第三部「発動」

第1話「黒い夜」

「黒い夜」(その1)

 世界連盟成立によって、世界各地で独立の気運が高まっていた植民地が国家として承認された。


これが物語の締めくくりであれば「この日、新たな国家の産声とともに世界の調和と連携が始まるのだった」と続くのだろうが、まだこの言葉は時期尚早だった。


 かつての宗主国たる泰西王国や西方諸国が抱える不満の解消に加えて、武力による体制打破を目指してい強硬派を鎮められるか。これは連盟の盟主、大合衆国の双肩に重くのしかかっている。夏の熱気とは裏腹に極めて怜悧な判断を迫られていたが、こういう大事の前に慎むのではなく発散するのが大合衆国の流儀だ。


 本国の首都でも盛大な祝賀が行われたと後日報道されるが、ここ扶桑之國の帝都も負けじと祝いの声が高らかに響いていた。まるで扶桑之國に滞在する大合衆国出身者が一同に介したような大騒ぎだった。空けた酒瓶で戦艦サドウスキー並みに巨大で丈夫な筏が出来るとか、賑わいの声は大合衆国は西海岸に届くのではないかと思われる程に、本土さながらの桁違いぶりの熱狂具合だった。


 こんな様子から逃げられる訳もなく、外交官アリサ・スカーレットでさえ普段の凛とした真面目さはどこへ行ったのか、初めて仕事以外でひっくり返るほどに杯を空けた。


 そして彼女は宴会の席で一度、ほうほうの体で帰った自宅で今一度ひっくり返るのだった。


 「うわっ! これは今までで一番大変かも…」


 なんとか帰宅した彼女を、そんな風にボヤきながら同居人のアーニャは介抱して寝室へ連れて行った。これまでの仕事の疲れと、二日酔いで完全にダウンしてしまっているためか、運ぶに大変難儀した。完全に脱力しきった人間は、こうも重たいのかと鼻息が荒くなった。


 「さーて、ここからは私の仕事…」


 アーニャは彼女へ酔い覚ましの冷水と適当な果物を用意していたが、この酔い覚ましは。自分の本来の仕事が、いよいよ忙しくなるのだ。


 昨日受け取った報せは、待ちに待っていた内容だった。はやる気持ちを抑えつつ、いそいそと身支度をしてアーニャは恩賜公園まで赴いていった。そして報せの主を探すが、噂をすれば影とはよく言ったものだ。待ち人が向こうからやって来たではないか。


 報せの主は海軍学校に留学生、カノー・ソウザであった。この蒸し暑い扶桑之國の夏には不似合いなほど、この黒髪の美男子には爽やかな気配を漂わせる。


 「お久しぶりです。ゴライトリー女史」

 「ちょっと、その呼び方は止してよ…」


 その厳つい苗字が、どうもアーニャは苦手だった。うまく言えないが、ゴライトリーという語感がそれこそなんだか美術館にある筋骨隆々の青銅像の質感を思わせるのだ。


 「それではアーニャ、場所を変えましょうか?」

 「そうした方がいいわね。逢引という訳ではないのだから」


 このアーニャ、本名をアン・ゴライトリーといい、西方諸国は伊南共和国から大合衆国に移民した家柄である。そして共和国以前、|伊南王国《いなみおうこく)の時代であれば旧諸侯に名を連ねる名家であり王家の重臣で知られている。


 そんな彼女の職業、本当の仕事というのは大合衆国の統合情報局諜報員である。


 彼女のように大合衆国に移民した旧諸侯の人間たちは、ここで構築した人脈ネットワークを利用して西方諸国との動向を探ることに長けていたこともあり、この職業を選ぶ子女が少なからず存在しており、大合衆国政府もこれを活用していた。


 また、彼女自身が極めてコミュニケーション能力が高いこと、語学に関しては初見で楽器を演奏するような才能があったため、諜報員でなければ外交官が適職であると言えよう。


 この扶桑之國にあっては諜報員というよりも、古に存在した「しのび」と呼ぶ方が相応しい。


 扶桑之國へ外交官として派遣されたアリサ・スカーレットのとしてついて来たが、その実は急速な近代化を成し遂げた扶桑之國の「観察」が任務だった。


 旧政府を打倒した革命第一世代たちは老境に至り、世代交代にあっては次代を女子たちが担おうとしているという現況、国民の対外感情などを調査していた。

 

