6.深夜、歌舞伎町での邂逅

 深夜、10時。JR新宿駅に降り立った。深夜の新宿は、住んでいる郊外とはうってかわって、ネオンライトが怪しく光ってる。全てが作り物の世界にある。

 その最もたる場所が歌舞伎町だ。歌舞伎町の入口周辺、ミスタードーナッツの前に足を運ぶと、依田先輩はそこにいた。。

「にゃっほ~!! にゃ、っほ~~!」

 依田先輩は壁にもたれかかって、俺に向かって笑顔でぶんぶんと手を振っていた。相変わらず子供っぽいが美人なので、蛍光色に光るネオンライトも背景になって絵になる風景だ。

「依田先輩……。こんなところで何してるんですか」

「あたしい? えへへ~。二丁目のミックスバーで酔っぱらっちゃいすぎて、追い出されちゃったにゃ~。立てにゃい……。滑川くん、介護して。えへ、えへへへ……」

 依田先輩は明らかに挙動がおかしいが、歌舞伎町そのものが異質な町なので自然に溶け込んでいた。

「ね、おんぶして。おんぶ」

「お、おんぶ!!? よ、よ、依田先輩のそのスカートの短さでそんなこと出来ませんよ!!??」

 俺は急速に顔が真っ赤になった。スカートの短さもそうだし、依田先輩のやわらかそうな胸が背中にあたりでもしたら、お、俺、俺は……。

「にゃははは、真っ赤になってかわい〜。嘘だよお。肩組んで。それならいいでしょ〜?」

「お、俺をからかわないでください……」

「滑川くんは真面目だねえ。からかいがいがあるねえ」

 依田先輩は鈴を転がすようにコロコロ笑った。小悪魔な依田先輩のツノや牙が見えた気がした。こ、こ、この、人間サキュバス……。

「花園神社って知ってる? そこのベンチに座れたら、あとはもうそこで酔い醒ましするから大丈夫」

「花園神社ってどこですか。俺、歌舞伎町にあんまり来たことがないから、わからなくて……」

「しょうがにゃいにゃあ〜」

 依田先輩はよっこらしょ、と強制的に俺と肩を組んだ。

「案内してあげるから。花園神社まで一緒にいこ? ね〜」

 依田先輩と身体が密着して、心拍数が爆上がりした。顔と顔が近い。ふんわり香水のような甘い香り……、と、強めのお酒の匂いがした。

「……わかりました。案内してください」

「滑川くん超やさし〜! じゃ、こっち。こっちね」

 依田先輩が指を指した方向に、俺たちは歩き出した。夜の歌舞伎町はどいつもこいつも酔いつぶれたり介抱したりする人が入り乱れて、ここでは俺たちは単なるモブでしかない。少し人通りがなくなってきたところで、花園神社らしい赤い鳥居が見えた。

 俺たちは重たい身体を神社のベンチに預けた。依田先輩の身体の重心が俺にかかっていたため、とてもくたびれた。いや、それ以上に、先輩と密着したことによる動悸で汗が止まらないのだが……。

 あー、喉乾いた……。

「喉乾いてるの?」

「あっ、ま、まあ、そうですけど……」

「そっかあ。じゃ、これあげる」

 先輩はカバンからごつい大きさのストロングゼロを出した。

「コントか何かですか!?」

「いいよお、ストロングゼロ。ぐびぐび〜っていくとさ、悩みがふわ〜って消えちゃうの」

「俺、お酒弱いんです。俺まで酔っ払ったら、誰が依田先輩を介抱するんですか。ミイラ取りがミイラになりますよ」

「そっかあ。飲まないんだ。ふ〜〜ん」

 依田先輩はしぶしぶストロングゼロをカバンにしまった。女子特有の小さなカバンに、よくそんな大きめのストロングゼロを入れようと思ったな……。

 自分のカバンからペットボトルを取り出して、少し一服した。隣を見ると、依田先輩はしまったはずのストロングゼロを出して、ストローで吸っていた。

「って、ちょっとぉ!?」

「あ〜。ストゼロ、おいひ」

「まったりしないで下さい!! これ以上酔っ払ってどうするんですか!!? 帰れなくなりますよ!!!」

「いいもんあたし。帰れなくても。家なんてないもん」

 依田先輩は半ば突っぱねたように、ストロングゼロを飲み続けた。

 はっきり話を聞いたわけじゃないが、依田先輩の家は父子家庭らしい。父親とあまり反りが合わなくて、ほぼ断絶状態にあるようだ。その反動で、歌舞伎町で飲み歩いてるんだろうか。

