「黒い夜」(その2)

 扶桑之國は古来より独自の刀剣史を培った。


 この国の人々は簡単に「かたな」というが、その実は太刀、刀、脇差、短刀、つるぎと細分され、他国には例がない鍛造方法で知られており、その製造過程に至るまでが一種の宗教儀式であり信仰の対象であることは世界に稀な文化と言っていい。


 この刀剣文化が世界に認知され始めたのは四十年前、旧政府瓦解の直後に新政府が外貨獲得の一環で美術品の輸出を開始したことに端を発している。


 これには旧政府軍に加担した将官たちが戦時賠償として差し出した刀剣類が含まれており、それこそ群雄割拠の乱世から重代の名刀の数々があった。いずれの名刀にも鞘書きに折り紙と、背景を知るに十分な史料も海を渡っていった。


 西方諸国の諸侯、或いは大合衆国の軍人や政治家がこの主な買い手となったが、やはり時代を経るとともに所在が分からなくなり散逸という憂き目を見ている。ましてや芸術品の競売が盛んである彼の地にあっては、扶桑之國で神格化されるような刀剣も珍奇な美術品の域を出なかった。


 その中でも、扶桑之國における刀剣の歴史と信仰を理解し、最大の敬意で以って応えたともいうべき一族がある。


 東方連邦のベルクホルム家といえば、科学と魔法が未分化だった時代にあって優れた金工職人と錬金術師を輩出した一族で知られている。東方帝国が時代を経て科学という存在が正しく認知理解され、立場を立されるとともに錬金術師の姿は消えていったが、優れた職人が生き残り職人の組合を作った。


 これが今日まで成長拡大し、西方諸国最大の鉄鋼業を担う財閥を形成するに至っている。故に、極東の地で鍛えられた鋼が織り成す刀という小宇宙を理解するには、十分すぎる技術と知識がこの一族は持っていた。


 折り返し鍛錬、刃文の焼き入れ、いずれも精錬技術がという事実は尊敬するに値する事実だった。未熟なものが重ねる工夫はやがて「技」に変わる。


 「扶桑之國の刀剣、剣術はいずれも技の結晶… 我々が代々用いて来た道具とは大いに異なる。道具に使われる人間はないが、この刀剣だけは使い手を選ぶ」


 かつて祖父が口にしたこの言葉が、いつでも思い浮かぶ。


 それは現当主の長女ニーナ・ベルクホルムの心中に、十九となった今も変わらない扶桑之國の刀剣に対する情熱と感動がある証だった。


 ベルクホルム家に伝来した扶桑之國の刀剣は「東方十五腰」と名付けられているが一部が父と兄弟の手許に渡ったことと、この数年で新たに蒐集された刀剣を基に「新撰東方十五腰」を彼女が選出した。また、これらの拵についても自ら意匠するなどの執心ぶりであった。


 そして彼女は、打ち粉をして椿油を塗って白鞘に収める以上の「手入れ」として剣術の稽古に用いる。それも、東方連邦が帝国と呼ばれた時代からの剣術ではない、扶桑之國に伝来する剣術であった。特に夏は避暑地の別荘に籠って護衛もメイドの一人すら傍に置かずに、ひたすらに刀剣と向き合う時間を創る。


 そこにあるものは己の鍛え上げた肉体と刀剣のみ。


 この静かな刀剣との対話を心行くまで堪能する。今年の夏もまた、ニーナこうした時間の真っ只中に身を置いている。


 長らく人々を熱狂させたい世界連盟発足も来週となり熱狂は頂点に達するだろう。「世界の連携と調和」という新たな世界の到来に「これは商機」と飛びつく単純な欲に生きる男たちの習性を、どこか忌避する年相応の感情が少しはあったかもしれない。


 しかし、彼女ははるか遠い位置に心身を置いていた。そんな感情も振り払うかのように、彼女は鍛錬に集中する。十五振りを用いて、基本的な正眼に始まり居合や小太刀、短刀、或いは槍に至るまでを熱心に打ち込んでいく。


 六尺を超えんとする長身に加えて、近代体育の鍛錬法で鍛え上げた肉体は見事であった。


 これに比べれば、遥かに運動強度が低い扶桑之國の剣術であるが、彼女の胴着には滴るほどに汗が滲んでおり、太刀筋を正しく用いるための動作は腕だけにとどまらず胸筋や背筋の可動、下半身の重心移動も作用する全身の動作であることが伺える。 

 

 胴着の合間に見える胸元を滴る汗は、大理石の彫刻につく露のように見える。また、汗に濡れる髪は栗毛の駿馬の毛並みを思わせた。武術を修める身でありながら、その美しさは西方諸国の美術品のようであった。


 「次は、二刀か…」


 そんなつぶやきとともに、両手には「双子高綱」と呼ばれる伯耆高綱の太刀が握られていた。この太刀名称の通り刃文、反り、刃渡りまで寸分たがわず同じという奇跡の二振であり、同銘の太刀と同じく最上大業物に列している。


