「黒い夜」(その4)
扶桑陸軍学校も夏季休暇となれば、士官候補生たちの多くが帰省するのだが、その一方で陸軍学校の道場には変わらない日常があった。
道場の主とあだ名される園部八重が木刀を振るう音、胴着の衣擦れ、どれも普段から聞こえる音と景色がそこにある。鍛錬を日常動作の一部としている彼女にとって、特に不自然はないはずだったが、この夏季休暇だけは何かが違っていた。
「やっぱり伊織がいないと、何をするにしても静かだ」
普段の夏季休暇であれば幼馴染の同期、月岡伊織が甘味処「穂のか」の包みを片手に八重のもとへ顔を出すところであったが、それがまったくない。
それもそのはずで、扶桑之國の美騎爾こと環那の性能演習に参加していた。
この性能演習はナオミと香月の一戦から明らかになった情報を基に、駐在している大合衆国海軍が本国と連携しつつ遂に完成させたプログラムであった。さらには彼女が装備する環那についても、鈴寿と同じく
美騎爾が発動させる能力を引き出すために、どの程度の戦闘環境が必要になるのか。どのような身体反応が必要になるかといった具体的な数値化を実現できたと、扶桑陸軍で研究を主導する清河大佐から聞いている。
「それでも、解明できたのは
そんな清河大佐の一言を、八重は思い出す。
それは彼女が用いた鈴寿、扶桑之國の美騎爾を用いて張雪梅の陽王と「奉納仕合」を執り行った際に発揮した能力だ。あれは、これまで確認された戦闘能力の向上や「記憶の固執」と呼ばれる自己修復の能力に該当しない何かであった。
「私に鈴寿がなければ、どうにもならなかった」
あの時見た空間、過去の景色が存在する全てが停止したようなあの空間を八重は幾度か夢に見ている。
一体どういう法則が働いたのか想像もつかないが、時間を止めたという非現実的なことを可能にするのであれば、例えば伝承にあるような隕鉄を用いたなどという領域を超えた金属なのだろうと八重は思う。
「環那は、一体どんな能力を発揮するのだろう…」
東人民共和国こと東の大陸に伝来する三領は、何れも装備者を保護するべく破格の攻撃力を発揮することが明らかになった。信じられないことだが、王朝の伝承の内容が
ましてや張雪梅が用いた双剣の妙技、さらには陽王が繰り出した光の剣など、この先二度と目にすることのできない奇跡だと言っていい。特に後者は、群雄割拠の時代に戦場に犇めく大軍を斬り伏せてきた宝剣。あれは、剣士として生涯誇りとして良い経験だった。
「八重さん、失礼します」
物思いにふける八重に声を掛けたのは、その張雪梅だった。
「ああ、これは雪梅さん。先日は本当に貴重な仕合となりました」
「ええ、私もその御礼と改めてお話をしたいと思いまして」
右手には鞘に収まった件の双剣、そして甘味処「穂のか」の紙袋があった。何でも妹の雹華が見舞いに来た時、伊織も様子を見に来てくれたという。
「なんでも、鬼が笑わせるのはこれだとか」
雪梅が「うふふ」と笑う様子に八重は、まるで娘の悪戯を告げられて「しまった」という母親ような何だか気恥ずかしい気持ちだった。
「まったく、どこでも喧しくてお恥ずかしい限りです」
「いえいえ、妹の雹華が惹かれる理由がわかりました。素直でまっすぐなのですね」
そういえば聞こえはいいが、何と言うべきかと八重はどうも気恥ずかしい。
「こうして伊織と離れて過ごしていると静かで調子が狂います」
「私も一番騒々しいのが離れていると、静かで変な調子ですよ」
そんな二人のやり取りを受けてか、扶桑陸軍演習所の森林に伊織の小さなクシャミが響いた。
「こんな格好だけど、夏風邪ってことはなさそう…」
何せこの美騎爾こと紺糸威の環那を装備していると、快適の他はないのだった。八月の暑さすら和らぐ上に、野営していても藪蚊や毒蛇すら寄り付かない。
「特殊な隕鉄だって聞いたけど、何だか生きているみたい」
弓矢や弾丸すら防ぐこの堅固な甲冑でありながら、今このように山中を過ごすにあっては制服よりも自然であるというのは不思議だった。この妙な名前の金属は「柔らかい機械」と聞いたが、これほど自然な感覚は伊織の言う通り生き物ようでさえある。
加えてこの伊織が元気いっぱいに山中にいると、渇きや飢えを癒す効能はないということも、否が応でも気づかされた。糧秣(りょうまつ)は演習期間の三日分が背嚢にあるものの、疲れたらここで小休止とはいかないのがこの演習だ。
