5.いつもの三人
今日のドリス定例会に、依田先輩は来てなかった。
「依田くん? バイトのシフトがどうしても変更が出来なかったらしい。まあ、今日は小説の提出日でもないし、そんなに重要な会じゃないからな」
佐藤部長の言う通り、何か大切なことを話し合う日じゃなければ、こういうことはそんなに珍しくない。
今日の定例会はまったりとしたペースで進んでいく。学園祭の部誌の制作進捗、次に提出する小説のお題をどうするか、など。たまに最近読んだ小説などの雑談を合間に挟んだりする。俺、佐藤部長、枝野くんで小説の趣味がバラバラだった。佐藤部長は批評や哲学、俺は純文学、枝野くんはライトノベルの話をする。それぞれがお互いのゾーンに噛み合うことがなく、言いっぱなし聞きっぱなしで終わっていった。これもいつものことではある。依田先輩がいたなら、ここに恋愛小説の話が食い込んでいただろう。
俺は少し気がかりなことがあった。教室のプラスチックの椅子に座って、神経質そうに腕組みをしている枝野くんをこっそり横目で見る。
今日、開始時間ギリギリにやって来た枝野くんは、なんだかいつにも増して不健康そうだった。顔が青白さを通り越して灰褐色気味だ。目のクマもひどく、わかりやすく元気がない。あまり寝ていないのだろうか。発言も、いつもだったら読んだライトノベルやアニメの話をところ構わずべらべらと喋り倒すのだが、今日は抑え気味だった。
「今日の定例会はそろそろ終わりにする。次に提出する小説のお題は決まったから、グループラインにリマインドしておくからな。次までに提出してくれよ。解散」
佐藤部長が締めの挨拶をした。立ち上がった後も、枝野くんは体の軸をなくしたかのようにふらふら歩いていた。
「枝野くん」俺は声をかけて枝野くんに近寄った。「この前のみかん、ありがと。半分くらい食ったよ。お返しってわけじゃないけど、なんか奢るよ。『ミランダ』行かない」
『ミランダ』は明王大付近にある、思いっきり古……レトロな洋風喫茶店だ。値段も手頃なので、明王大生がよく利用している。
「え……、い、いっすよ」
枝野くんは不安定がちに目を泳がせた。
「居酒屋の方がいい? でもお互いにお酒は飲めないだろ」
「だって先輩、お金ないじゃないすか……」
「お前も人のこと言えねえだろ!!?」
俺は赤面して声を荒らげた。黙って見ていた佐藤部長が鼻から通り抜けるように笑った。
「滑川くんも随分先輩っぽくなったじゃないか」
「部長、からかうのはやめてください……」
まだ自分の顔が赤い。顔がすぐ赤くなるのがコンプレックスなんだよな、俺……。
「まあ、なんだ。三人でミランダでも行こうか。一番年上の俺が奢るから。お前ら、さっさと退室するぞ。教室の貸出時間が過ぎると大学側もうるさいからな」
今度こそ三人で部室から出た。枝野くんは、さっきより少し肌の赤みが戻ったようだった。
「で、まあ、なんだ」
佐藤部長はでかいバナナパフェのバナナをもぐもぐ頬張りながら話し出した。ちなみに佐藤部長は、パフェの前にハンバーグ定食の大盛りをがっつり完食している。
「水臭いことは言わん。滑川くんも心配していたし、リラックスすればいい」
「…………」
枝野くんはミートドリアを食べ終えた後、水を気まずそうに飲んでいた。
俺は季節の野菜プレートをようやく食べ終えた後だった。それにしても、奢ってくれるなんて佐藤部長も太っ腹だ。どうやら実家が裕福らしく、バイトをしなくても仕送りが十分にあるらしい。ものすごく羨ましい。
「センパイ……、心配かけてすみませんっす」
「だから水臭いことを言うなよって。愚痴なら聞くよ。同じサークルのよしみだし」
俺がそう言うと、枝野くんはうーん、と困ったように腕組みをした。
「……笑わないでくださいね?」
「うん」
「いいとも」
「俺、VRChatにはまりすぎて、寝れてないんすよね」
「ぶはっ!」
佐藤部長は吹き出した。ぶいあーるちゃっと……?
