいた。


「もう見えるのか?」


 俺の言葉に父さんが問う。


「うん。お馬さんが八頭くらいで大きな馬車を引いてるよ」


 金色の大きな建物が八頭の馬に引かれてこちらに近付いてきていた。

 数十分ほどすると人の顔が視認できるほどに──って。

 勇者御一行様の馬車が近くなるにつれて大きくなる民衆の歓声。

 それすらも俺の耳には小さく聞こえるほどの衝撃的な光景だった。


「──如月きさらぎ結凪ゆいな……?」


 最後に見たのは四年前。前世でのこと。

 そう思っていた矢先に結凪と目が合った。

 結凪は目を丸くしてなにか口を動かしたが、俺には良く分からなかった。

 そして、大きな馬車は通り過ぎる。

 馬車の窓から見える顔に見知った顔があるし──勇者というのは大規模召喚魔法とやらでこの世界に喚ばれた異世界人だから彼らが勇者の一行としてここに来ているということか。

 馬車の中からこっちを見たのは高野こうのか。随分と長くこっちを見ていた気がする。

 通り過ぎゆく馬車から身を乗り出して結凪がまだ俺を見ていた。

 結凪は前世で俺の幼馴染だった女の子。

 幼稚園からずっと一緒で中学に上がってから疎遠になった。


「なんか、気味が悪いわ。見に来なきゃ良かった」


 母さんが通り過ぎた馬車について言葉を吐き捨てた。


「なあ、お前をずっと見てた女性は聖女様だったんだけど、お前のこと知ってるのか?」


 なんかあれは不自然過ぎたもんな。

 結凪がずっと俺を見ていた。

 周りは俺の父さんを見ていたと思った人もいたけど「イケメンだからか」という言葉を耳にした。

 とはいえ、俺が結凪を知っていることは誰に言えないから、しらを切るしか無い。


「え、わかんないよ」


 そう答えた。

 それ以前に、結凪が転生後の俺のことを知るはずもないからね。


「ゆーちゃ、頭、黒い」


 リルムは勇者の黒い髪が珍しくて印象に残ったのか。

 俺もリルムも金髪だけど、このファルタに住む人々はだいたい金髪だもんな。

 黒髪は一人として居ない。前世の俺なら違和感なく見られただろうけど、今の俺から見ても物珍しいものだった。


「ロイン、もう帰ろう」

「ああ、帰ろうか」


 俺とリルムは父さんの肩に乗ったままで、また一時間かけて家に戻った。

 帰り道。俺と母さんは言葉少なく、父さんとリルムが延々と喋り続けていたような気がする。


「はあーーーー、私のクウガ、ちょうかわいいー」


 家に帰るなり、母さんが俺をギューッと抱きしめて頬ずりをし始めた。


「母さん、痛い。やめてよー」


 俺が抵抗するも何のその。

 母さんは更に頬をスリスリと俺の頬に擦り付ける。


「ん〜ッ! 癒やされるぅーー」


 何だか普段と違ったおかしなテンションだけど、これも母さんらしい一面っぽく思えるのは、それが素の母さんの一つだからか。

 その様子を父さんはやれやれと言った様子で見ていて、リルムと勇者の話を続けていた。

 父さんは母さんのこういう一面を知っているのかもしれない。というか慣れているのかもしれない。

 そんなことをよそにして、リルムは今日見た勇者の髪の毛が印象深いのかずっと、


「ゆーちゃしゃまはあまたがまっくろけっけー!」


 と、声にしてた。


 勇者御一行様がファルタに滞在を始めて数日。

 小さな港町だったファルタの人口がさらに一気に増えて賑やかさを増していた。

 勇者たちが来たというのは大きな話題になっていたけど、到着してからの勇者の動向は平民の耳には届かない。

 まあ、三日もしないうちに忘れ去られるよな。という感じだ。

 だけど、ウチはそうじゃなかった。


「銀級二階位・ラナを訪ねて参った」


 父さんが家に通した壮年の男性。

 従者を数人連れていてその男の後ろに控えている。

 父さんは戸の直ぐ側で男たちの視界の外で平服をしていた。

 俺とリルムはちょうど、母さんに字の読み書きを教わっているところのこと。


「ガレス様──」

「久しいな。結婚して冒険者を引退をしたと聞いた。その子らがラナが生んだ子か」

「はい。私とロインの子にございます」

「そうか。健勝そうで何よりだ」

「失礼ながら本日はこのような下民の家に何用で」

「異世界人の一人がラナを所望とのことでファルタの城にラナを案内しようとしていたのだが、無理強いはしない」

「は? そんなことが……」


 母さんはまた気色悪いものを見る表情で答えた。

 小さな声で「あの時の気持ち悪い男か……」と聞こえたような気がする。