彼女一人に対して、扶桑之國陸軍および大合衆国海軍から選抜された女性隊員による特別編制の一個小隊があてがわれている。これを相手に三日間、休みなく伊織が対峙する形式となっており、ここで美騎爾の能力が確認できた時点で終了となる。
お互いの行動は常に通信装置によって観測班が確認している。この装備は極めて軽量で薄く、通常の戦闘服の下に装備しても全く違和感がない。何しろ原型となったものが、大合衆国陸海軍が共同で開発したBIKINIを通信に特化させたものと言えば、納得できるだろう。
被弾被害の信号は、麓にある観測班の下へ送信される。これによって脱落者を確認し、各ポイントに潜伏する分隊へ行動開始の連絡が行われるのであった。
このタイミングが、非常に計算されており伊織が「限界」を感じるタイミングを逃さない。この丘陵地にあるのは鬱蒼と生い茂る森林と、自分を取り囲む追手のみ。そして、先ほどのクシャミで感づかれたなと伊織は耳をそばだてている。明らかに林の中から微かに物音が聞こえるではないか。
「この足音なら、四人かな…?」
元々、体力と運動神経では扶桑陸軍学校で常に上位に入る伊織は、こうした野外の演習でもめっぽう活躍するほうだった。学科試験では役に立ったためしのない、野生の勘というものが非常に役立つのだったそして勘は当たった。伊織めがけて茂みから殺到する人数はちょうど四人だった。これを「大当たり!」と喜ぶ暇もなく伊織はこれを迎撃した。
佩刀の上総介兼繁を鞘から払うと、伸びてくる銃剣の切先を叩き落とし怯んだところを摺り上げて一閃する。
そして、すかさず返す刃で一人を薙いだ。互いの得物は刃挽きしてあるが打撃という威力は健在であり、実戦同様の緊張に満ち満ちている。残る二人がこの隙にと伊織の胴を狙うが、それもすかさず小太刀を逆手で抜き払い、牽制したところで左右の大小でこれで制圧した。
「八重さんや、雪梅さんのようにはいかないや…」
二人の奉納仕合で見せた二刀をどこかで思い出しながら自然に活用できたように見えたが、余りに自分のは鈍重に感じられて仕方がない。あの二人なら茂みから出て来た瞬間に制圧できる。ましてや八重ならば、長物四人を混戦させるために小太刀だけでもやってのけるだろう。
「痛たた…」
制圧されてひっくり返ってしまった四人が立ち上がると、観測班からの通信を受けてすごすごと撤退を始めた。
一人は、すこし打ち所が悪かったかよろけてしまったので、伊織が肩を貸してやった。だが、こうしたときに反撃するのは戦場の常道。すかさずその二等兵は伊織の腕を極めようとしたが、逆に腕をひねりあげられた。伊織の圧勝であった。
「いやぁ、驚きました。先にナオミ・オハラ士官候補生から聞いていた通りですよ」
ひねられた二等兵が腕をさすりながら、そんな捨て台詞と共に残りの三人とともに完全撤退していった。
まさしくその通りだった。最後の武器は肉体、油断してはならないということは、そのナオミとの一戦で十分に学んでいる。
八重とナオミ、いつも一緒の顔はここにはいないというのに、伊織はこれまで以上に身近に感じていた。この演習に全くおじけづかないのは伊織元来の気性よりも、得難き師から学んだ技術が自信となって発露したからというべきだろう。
そんな風に撤退する四人を見て、何かを思い出したように伊織は駆け寄って小声で分隊長へ声を掛けた。
「あの… 帰り道は気を付けてください。マムシが出ますから」
その一言に、四人の兵士は笑ってしまった。今しがたそんなものより恐ろしい、奇妙な甲冑を着た怪物を今しがた目の当たりにしているではないか。それにしても、随分と優しい怪物ではないかと四人は思った。
「四人を一度に仕留めた?よし、次の分隊に行動開始の連絡を頼む」
早速この報を受けた観測班と清河大佐は段取りしてる。
この様子を、伊織と同じくこの演習に紅王を携えて参加した雹華が見ていた。彼女の性格からすれば、こうした演習などは「望むところ」であったのだが、これまで取得したデータから身体能力の高さが並外れていたことで問題が起きた。
この演習プログラムを雹華に適用しようとした際、どう少なく見積もっても一個大隊以上が必要になってしまった上に、装備の準備や演習の秘匿も難しくなると判断されていたのだ。そういう訳で、先に香月が用いた美騎爾「天馬」に見られたような能力の暴走が確認された際の「抑え」として参加していた。
「何も起きなければ、要石だって
雹華はそんな風に自嘲していると、何かそれに呼応するように紅王が妙に
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