「なんだ、枝野くん。趣味にはまっていただけだったのか! 人騒がせな」
「佐藤部長、ぶいあーるちゃっとって何ですか」
「簡単に言うと、3Dのアバターを使ってアバター同士で交流することっす」
枝野くんが恥ずかしそうに早口で説明した。わかったような、わからないような。
「笑わらないでって言ったじゃないすか……」
「心配して損した……。やけに深刻そうな顔をしていたかと思ったら」
「滑川センパイ、俺は真面目すよ!? VRChatはやばいっすから。マジで沼すから」
「馬鹿……。真面目に聞いた俺たちが馬鹿だった。帰りましょう、部長」
「コーンフレークの層を食べ終わったらな」
佐藤部長はざくざくとパフェのコーンフレークの層を頬張りながら食べていく。でかすぎるハムスターみたい。
「それにしても、『ミランダ』は久々に行ったが、やっぱり美味しいな。次は依田くんと一緒に行こう。学園祭の打ち上げとかで」
佐藤部長がほがらかに言うと、ふと、枝野くんの目つきが険しくなった。
「依田先輩……、嫌です……」
「えっ?」
佐藤部長がきょとんと目を丸くする。俺も耳をそばたてた。
「依田先輩……、嫌だ……。女なんて、女なんて……、嫌いだ……」
枝野くんはぶつぶつ喋って、次第に声が小さくなっていった。まるで、閉ざされた自分の世界に、一人だけ閉じこもっているように見えた。
枝野くんの様子が気にかかりつつ、俺たちは解散した。いつものバス停まで歩くと、見慣れない人影が二つ、見えた。男性二人が談笑している。
俺はその人影に見覚えがあった。彼らは、今年度に入ったゼミの同学年だった。「ブス」とか「おもんな」、「きしょい」と、彼らの会話が断片的に耳に入ってくる。
名前は、確か田辺と吉川だった。ゼミに入った頃は多少俺に話しかけてきたが、今はあまり交流がない。
俺は、ゼミで一人ぼっちだった。明らかに大学をエンジョイしている陽キャの集団と話が合わず、隅っこの席で淡々とレポートと書き、指導教官に提出していた。一人で。
心臓の心拍数が上がる。あいつらに気がつかれたくない。回れ右をして、一つ前のバス停に向かって歩き出した。怖い。怖い。人が怖い。
なんであいつらがここにいるんだ。そう思うのと同時に、俺は思い出した。サークルが楽しいからてっきり忘れていた。昔から今の今まで、俺はスクールカーストの底辺だ。ハブられたり遠巻きに見られたり、時にいじめられたりしてきた人生だった。俺は、文章を抜けば何も残らない空虚な人間にすぎない。
俺は一人ぼっちだ。俺が全部悪いんだろうか。
違う。俺は悪くない。いじめたあいつらが悪い。
俺をいじめた陽キャなんて全員死んでしまえ。
人間なんて全員死んでしまえ。
全員、いなくなればいいんだっ……。
その時、スマホの着信が入った。表示は「依田 奈織」。言うまでもなく依田先輩だ。依田先輩から着信が着たことは、今までで一度もない。どうしたんだろう、と思いつつ出ると、耳をつんざくような依田先輩の甘ったるくハイテンションな声が通話越しに聴こえた。もしかして、酔っぱらってる……?
「にゃっほー! 滑川くん。いぇーい! 元気してる~? ところで今わたしは、どこにいるでしょう~?」
「は、はあ……。わかんないです……」
「正解は、新宿の歌舞伎町でした~! ね、滑川くん。お願いがあるんだけど」
依田先輩の声のトーンが落ち着いて、囁くような声で俺に語りかける。
「深夜、新宿で迎えに来て。わたし、ここで待ってるから。お願い。ね?」
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