 「東方連邦の件は、間違いないようね?」

 「その通りです。流石は泰西王国の諜報部… 見事を通り越して残酷なほどですよ」


 このカノー・ソウザという美男子は海軍学校の留学生の他に、一つ別の顔がある。彼もまたマシュー准将が子飼いにしている密偵だ。扶桑之國が近代化と同時に北方の帝国を圧倒する海軍力を保有するに至ったことを警戒し、今後の海軍の動向を見定めるために次世代の勢力を観察するのが目的だった。

 

 「そうね。連中の目論見はこれでオシマイ。ここの旧政府陣営に接触されていたら大事だと思ったけど…」


 東方連邦で活動する政党「祖国」の党首は遂に連邦議会に議席を有するに至った。しかし地方選挙に於ける不適切な活動、特に候補者の拉致監禁や地元住民への脅迫による沈黙の共有。政党活動費の不透明な支出や、小型銃火器の入手などが発覚し、党員を私兵として再編成する計画が明らかとなった。


 瞬く間に大衆へ広がり期待と信用は失墜、その感情は不安と憤怒に変わった。


 「やはりあの絵描きは絵描き、我々に見せたものはでしかなかった」とか「市民の味方を謳いながら、結局は連中は次のになるつもりだった。」といった声は、あっという間に東方連邦を飛び越えて西方諸国に伝播した。


 終いには新進気鋭の才気とまで讃え、こぞって面会とを求めた政財界の人間たちも掌を返し「一体何のことであったか」というようにふるまって失笑を買っていた。


 「連中の目論見はこれで終わりました。しかし、どうも気になることが…」 

 「扶桑の旧政府勢力なら、連中と接触はしていないわよ。四十年前の伝手は、当て外れだったようね」


 アリサもカノーと同様に、一種の懸念があった。それは、東方連邦ないしは西方諸国とこの扶桑之國の奇妙な因縁である。


 先の権益収奪の決闘について一応の決着はついたものの、その過程で戦艦サドウスキーの火災などが発生しており扶桑側、ないしは政党「祖国」に通じる人物たちの動向を注視していたのだ。


 扶桑之國は旧政府時代の末期、大合衆国と国交を持ったことで外交面の他に軍事面でも大きな影響を受けていた。しかし、この流れを「大合衆国の属国化」と懸念した一部の連中が自衛のためにと、西方諸国からの支援を取り付けようと画策した。


 本来ならば極東の島国に見向きもしないであろうが、勢力を拡大し続ける若き超大国を忌々しく思う西方諸国の諸侯たちは。その際、扶桑側は金銀輸出による国内経済の更なる混乱と内部意見の対立を回避するため、未開拓地だった北扶桑の租借権を対価とすることで進めていったが、旧政府瓦解によって白紙となった。


 これに加担した諸侯の息子や孫、或いは本人が政党「祖国」を支持した連中の名前にあった。どうもあの政党は、海外からの支持の先鞭としてこの伝手を持ち出そうと画策していた動きはあったが、再び白紙が付きつけられていた。


 「アーニャ、旧政府勢力をここまで抑え込んでいる点は、引き続き観察する必要がありそうですね」


 カノーはマシュー・ハリス准将から、日中や寝屋でも時折この国に於ける軍人の性質が何れの国とも異なっていることを語られることがある。旧政府の三百年に渡る統治という異質な制度で培われた精神が、この国の軍人を形作っている。その精神こそが、大合衆国の軍人は将官から兵卒に至るまで必要なのだと。


 「こういう時はゴライトリー女史と呼びなさいよ。真面目な話をしてるんだから…」


 観察が必要なのは、扶桑之國だけではない。西方諸国も、これからますます油断はできない。例の政党は解体されて支持を失ったが、一方的に支持し続ける狂信的な連中が必ずいるはずだ。短期間で西方諸国のほぼ全域で支持を取り付けたということは、どこかしこにも抜け穴から逃げたネズミが居るということだ。

 

 時と場所は変わって、西方諸国は泰西王国でナンシー・フェルジ大佐はそのネズミ狩りの真っ只中にあった。

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