辺境伯家 一

 ニコア・イル・セア──。

 それが私に与えられた名。


 あの日。私の意識は突然、消失した。


入海いるみ丹恋愛にこあ──』


 暗転した意識が徐々に戻り始めると私の頭の中に直接、私の名を呼んで問いかける女の声が響いた。

 周りを意識すると真っ白な空間にメリハリのある体型の美麗な女性。

 真っ白なドレスなのにとても透けていて桜色のものがいろいろと見えている。


「はい──入海丹恋愛です。ここは何でしょうか?」

『入海丹恋愛……。あなたは私の世界・アステラで行なわれた大規模召喚魔法によって半身のみがアステラに転移して死亡しました』

「死んだ……私が……?」

『ええ。そう。私の名で私の権能を使った大規模召喚魔法でしたから、あなたの命を奪ってしまった張本人ということになるわね』

「え、そんなのヤです。元の世界に帰りたい。まだ死にたくないですし」

『ごめんなさいね。それはもうできないの。あなたの命は絶え、魂はここアステラにある。ただ、このままあなたの魂をアステラの輪廻の中に投じることができないから、一旦、この世界での生を営んでもらわなければならないの』

「それって、私はもう家に帰れなくて、違う世界で新しい人生を歩めってことですか?」

『そういうことになるわね。だからごめんなさいね。けれど……、異世界の魂をアステラに定着させるためには私の権能が必要なの──ということで、あなたには私──アステラの女神ニューイットの名の下、私の恩寵を授けましょう』