 それと同じタイミングで、ガレスの後ろの従者が腰に下げる剣柄に手をかけた。

 平民の分際で不敬を働いたとかそういう類のやつか。


「恐れ入りますが、私は家族から離れるわけには行きませんので城に伺うことはできません」

「そうか。それなら構わない。最初から断られると思っていた」

「はあ……」


 母さんは「では、なぜ」と続けたさそうにしていたが、口を噤んだ。


「ラナには散々に迷惑をかけたし、世話にもなってるからな。私のほうも無碍にできん。勇者様たちにはお断りされたと伝えておこう」

「そうしていただけますと助かります」

「ん。良い」


 ガレスという名の男と母さんはどうやら見知った仲らしい。

 けど、母さんは男は父さんしか知らないと言って憚らないので、おかしな関係ではないのだろう。

 俺がその男を見るとガレスは俺の頭に手を置いた。


「ラナに良く似た子だな」

「ええ、自慢の息子です」

「それに良い男を亭主に持ったようだ」

「それはもう──」

「聞けばラナの亭主はファルタでは有能な冒険者として活躍しているとか──だと言うのに銅級三階位に留まっているのはラナの入れ知恵か?」

「ご想像におまかせいたします」

「まあ、良かろう。私はこれにて城に戻る。何れまた会おう」

「本日はご足労いただき──」

「そういうのは良い。また、私の子たちと遊んでやってくれ。会いたがってたからな」

「はぁ──」


 ガレスとその従者が家から出ると一気に緊張が解けた。

 母さんは最後に生返事を返していたけど何かあるのか?

 ウザそうな表情の母さんとは対象的に、父さんなんかはガチガチに固まってて放心状態だ。


「今の人は昔、お世話になったことがあるんだ。この辺を治める領主でガレス・イル・セア辺境伯という人よ。今度会ったら気をつけるようにね」


 だから父さんはあんなにガチガチになっていたのか。

 辺境伯家の当主だったというのなら納得。

 って、母さんはどんな人生を送ってたの? と、疑問に思うことも増えた。

 母さんは辺境伯領の領都・セルムの孤児院で育ったらしい。

 父さんはファルタの孤児院で育ったのだが。

 で、孤児院に訪問するガレスの子たちとは既知の仲となり、特にそこのお嬢様とは仲良くしてもらっていたそうだ。

 母さんは魔法が得意でその頃からいくつかの魔法を使っていたのだけど、貴族が学校で習う魔法よりもずっと高度なせいで母さんに憧れたガルムの子たちが母さんに魔法を教わりに来ていたのだとか。

 ただ、魔法だけではなく、外に遊びに出てしまう年頃になって、冒険のお供に何度も駆り出されたらしい。

 平民で孤児院育ちだから断ることが出来ずに付き合って、十五歳になった母さんは孤児院から出るとすぐに冒険者として活動を開始。

 拠点を辺境伯領の領都セルムの北西、領境の港町ファルタに移して名を挙げた。

 才能があって貴族に見初められた伸びしろの持ち主だから冒険者としての実力は素晴らしいものであれよあれよとファルタの冒険者組合では銀級に最年少で昇級した記録の持ち主となった。

 ところが銀級に上がるとその名は領内に広まることになり、孤児院を出て行方知れずとなっていた母さんを尋ねる貴族がちらほら現れることになる。

 それがセア家のご子息だったりご息女だったりしたわけだ。


「でも、その頃から私、ロインに夢中でさ──」


 父さんはファルタの孤児院のために冒険者になって活動していた。

 ファルタの中で父さんを知らない冒険者はいないらしく、母さんは父さんを追いかけていたらしい。

 父さんが母さんの手に落ちたのは母さんが銀級二階位に昇位してから。

 それからすぐに子どもが出来て引退ということらしい。

 そんなわけで住まいがバレたくないところにバレてしまった母さんはどことなく気不味そうにしていた。


 その翌日の夕方のこと。

 父さんが真剣な顔つきをして急にこう言いだした。


「引っ越そうと思う」


 その日のうちに、夜逃げ同然で俺は父さんと母さんに手を引かれファルタを出る。

 父さんと母さんがお世話になったところや冒険者組合には先に挨拶を済ませてからだから夜逃げというわけではないけれど、何故か人の目を避けてファルタから離れた。

 荷物は少なく携行性に優れた食糧を携えて雪を漕いで、まるで生き死にがかかった逃亡をするかのよう。

 大粒の雪が降りしきる中、俺とリルムは両親の背中や胸で眠りこけながら父さんと母さんは歩き続けた。

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