ホットドッグのように生きたい🌭

拗ねちゃま

生きてきた意味、生きる理由

「死にたい」


 僕の毎日はここから始まり、ここで終わる。

 何も得意とせず、何も成さずに生きてきた僕の人生には、なんの意味もない。


 これでもかと広がる大草原を風が優しく撫でる。

 三色程の花びら達は遊ぶように舞い、この何も無い真ん中に僕は死んだように座り込む。


 ここに来るようになって、もう一年になるらしい。

 僕は普段、真っ暗な部屋で一日を終える。

 時間も日にちも、僕にとってはどうでもいい。

 勇気さえあれば、僕はとっくにだ。


 雨の日も、晴れの日も、僕は毎日ここに来る。

 普段は風の音だけが聞こえ、何も無いはずのここに、真っ赤な車が停まっている。

 僕は、少し身構えた。


 車から聴こえる、音質の悪い音楽はどこか懐かしい気持ちになる。

 それでいて、心が少し軽くなるような明るい曲だ。


 太陽が眩しい。

 雲一つ無い天気に、僕はこの音楽を遠くから聴いていた。


「いい匂い……」


 僕は少しづつ、車へと近づいているのに気付かなかった。

 肉か何かが焼ける匂いと音、聴こえる曲に可愛らしい見た目の車。

 この大自然と一体となったその空間に、僕は既に足を踏み入れていた。


「あれ、お客さん!?」


 僕の存在に気づいたのか、車の横から顔を出す女性。

 どうやら、このキッチンカーの持ち主のようだ。

 何とも明るい雰囲気の、綺麗な大人の女性だ。


 僕はあまり人付き合いが得意では無い。

 むしろ、頭が真っ白になるほど不得意だ。


 きっと僕の目は、エサを前にした魚のように泳いでるに違いない。

 だが幸いなのが、僕は常に下を向いているため、この恥ずかしい顔は見られていないのだ。


 僕はパーカーのポケットに手を入れ、黙ったまま立ち尽くす。

 この気まずい空気に耐えられず、側に置いてあったベンチに逃げるように腰掛けた。


 長い前髪から上目遣いで覗く、いつもの風景。

 いつも見ている光景だが、今日はどこか違って見える。


「はいこれ」


 いきなり目の前に立つ女性に、僕は思わず声を出して驚いた。

 初めて、こんなに大きな声を出した。

 火が出る程、恥ずかしい。


 女性は僕に何かを差し出している。

 先程嗅いだ匂いと、同じ匂いだ。


 これは、ホットドッグだ。


 ソーセージをパンで挟み、マスタードとケチャップを掛けただけのシンプルなやつだ。


 かれこれ5分程経った。

 女性はまだホットドッグを差し出しているが、疲れと不安とイライラが全身に表れている。


 受け取った方が良いのだろうが、この行為にさえ僕は勇気を必要とする。

 残念だが、腕を5cm上げるだけでその勇気は尽きてしまった。


「早く受け取れバカ!」


 女性は愛想を尽かして、僕の太ももの上にホットドッグを乗せ車に戻っていく。

 まだ微かに暖かく、僕の太ももの温度がじんわり上昇する。

 だがそれ以前に、僕の顔はケトルのように沸騰している。


 とりあえず、そのままにしておくのも違う気がして、僕はそっと口にホットドッグを近づける。

 決して、お腹が空いていた訳では無い。

 匂いに釣られた、訳でもない。


 僕は小さく口を開け、パンの部分だけかじった。

 ちょっとだけケチャップの味がするが、ホットドッグとしての味は当然しない。

 車の中で鼻歌を歌う女性の顔は見えないが、ベンチから視線を一瞬斜め上に向ける。


 そして、意を決して、僕はホットドッグにかぶりついた。


「おいしい……」


 シンプルなのに、なぜか泣けるほど美味しい。

 ケチャップなのか、マスタードなのか、この鼻に抜ける風味がたまらない。

 ソーセージも油が抑えられていて優しい口当たりだ。

 パンも安くない食感、こんなに美味しいホットドッグは初めて食べ……。


 僕は、嫌な視線を感じた。


 そういえば、さっき声を出した気がした。


 ゆっくり斜め上を見上げると、ニヤついた女性がカウンターに頬杖を付いて、僕を見下ろしていた。


「うへへ、そんなに美味しい???」


 僕は、口にケチャップを付けたまま気絶した。



 しばらくして、女性はカウンター越しに遠くを見ていた。

 数分気を失っていた僕だが、目を覚ますとちょうど陽が陰る頃だった。


 手には覚えのないカップが握られていて、そこからレモンのいい香りが漂っている。


 どこか、ノスタルジックな風景を前に、僕は自然とカップの飲み物を口にしていた。


 ホットレモネード、酸味が抑えられた優しい味。

 僕は今日、二度も優しさに触れた気がした。

 久しぶりの優しさ、僕の心にはかなり沁みて痛かった。


「綺麗だよね」


 僕が起きているのに気づいているのか、遠くを見ながら女性は誰かに話している。


 相手は言うまでもなく僕に違いない。


 気を遣って、僕に視線を向けないでいてくれているのかもしれない。

 僕にはそれが簡単に伝わった気がした。

 気を遣わせていることの罪悪感が全身を巡る。


「ホント、嫌なことだらけだよねー」


 女性は話すのをやめない。

 ずっと遠くを見たまま、独り言のように淡々と続ける。

 ホットレモネード、僕の唇はずっと浸かったままだ。


