「黒い夜」(その3)

 稽古を終えたニーナが身なりを整える間、ナンシーは彼女に案内された応接間で待っていた。


 十五振りの拵えが壁に掛けてあるのが目に入った。これはニーナが先ほどまで、稽古で用いていた東方新撰十五腰が収まるものだ。ナンシーは扶桑之国へ派遣された経験から、それ相応の知識がある。ましてやあの国の刀剣と剣術の見事さは、先の権益奪還の決闘で目の当たりにしていた。


 故にその何れもが、流石は西方諸国でも有数の金工職人を祖にする名家と感心する出来栄えだった。ニーナが剣に対する執心を考えれば、お抱えの職人に依頼するどころか、製作へ自ら加わっていることを想像できる。


 縁頭ふちがしら、柄巻の合間に見える目貫、鍔そして鞘からこじり視点を映しながら眺めてみても、一貫した思想と物語が感じられる。こうした拵全体を構成する一つ一つが、扶桑之国から古来伝わる様式に匹敵する完成度であった。時折、西方諸国や大合衆国で見られる「模倣品」とは一線を画している。


 蛭巻の拵えなどは柄と鞘が一体のように見え、それこそ大蛇の如く妖艶さがあった。一方で若草色の柄巻に、翠玉を細かく散らした鞘という春風の化身のような美しい一振りもあった。


 さらに鏡映しのような一組を見ると、鉄味が抜群な透かし鍔には二羽の揚羽蝶が彫られている。これは二枚を重ね合わせると更に大きな一羽の蝶が現れる意匠であった。おそらく、これがさっき迄ニーナが振るっていた太刀が収まるのだろうかと考える。

 

 「扶桑之国にあって、刀装具は只の飾りではない。剣術という作法の中に完成する美を理解しなければ、こうはできないはずだ…」


 そこに、ひと際目を引いた太刀造の一振りがあった。


 拵全体が白を基調としており縁頭と目貫は交差する蛇が白金であしらわれている。白蛇はベルクホルム家の家紋であった。そして鞘は象牙を金継ぎで仕上げたと見える。この金継ぎの模様に、ナンシーはあることを思い出した。

 

 「その拵にはと名付けました」


 彼女の思い出した景色を言い当てるように、ニーナ・ベルクホルムが平服姿で現れた。という言い伝えがある。成程、この拵えを光の中にある光と見立てたというなら、納得できる。


 「お待たせしました。あいにく私しかおりませんので、この程度のことしかできませんが」


 身支度の終わったニーナの手には二人用の茶器がある。この武骨な空間にあって、唯一彼女の乙女らしさを感じられるものだった。


 「あら、ベルクホルム家のご息女にお茶を淹れてもらうなんて光栄ね」

 「こちらこそ、フェルジ大佐と普通の茶会ができるとは思いもよりませんでした」


 このニーナも、あの夏の経験や噂でナンシー・フェルジの悪癖は知っている。もっとも、その悪癖では彼女から茶会の誘いが来るのであるが、今の彼女はそれどころではない。今は有事であるという覚悟がナンシーにはあった。


 「それで貴女は、この大層な太刀を携えて西方諸国の新たな英雄になろうと?」

 「さて、フェルジ大佐。一体何のことでしょうか」

 「あの政党は残念だけれど世界連盟の発足より前に片が付きそうよ? 、全部把握できた。東方帝国再興という絵は、額から外させて貰ったわよ?」


 ナンシーの一言に、ニーナはカップを口元に運ぶのを止めた。しかし、その手許の確かさ、唇の震えがないことから、全く動揺していないことがわかる。流石は財界に通じる名家の長女、交渉の場での揺さぶりなどは訳ないということだろうか。


 「その件については、何とも平和的に解決してくださった。こちらが感謝したいくらいですよ」


 この小娘は何を思って強がりを言っているのだろうかと、ナンシーは思う。


 政党「祖国」の党首が急激に諸侯と接近できたのは、このベルクホルム家のニーナが関わっていた。西方諸国に散逸した扶桑之國の刀剣を拝見するのを隠れ蓑に、あの党首と諸侯の面会を手引きしていたのだ。一部の諸侯たちは群雄割拠、乱世の記憶を血統として繋いで生きて来た。あの党首と同じく、一種の誇大妄想的な帝国の黄金時代を思い描いて生きている人間たちだ。


 泰西王国へ一矢報いんと牙を研ぎ続けるする連中、言うなれば怨讐を正義に置き換えた究極のエゴイスト達と言っていい。この傲慢さから、当初は政党「祖国」の党首を疎んじたが、ニーナが介在することでこの党首は自分たちの悲願を叶える「希望」であると信じさせた。


 そして政党「祖国」が保有する親衛隊と呼ばれる演説を警護する連中が現れている。これには、こうした諸侯たちの私兵の中から選りすぐった精兵ばかりであった。なるほど、手広い活動をするにはうってつけの人材だった。


 仮にこのニーナ・ベルクホルムの目的が、この私兵団の結成と諸侯たちの連携による武装蜂起が狙いだとすればこの場で捕らえるか、討ち果たすほかは無いとナンシーは決意していた。


 「フェルジ大佐のおっしゃるように… あの党首の絵は額縁から外された。しかし、人々は。これで良いのです」

 「未完成の絵なんて、失笑されるだけだと思うけれど?」 

 「ははは、それは違いますよ。芸術品というものは、未完の箇所にに己の想像力を注いで完成させるのです。そして、完成が叶わないのであれば、自らの手で完成させようと行動する… 感動したもの接近したいという感情は、何人たりとも阻むことも奪うこともできません」