 目の前の女性は女神と名乗り、動けない私を抱擁。

 ふわりとした温かい匂いに鼻腔を刺激された私は、顔が間近にあるニューイットと名乗った女神の美しさとおっぱいの大きさに言葉を失った。


「───」

『それでは良い人生を──』


 女神様の唇が私のおでこに触れると、私の意識は再び消失した。


 そうして私は転生。

 物心が付いたら入海丹恋愛としての私がそのまま小さくなった感じだった。

 名前も何故か、ニコア。セアが名字で、イルは家名につく小辞で称号みたいなものらしいんだけど、イル・セアって出来すぎじゃね? ──って。

 私はセア辺境伯家の嫡男、ゴンド・イル・セアとその妻のセイラ・イル・セアの間に出来た一番最初の子どもとして誕生した。

 ニコア──こと、私は今、四歳の幼女。

 ニコアの心の中に入海丹恋愛としての記憶が宿っている。

 何だかとても不思議な感覚。だって家に帰りたいって思うのに、私にとってはここが家。

 入海家のパパやママが恋しいって思うのに、お父様やお母様から離れたくないって願ってる。

 ここはアステラ。地球ではない。

 ああ、地球のパパとママを泣かせちゃったよなー。

 そうして〝異世界〟に思いを馳せつつ、私はアステラでの生活を送っている。

 アステラでも私は優しいお父様とお母様に恵まれてるし、ニコアとしてやっぱりお父様とお母様はとても大好きだ。

 それと、今の私は生まれたばかりの弟──セインのことが可愛くて仕方がない。

 前世の私は一人っ子で家ではいつも一人だったから、弟という存在がとっても愛おしい。

 朝を迎えて目が覚めた私は着替えをする。それから脱いだ寝間着を畳んでベッドの上に置き身だしなみを整える。

 そうしてるうちに、扉がノックされて、


「ニコア様。お目覚めでいらしゃいますか?」

「ん、起きてるよ」

「はい。では入ります」


 という流れで家の使用人が私を迎えに来る──いや、起こしに来るんだけど、私はいつも自分で身支度をしてしまう。


「まあ、こういったことは私たちがいたしますから、ニコア様はもっとごゆっくりしても良いのですよ」


 畳まれた寝間着や着替え終わったドレス。

 そして、整えたばかりの髪の毛を彼女たちは褒めてくれるのではなく、何故か残念そうな顔を見せる。

 私は少しでも早くにセインに会いに行きたい。そのために使用人が来るよりも早く身支度を済ませてお母様とセインのころに行くのだ。


「お母様はもう起きてました?」

「ええ、セイラ様はご起床なさってセイン様のお世話をされておりますよ」

「ありがとう。私、お母様とセインのところに参ります」

「はい。かしこまりました」


 貴族の娘として生まれた私はあれやこれやと世話をする使用人がいるけれど、彼女たちに任せるととても時間がかかる。

 だから、私は何でも自分でやりたい。時間は限られてるし人間はいつ死ぬかわからないと丹恋愛の人生が物語ってる。

 今の私はセインにラブなのだ。

 で、部屋を出ようとしたら、使用人が扉を開けてくれる。

 お母様の部屋は近いので、私がノックしようとしても、使用人が先に行動する。


「セイラ様。ニコア様をお連れいたしました」

「通して」


 本当は私から声をかけたいのに。と、そう思ってもままならないのが辺境伯家という上級貴族の矜持なのかもしれない。


「おはよう。ニコア。今日も可愛らしいわ。また、ご自分でなさったの?」

「おはようございます。お母様」


 軽くカーテシーをして挨拶をして「はい。着替えや身だしなみは自分で整えました」と答えた。


「素晴らしいわね。自分でできることにこしたことは無いけれど、少しは周りを頼ってもよろしくてよ」

「はい。お母様」


 それで、私はセインが傍らに近寄ると、可愛らしいセインがニコニコと私を見て手を伸ばしてくれる。


「おはよう。セイン。お姉ちゃんが会いに来ましたよ」


 私が手を伸ばすとセインの手が私の指を握った。

 キャッキャキャッキャと楽しそうにしていて何だか嬉しい。


「セインはニコアのことが大好きなのね。いつまでも仲の良い姉弟でいてくれると私は嬉しいわ」


 私と同じ碧い瞳をまん丸にするセインはとてもにこやかな表情を見せている。

 指に力を入れてちょっと動かすだけで声を上げて笑ってくれた。

 そうやってセインとじゃれる私をお母様は頭を抱き寄せて撫でる。

 お母様は大好きなんだけど、いつも私をかまいすぎるところがある。


「私は最初は娘が欲しかったからニコアが最初の子で本当に良かったわ」


 お母様はいつも私に娘としたいことリストみたいに毎回何かを列挙する。

 おめかしをしたり、買い物に行ったり、そういうことをしたかったと言っていた。


「だから、こうして可愛らしくてお利口さんで、セインの優しいお姉ちゃんで、私の自慢の娘よ」

「お母様、言い過ぎですってば」


 お母様とセインと三人でじゃれていたら、扉から声がする。


「奥様。朝食の準備ができました」

「はい。では、参りましょうか」


 お母様がそう言うので私はセインを抱いてベッドから離れた。


「着付けをお願い」


 と、お母様は使用人に着替えを頼む。

 まるで私にこう振る舞いなさいとでも言いたげに。

 お母様の着替えを待ってる間、私はセインを抱いてあやしている。

 本当にとてもニコニコしてて──お姉ちゃん大好きすぎだろ。

 そして、ふと私は思い出した。


「ところでお父様は──?」

「ゴンドは今朝、お義父様と勇者様をお迎えにあがるのにアスヴァルの砦に向かわれたわ」

「勇者──様……」


 アスヴァルの砦はセア領から帝都へ向かう交易路にある関所として作られたもの。

 私もいつかその砦を通って帝都に行くことになるみたいだけど、まだ四歳の私には関係のないこと。

 でも、この勇者は私がこの世界に生まれた日に帝国の第一皇女を中心に執り行った大規模召喚魔法で異世界から喚ばれた少年少女だった。

 その中でも特に目立ってたクラスメイトと同じ名前の持ち主を私は良く覚えている。

 私はあの日、異世界からの大規模召喚魔法によって身体が引き裂かれて死に、その日のうちに転生してセア家の子として生まれた。

 あの時の女神様のことは今でも鮮明に思い出せる。

 今の私にとっては地球のほうが異世界だけど、地球から転移してきた彼らは、このコレオ帝国で数々の武勲を重ねて英雄として身を立てていた。

 彼らは強力な武技と魔法を使って数々の小国を併合し、帝国の繁栄に大きく関与していて、民衆からの人気がとても高い。

 それはそうと、この世界には魔法がある。そのかわりと言って良いのかわからないけど、元の世界にあった電気や水道みたいなものが無い。

 お父様もお母様も、そして、この家に勤める使用人たちも、誰もが魔法を使うし、私も魔法を使うことができる。

 怖くてまだ誰にも見せていないけれど、皆みたいに詠唱というか念仏みたいなことを口にしなくても、願うだけでそれが発現する。

 他人と違うから皆の前で披露したくない。

 今の私はそう思っていた。


 話は戻って、私のお父様とお祖父様はその勇者をお迎えに関所へ向かってしばらく家に戻ってこないらしい。

 その勇者様の御一行は前世の私のクラスメイトたち。

 今や英雄だと讃えられる彼らは、こっちに来てから帝都で訓練を重ねつつ、他国との戦闘や魔族との抗争に奔走させられていた。

 そして、少年少女たちが四年という月日を経て英雄として名を上げ、帝国の軍備が整った今、魔族領へ踏み入ろうとしている。

 今回はその足がかりを作るために魔族領との境界となる場所へ、お父様とお祖父様が案内をするらしい。

 それをお母様が私に教えてくれた。


「そうよ。今回は魔族領に侵攻するからファルタに前線を作るみたいなの」


 ファルタは魔族領と帝国を隔てる大河の河口にある港町。

 そこに船を集めて魔族領に渡るのだとか。

 そうなるとセア領が戦地になるのかもしれない。


「魔族と戦争になるのですか?」

「そうね。間違いなく。でも、セルムに彼らは来ないから、ここは安全よ」


 私が家と認識している建物はセア辺境伯領の領都セルムにある領城。

 その奥にある宮殿と呼ばれている居住区が私たちの住まいだ。


「なら良いけど──」

「さあ、ご飯を食べに行きましょう」


 着替えが終わって髪を結わえたお母様が私からセインを受け取って食堂へ向かうために私に手を差し伸べた。

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