「ストゼロはいいねえ〜。ストゼロは魔法だし。あたしみたいな人間にぴったりだよお。だってあたし、人権ないもん」

「人権……?」

「そ、人権。魅力がない人間は、人権がないんだよ。知ってた?」

「じゃあ、もしかして俺も、人権ないですか」

「そんなことないよお?」依田先輩の呂律が回らなくなってきているが、元から舌っ足らずなのであまり変化がない。「滑川くんには文章があるよ」

 文章、か……。

「俺、きっと人権なんてないです。俺の文章なんて、大多数の人にとってはどうだっていいものなんだと思います。俺……、どうってことないダメ人間なんです」

 依田先輩に対して、俺はつい、日頃思ってた愚痴をこぼしてしまった。依田先輩はきょとん、と目をまん丸にすると、

「滑川くんは真面目だねえ」

 と、にへへ、と優しく笑った。

「滑川くんは文章が書ける上に、真面目で良い子なんだね。依田にゃん感心しちゃった。はい、よしよし〜」

 依田先輩は俺の頭を撫でた。びっくりしつつも、俺は犬のようにされるがままになっていた。依田先輩の突飛な行動にはもう慣れた。ああ、また顔が赤くなる……。

「い、良い子って……。やめてください。俺のこと、すぐからかって……」

 第一、お互いそんなに年齢が変わらないくせに……。

「えいっ」

「ひゃっ!?」

 依田先輩は俺の頬にストロングゼロをぴとっとくっ付けた。

「冷たっ!?」

「あははは〜。クールダウン〜。滑川くん、真面目なのはいいことだね。だけど、真面目さが自分を縛る鎖になっちゃったら、つらいだけだよ? たまにはふわ〜って忘れないと、病んじゃうよ。と言うわけで、いっしょに飲も? ストロングゼロ」

 依田先輩は俺にストロングゼロをしたり顔で掲げた。

「ひょっとして、最初から俺にストロングゼロを勧めたかっただけなんじゃ……」

「そんなことないよお〜。はい、これ。予備のストロー。一緒に飲も?」

 依田先輩が上目遣いで細めのストローを差し出す。俺はそのストローを手に取った。そして、依田先輩のストロングゼロに差し込んで、二人で吸う。花園神社のベンチの上で。

 ただ、二人でストロングゼロを飲む静寂は、一瞬のようにも、永遠のようにも感じられた。

 外の喧騒が輪郭をなくし、遥か遠くに聞こえる。俺と先輩だけの世界がそこにはあった。依田先輩、近い。お互いの吐息が聞こえる。耽溺するように身体を寄せあって、ぼうっとストロングゼロを吸ってると、やがてノックアウトするような強めの酔いが来た。

「うっ……」

 俺は頭をおさえた。視界が歪む。調子に乗りすぎた……。酔っ払って陽気になる以上に、目の前がふらふらする。あ、やばい、やばいかも……。

「滑川くん? 大丈夫?」

 依田先輩が心配そうに俺を覗き込んだ。

「大丈夫です。ちょっと飲みすぎただけです」

「ほんとにお酒弱いんだ……。ありゃ、ふらふらして、今にもぶっ倒れそう……。あは、あたしもふらふらしてきちゃった。ここはお互い違う場所で休んだ方がいいんじゃない?」

「違う場所……?」

 依田先輩はおどけたように両手である看板を指さした。そこには、ネオンピンクに光ったラブホテルの看板が見えた。




 酔っ払い二人、千鳥足でラブホテルに入店した。

 早速、店内には目の前にタッチパネルがある。タッチパネルで部屋を選べる……、らしい。慣れない。少し狼狽える俺に、依田先輩は慣れた手つきでタッチパネルを操作して、ルームキーをもらっていった。依田先輩、こういう所に来たことがあるんだ。そりゃそうか……。うっ……、嘘でもウブな振りをして欲しかった……。なんだか、もう酔いが醒めたような気分だ……。

