4.みかんとチョコ柿の種の味
枝野くんの玄関のドアをノックした。このアパートは俺の家より更に年数が古く、玄関のチャイムが取り付けられてない。
「ッス。センパイ。今開けます」
ドアが開くと、枝野くんがぬるっと顔を出した。相変わらず肌が不健康なまでに青白い。
「枝野くん」
「……お疲れっす」
枝野くんはそう言って、俺を部屋に案内した。もっとも、枝野くんの家に来たのはこれが初めてじゃない。何度も来訪している。彼の先輩兼友人として。
部屋はあまり片付いていなかった。床には、恐らく同人誌だろう薄い本が平積みされていて、狭い棚のスペースには『キルキルキララ』の枝野くんの推し魔法少女『サキリ』のフィギュアがずらっと並んでいた。フィギュアだけは埃がなく、綺麗だった。
座布団に座る。枝野くんがペットボトルからお茶を汲んでくれた。あと、みかん。
枝野くんの実家のみかんは、美味しい。実家が愛媛にあるので、両親がちょくちょくみかんを送ってくれるらしい。枝野くんの両親は食料品を送ってくれるが、金銭の仕送りはあまりないようで、治験ボランティアに参加してなんとか日銭を稼いでいるそうだ。普通のバイトができないのは俺も似たようなものだが。
「みかん、何個か食っていい?」
「先輩、助かります。僕だけじゃこんなにみかん、消費できないっすから……。沢山もってって下さい」
枝野くんもみかんを剥きながら話し始めた。
「先輩、芸フリ行ってたみたいっすね。僕も行きたかったす。丁度『キルキラ』の声優イベントがあって……」
「あー。『キルキラ』、人気だしな。サークルのみんなも見てるみたいだし」
「実際面白いっすよ。バトロワと魔法少女とパニックホラーを足した、みたいなアニメで。学園の生徒たちが主人公なんすけど、かつていじめた女子たちが魔法少女になって復讐しに来るんすよね。人気があるのは学園側の生徒なんすけど、僕は敵役の魔法少女側が好きで、なんと言ってもサキリちゃんは性別不詳の中性的な……」
あ、なんかヒートアップしてきた。うん、うんと話半分に聴いておく。カウンセリングっぽい。
「……っていうこともあって、サキリちゃん、かわいいんすよね……。先輩も見てみません?」
「うーん。アニメとかって、あんまりわかんないし……。俺は文章書くとか、読んでもらうとか、そういうので結構満足する部分があるから」
「そすか……。まあ、僕もサークルの活動は、正直楽しいす」
枝野くんがチョコ柿の種をお皿にざらざら入れてくれたので、みかんと交互に食べる。甘いのとしょっぱいのが交互にきて、美味しい。
「サークルは楽しいよ。俺はサークルしかないから。みんな、俺の文章を褒めてくれるし」
「依田センパイなんてしょっちゅう、滑川センパイの小説を褒めてますよね」
枝野くんの柿の種をつまむ手が、ふと、止まる。
「滑川センパイって依田センパイのこと、好きっすよね」
俺は緑茶を喉の変なところに詰まらせた。
「違うよ!?」
「センパイ、嘘が下手すよね」
枝野くんがなんとも言えない表情で柿の種を咀嚼した。
「なっ、なんだよ、急に……。お前も、お前も依田先輩のこと好きなのかよ!!?」
「自分で言っちゃってるじゃないすか……」
「好きとは言ってねーよ! ただ、その、気になる、っていう感じなんだよ。お前はどうなんだよ」
「僕は……、正直、あんまりです」
枝野くんはふと、黒ぶち眼鏡越しに目を逸らした。
「嫌い……?」
「と言うよりは、なんか、怖いっす。ああいう人って、何考えてるか、正直わかんないし……。いつも明るいけど、底が見えない」
「依田先輩はそんな人じゃない」俺は言い切った。「依田先輩は良い人だと思う。ただ、ちょっと心が不安定なだけなんだよ。だから、そう見えるんだと思う」
枝野くんはうーん、とやや考えた後、「そすか……」と言って、また柿の種をつまむ作業に戻った。
「まあ、あれっすよ、生身の女性なんて僕は好きじゃないんで。僕はサキリちゃん一押しだし。ああ、サキリちゃんになりたい……、現実の女なんて……」
枝野くんは遠い目でぶつぶつ唱え始めた。彼も彼で恋愛関係のトラウマがあるらしい。この前自分のことを「非モテ」と言ってたし。
だらだら話した後、バックパックにありったけのみかんを詰めて解散した。帰り際に枝野くんは、
「センパイ、また来てくださいね」
と言った。俺はその言葉に、何か含まれたものを感じとったが、
「うん。じゃあ、またな」
と言って別れた。まあ、彼も友人がほぼいないみたいだし、数少ない知り合いである俺を慕ってくれているのかもしれない。だったら、そんなに悪い気はしない。
みかんで重くなったバックパックを背負いながら帰る。それにしても、枝野くんは依田先輩について勘ぐりすぎじゃないだろうか。女性にトラウマがあるらしいが、話しているとたまにびっくりする。
それとも、何か他に意味があるんだろうか。
……考えても仕方ないので、さっさと帰った。夜もそのことについてぼんやり考えつつ、その日は依田先輩でシコって寝た。
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