 既に東方連邦のみならず、泰西王国にまで地下組織が存在していること、警察機関や軍部にさえ内通者が居たことを確認している。さらには王室の連枝にまで関与した動きが見られたことも確認している。ニーナの言う通り、あの絵は余りに多くの人々を引き付けてしまったのだ。


 「なるほど、随分なことをやってくれたわね…」


 あの政党「祖国」は解散消滅し、大衆の悉くは瞬く間に冷めて支持を失ってこの騒動も収まっていくだろう。これで現時点での脅威は去ることになるが、根本的な解決には至らない。ここまで影響力があった以上、泰西王国が将来分断されかねない事態もあり得る。仮に内戦に発展した場合は、必ず周辺諸国も参戦する上に、収集の為に大合衆国が介入する可能性は極めて大きい。


 これが実現すれば、皮肉なことに世界の安寧秩序を目指す為に結成された国際連盟という子供が親を討つこととなる。


 この点についてあの若き超大国が気付いているだろうかと考えた。これから為すべきことは関係者の監視は当然として、この騒動が「終わった」のではなく「始まった」と記憶にとどめていくことだろう。誰もがこの騒動を過去とするのならば、今自分が考えることは必ず実現してしまう。


 もしかしたら、あの党首が登場したときでさえ、とナンシーは思った。泰西王国に対する、見えない戦争が始まったのだと改めて理解した。しかも、今のところ優位にあるのは既に消滅が確定したはずの敵だった。更には、このニーナ・ベルクホルムを捕えるに妥当な理由も存在していない。


 奇妙なことだが、ナンシーは己の活動で以って己に敗れたことになった。


 「将来、敗北の惨禍を回避するべく、フェルジ大佐は益々ご活躍いただくことになるでしょう。先の権益奪還の決闘にも敗れているようでは…猶更」


 この一言には、流石のナンシーも背筋が凍る思いがした。この一件は泰西王国の外に漏れないように、関係者一同へ緘口令まで布いたはずだ。


 「当家の場合、極東地域にも関連企業や工場を持っておりますからね。さしずめ、扶桑之國でいうところの忍… 乱波らっぱを用意するののは容易ですよ。それにしても、美騎爾を用いるどころか、東華民国の三領まで取り寄せて研究しているとは、想定外ですよ」

 「貴女、あの美騎爾という甲冑にも詳しいようね」


 ベルクホルム家のルーツを思えば刀剣や甲冑に通暁していることは自然であったが、それにしてもに言及していることから、かなりの情報を持っていると見えた。


 なにせ自分などは扶桑之國に残してきた右腕、エマ・ジョーンズ伍長の最近の報告で知ったばかりだ。


 「美騎爾に用いられる金属と我が一族には因縁があります故、よく存じ上げておりますよ。もっとも、詳細については貴女が尊敬する王室によって抹消されておりますが」


 成程、道理で本国の史料を辿っても見つからないわけだと判った。確かに、錬金術師と呼ばれた人間たちを遠ざけた時代が存在する。王室が秘匿するほどであるならば、その内容は「脅威」に他ならない。


 「いつかその御高説を賜りたいものね」

 「ええ、この夏が終わったらまたお会いしましょう。明後日には、扶桑之國へ発ちます」


 ニーナはこの夏、ベルクホルム家が株主となっている航空機メーカ、ハンス・ウィルファー社が開発した新型長距離旅客機のお披露目にと、扶桑之國を訪問する予定であった。無着陸飛行とはいかないが、三度の給油で扶桑之國到着まで四十八時間を切るという性能は驚嘆するべきだろう。この新型にベルクホルム家の息女が搭乗するというのだから、自信のほどが伺える。


 「目的は新製品の広告塔という訳ではないわね? 同伴者はこの十五腰と、あの一領といったところかしら?」

 

 ベルクホルム家に伝来する西方諸国にあっては無敗を誇ったというビキニアーマー、おそらくはあの一領も彼女と共に扶桑之國へ渡ることは容易に想像できた。自分たち泰西王国を打ち破った美騎爾を制する腹積もりであるなら、やはりこのニーナは随分なことをやってのける。


 「いずれも、我が一族の因縁の締めくくりには必要不可欠なものです。」

 「長居をしたわね。それでは夏の終わりに、また会いましょう」


 ニーナのもとを撤収したナンシーは、万が一の場合にと待機させていたアンダーソン少尉と泰西王立陸軍特殊空挺部隊コマンドたちの合流地点に向かった。


 「会話の記録は?」

 「全て記録できております。しかし、合成音声で証拠を作るとすればもう少しニーナ嬢の音声サンプルが必要です」


 ナンシーはアンダーソン少尉のこういう余念のなさを買っているが、今回ばかりは「また次の機会にする」という反応だったためか、却って少尉が怪訝そうに見ていた。


 そして快適とは言えない帰りの機内でナンシーが振り返るものは、あの美しい別荘地の景色ではなくニーナの言葉だった。彼女の言葉を反芻していると、あの性格であれば真正面から園部八重や時山希子たちに挑むのだろうか。それとも更なる策を講ずるのだろうかと、考えが尽きなかった。


 全く不思議な感情だった。


 自分の国以上に、まさかあの扶桑之國のことを気にかけているとは、あの決闘がなければ想像もできないことだった。その一方で、あの二人がニーナを見てみたいという、少し意地の悪い感情もあるのが正直なところだった。


 そんなことを考えながら、自分によく似た女傑を相手にした疲れが出たのかナンシーは少し眠ってしまった。その様子を目の当たりにしたアンダーソン少尉と特殊空挺部隊の女性隊員は「あらあら」という様子で眺めた。


 彼女がこんな風に、姿だったからだ。

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