 扶桑之國の旧政府が台頭した直後、政情不安と身内争いの続いていた東北扶桑を制した梟雄が近衛大将に面会を求められた。


 この折、双子ふたごにかけて「貴公に二心ふたごころあり」とヒヤリとする冗談を言われたが、双子高綱を差し出すや「双子高綱はこの通り梨子地鞘なしじさやに収まり、二心と相成りました」と返し、その豪胆ぶりと諧謔精神を後世に遺した。余談だが、この梟雄の末裔は旧政府打倒の内戦では新政府軍と最後まで抗戦している。


 「さて、今度こそは」


 通常の刀であれば両手で用いてこそ威力を発揮する様式、これを自ら捨ててる二刀の術とは如何なるものか。一を二にするのではなく、各々を活かす術は如何なるものかと、袈裟懸け、刺突と型を一つ一つ確かめていく。


 打刀でも二刀は極めて高度な技術を必要としており、ましてや太刀の二刀など扶桑之國でも乱世の戦場で数例が確認されている程度であった。


 このためかその実戦の研究と再現にニーナは腐心している。


 「何れの手も、少し右の太刀が遅れるな…」


 寸分違わぬ太刀でありながら、ニーナは両利きに矯正しているというのに左右の手に収めてみるとまるで違う感覚を受けていた。何か心が穏やかではない、正しかざる位置にある時にこの感覚が必ずやってくる。


 確かに静寂を乱す気配が、先ほどからこの敷地内にある。


 自分と刀剣のみがあるこの空間に侵入者、果たして如何なるものかと考える。もっとも、物取り目的でベルクホルム家や、ましてはこの剣客たるニーナを相手にするような気概のある者は西方諸国には存在しないだろう。


 「この金色の鬣をもった獅子のような気配、ああ間違いなくあの方だ」


 ニーナは彼女のことをよく知っていた。


 「お久しぶりです。ニーナ女史、相変わらず熱心なご様子で」

 

 泰西語なまりの東方語。その声の主は美しい金色の髪を持ち、成熟した女の体から漂わす芳香を漂わせる。しかし、その眼だけは野獣のようにぎらついた何かを感じさせる。


 紛れもなく泰西王国きっての女傑、ナンシー・フェルジ大佐だった。


 「こんな姿で、こちらこそ不調法を… つい熱が入りすぎました。侯爵夫人、昔と同じくニーナで構いません。ここには私しかおりません故、気軽にどうぞ」


 ニーナが携える二刀の抜き身を目の前におじけづかない、挙句の果てにはベルクホルム家の長女を小娘のように扱う。ましてや護衛もなしに一対一で対面しようとは、流石の他に言葉はない。


 双子高綱を鞘に収める様子を、ナンシーはじっと見ていた。久しぶりに再会したあの少女が、ここまでの剣士に成長していたことに驚く。どうやら、ベルクホルム家のお嬢様に収まるつもりは全くない。彼女はやはり、自分と同じ側の人間だと思った。


 「この庭先、懐かしいわ。まだ貴女はこんなに小さかった」


 そんな思いから、初めてニーナを見初めた時のことをナンシーは思い出す。それは、ニーナもよく覚えている。


 十五の夏、初めて会ったのは父がフェルジ家の当主と彼女をこの別荘に招いた時だ。


 男たちが何を語り合ったのか、少しも思い出すことはない。それでも泰西王国の陸軍士官の制服に身を包んだ彼女に、夏の太陽よりも強烈な輝きを感じたことをはっきり覚えている。女性の士官を初めて見た。泰西王国と言えば万事先例が大事の国であるはずが、それに反発するかのように凛とした表情で自分の目の前にあった。そしてあの日、あの光輝く美しい存在から忘れがたき贈り物を受け取ったのだ。


 「ええ、覚えてますよ。そう、貴女はあの時こうした…」


 ニーナは少しかがむと、何の躊躇いもなくナンシーの唇を奪った。


 あの時は、当然ナンシーがそっと人目につかぬところでそうした。あの時、彼女は「特別な事」と言ったが、それは嘘ではなかった。何度か諸侯同士の会合で顔を合わせる機会があったが、ほどなくしてナンシー・フェルジは扶桑之國へ旅立った。


 そして帰国して見れば侯爵夫人となり、あの夏は余りに遠く近づくことさえもできない記憶となってしまったはずだった、それが今、ニーナの眼前には、あの時の芳香がありありと蘇る。


 仮にここへ二人の他に誰かがあったとて、きっと彼女はこうしただろうとナンシーは思った。もう、誰も彼女を止める者はいない。ナンシーもまた懐かしい体温と感触を感じると、そっとニーナの体に腕を回した。


 あの時の少女がここまで美しい獣に成長していたことに、得も言われぬ快感が全身を駆け巡っていた。

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