「後で払ってね、部屋代。割り勘ね」

 依田先輩はそう言って、2人でエレベーターに乗った。距離が近い。しかし、しかしだな、依田先輩とは手を繋ぐこともキスもしていないのに、普通いきなりラブホに行くか?? 普通ってそうなのか?? そもそも普通ってなんだ?? あ、哲学的な気持ちになってきた……。

 エレベーターが4階にたどり着く。俺たちは405室の部屋を開けた。

 軽妙な音楽が鳴る部屋の中で、依田先輩はベッドにダイブした。当たり前にスカートがはだけて下着がもろに見えてる。

「はー。ベッド、ふかふかだよー。滑川くんもおいでおいで」

 俺は硬い姿勢のまま、ぎくしゃくとベッドに座った。本当にこういう事をしちゃうのか。本当にするのか。いきなりこういう事を……。

 しかし、据え膳食わぬは男の恥という。俺は覚悟を決めて固唾を飲んだ。いただきます。

 俺は依田先輩を横目でチラ見する。依田先輩は枕に頭を預けて、すやすや寝る準備に入っていた。

 寝るの!!?

 そ……、そうだよな! 俺と、その、そういう行為なんてするわけないよな! いや〜、そんなことはなかったか! 勘違いしてた! ははは!!

 なら、俺も寝るしかない。なんだかモヤモヤした気持ちを抱えつつ、俺も依田先輩と向き合う体勢で頭に枕を置く。すぐにでも寝てしまおう。そうすると、依田先輩の腕がしゅるしゅる伸びてきて、俺の身体をそっと掴んだ。

「滑川くん、いっしょにしよ?」

 俺も依田先輩の身体を掴んだ。依田先輩と一緒に向き合った。

「…………はい」

 しかしながら、ここからが死ぬほど恥ずかしい話になる。初めてセックスをするからか、はたまたお酒のせいか、悲しいことになかなかちんこが勃たなかった。

「な……、滑川くん! 大丈夫だよ! 初めてだから、そういうこともあるよ!」

「おっ、俺が、童貞だってこと、恥ずかしいんで言わないでください……」

「え〜、いいじゃん。かわいいんだから〜〜」

 うっ……。優しいけどつらい。そんなことを言われるとますます勃たなくなる……。

 結局、依田先輩がなんとか勃たせてくれたが、ムードというよりは、俺があっぷあっぷしながら必死にしたような感じで、依田先輩はそんな俺をさりげなくリードしてくれた。それでも最終的には手を繋ぎながらキスも射精もしたし、抱きしめながらするセックスは涙が出そうなくらい気持ちよかった。出した後、ガツンと来るような眠気が来る。幸せなままで、睡魔に身を任せてしまおう。

「でも、この幸せが続かなかったらどうしよう……」

 半ば夢の中にいるように、俺はうわ言を呟く。

「大丈夫だよ。上手くいかなかったら、死んじゃえばいいよ」

 夢と現実の境目で、依田先輩はそう言った気がした。

「そうですよね。上手くいかなければ、死んでしまえばいいですよね……」

 そこで意識はぷつんと切れて、俺は夢の世界へ入っていった。




 少し早い朝に、依田先輩と手を繋いでラブホを出る。新宿の早朝は爽やかで清々しく、嘘のように人気がない。俺、依田先輩と手を繋いでる。それどころか、キスもセックスしたんだ。凄すぎて、なんだか現実味がない。

「滑川くん……、また、ね?」

 JR新宿駅で別れる時、依田先輩は目を線にしてにこっと笑った。依田先輩、眩しい。まるで天使みたいだ……。

 余韻に浸りながら中央線の電車を待っていると、スマホの通知が来た。あ、枝野くんからのラインだ。またみかんをくれるのかな。欲しい。

『センパイ、話があるんです。家に来れますか』

 俺は能天気に、何も考えずに『いいよ』のスタンプを押した。それが地獄の幕開けだったことを知るのは、もう少し後、でも、そう遠くない未来にあった。

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