 風が線で見え、僕をそっと瞬きさせる。


 雄大な地平線は、世界の端に見える。

 地球の辺、僕にも同じ丸みはあるのだろうか。


 敷かれてもいないレールに、僕はずっと座り込んだままだ。

 他の人達はもう既に、僕の視界には入らないほど遠くに進んでいる。


 僕は、心が弱いから、座り込むことしか出来ない。

 いっそ、消えてしまいたいのに。




「ねぇ、ちょっと叫ばない?」


 女性は唐突に僕を見下ろす。

 少々驚いた僕は、ホットレモネードが頬に雫として張り付いた。


 女性はエプロンを取り、早足で草原の真ん中に立つ。


 背を反らし、両手を口に当て、勢いよく前かがみになる。


 僕の数メートル先に立つ女性は、今、解き放った。



「しにたーーーーーーーーーーーーーーい!!!!」



 きっと、風が女性を避け、僕に当たっただけだ。

 どこか、心を抱きしめられたような気分。


 きっと、風が目を乾燥させたせいだ。

 だって、別に悲しくもないのに。


 きっと、ホットレモネードが流れたんだ。

 絶対、そうに違いない。



 僕の心は、ホットドッグのように包まれた。



「どう、意外だった?」


 草原の真ん中で振り返る女性の顔は、楽しそうに笑っていた。


 辛くて、苦しくて、心を散弾で何度も撃ち抜かれる感覚。

 何度も何度も、心を刺される、感覚。

 強く握りしめられ、そのまま引きちぎられそうになる、感覚。


 こんなに、明るいのに、僕と同じだ。


 女性は風に流れる髪を左手で押え、ゆっくりと僕の座るベンチに腰掛ける。


 初めての、距離感。


 僕の心臓はドクドクと鼓動する。

 チラチラと何度も横目で女性を見る。

 今どんな顔をしているのか、全く分からない。


 女性はそっと、僕の左手に右手を添える。

 優しく、暖かい。

 でも、手は少し荒れている。

 綺麗なのに、勿体ないほどに。


「私ね、ずっと死のうと思って生きてきたの」


 女性はそのまま感情を口にする。

 僕は言葉が耳に入らない程の緊張、をしていない。


 不思議だ。


 僕は自分でも信じられない程のあがり症だ。

 人と目を合わすことさえ出来ない僕は今、不思議と緊張をしていない。


 この、繋がる手が、僕の鼓動を抑えている。


「やっぱり、自由って思い通りにならないねー」


「……うん」


 僕は声を出した。


 初めて、話そうと思った。


 自分を、感情を、心を。


「……君も死にたい?」


「……うん」


 女性は微笑んで僕を見る。

 見なくても、それくらい伝わる。


 女性は、そっと息を吐いた。


「……なら、今日が私達が生きてきた意味だ!」


「……え」


 いきなり大きな声を出すもんだから、僕は女性と目が合ってしまった。


 精一杯の、笑顔だ。


 僕がこんなだから、目に涙を溜めながら笑っている。


 今にも溢れそうなのに、僕の方が先に感情が流れ出した。


「私達がこれまで死にたいと思わなかったら、こうして君と分かち合うことも出来なかった」


「……」


 僕は、黙ったまま口を震わせる。


「どんなに辛くて、しんどくても、生きてきたから君と会えた」


「……」


「不幸で、よかった」


「……」


「ありがとう……」


「……」


 風は、皮肉にも凪いだ。

 もしかすれば、気を遣ってくれたのかもしれない。


 この広い世界で、どれだけの人が隠しているか。

 僕は、あくまでその一人だ。

 ずっと孤独で一人ぼっちで、地の底を這いつくばっていた。

 自分だけだと、思っていた。


 僕のような人間は、優しさに触れて楽になるんじゃない。


 孤独じゃないと知って、自分を許されたと知って、解放されるものだと思う。


 それが、幸せなんだと、僕は思う。


 僕は、この数分の為に、生きてきたのだ。




 🌭

 次の日、女性の車はそこに無かった。


 というより、その車はツタで覆われ、時が急激に進んだように古めかしい。


 僕は、景色となったその空間に駆け出した。




 当然、あの人はいない。


 匂いも無ければ、音楽も聴こえない。


 僕は息を切らして、側にあったベンチを見る。


 その上には、真新しい紙が一枚折りたたまれていた。


「一緒に、生きよう」


 可愛い丸文字で、一文だけ書かれていた。


 もう会えない、そんな気は昨日から何となくしていた。


 やっと見つけた生きた意味なのに。

 やっと見つけた生きる理由なのに。


 僕はベンチに座り、家で作った出来損ないを口に詰めた。


 やっぱり、あの人のようには美味しくは無い。


 マスタードが、効きすぎたようだ。


 二色の花びらが、そっと僕の隣に重なり落ちる。


 生きる理由、僕はその花びらを手に取り、紙に挟んだ。


 僕と彼女の、ホットドッグだ。

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ホットドッグのように生きたい🌭 拗ねちゃま @ninzin0106

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