「祭典の日」(その9)

 奉納仕合から翌日、八重は学長の時山少将から改めて立ち合いの内容を説明するように求められていた。


 「それでは、当人にも分からないと?」


 やはり、仕合を締めくくった八重の一手が如何様なものであったか聞かずにはいられなかったが、その答えは当人も持ち合わせていなかった。

 

 「恐れながら時山学長、これ以外の回答がないというのが正直な意見です」


 八重はそう回答したが無理もなかった。何せ自分も何ゆえにあのような空間、さながら時間が止まったような空間が出現したのか未だに分からずに居た。


 「そうか…」

 

 奉納仕合が終わった晩には、時山少将は立会人として同席した清河大佐に「どう考えたか」と尋ねていた。


 しかし「時間を止めたとしか説明がつかない」と、まるでおとぎ話のようなことを言い出すので「爾子!私をからかうのか」に「希子の石頭!」と口論になってしまい、陸軍本営では「御両名、何事かあるのか?」と他の将校らがざわついてしまったほどだ。


 「しかし、見事な奉納仕合だった。鈴寿御前の御霊もさだめし喜ばれたことだろう」

 「己の未熟故に美騎爾を大いに損傷させたこと、如何にお詫び申し上げれば…」


 一千年前、古の扶桑之國のように大百足に土蜘蛛、たとえ鵺が出たとて園部八重がある限りは「どうとでもなる」と思わせる立ち回りをしておいてこの一言だった。


 「あれは致し方ない、武具の傷は誉と西條寺公はおっしゃっていた。これは時間はかかるだろうが待つ他は手立てが無い」


 美騎爾については、陽王の損傷も「柔らかい機械」が保有する「記憶の固執」と呼ばれる自己修復能力によって回復の兆候が確認されている。八重の一振りでつけた刀痕が既に膜のようなもので塞がれ始めているという。


 しかし、八重が用いた鈴寿は損傷が激しく、自然回復を待ってはおおむね二か月はかかるということで甲冑師による修繕作業や、大合衆国が研究したデータを基に電気的な刺激などで回復を促進する方法を検討しているという。


 「聞けば聞くほど、本当に不思議な金属です。まるで生きているといいますか…」


 八重の一言に、時山少将は昨晩の口論の一部を思い出した。清河大佐こと爾子は、発想力が豊かなためか昔から突飛なことを言い出すのを知っている。だが、と思うのだった。


 奉納仕合の余波は、雪梅の二人の妹にも及んでいた。妹の雹華からの「仕事を手伝ってほしい」という一言で、香月の留学画学生としての夏季休暇が始まっていた。まさか、扶桑之國で野駆けはしていないだろうと思いつつ、雹華の滞在するホテルへ赴いていた。


 来年度から大合衆国の建築家主導で竣工が始まるという、新たな宿舎の様式を見てみたいと思ったが、まずは妹だと思って急いだ。

 

 「ちょっと、何よこれ」


 雹華が宿泊している部屋は墨の香りと、書き損じの紙でいっぱいであった。それも書き損じのほうは、風呂炊きの薪代わりにできるのではないかというほど山積みになっていた。そこで、のそっと書き損じの山から雹華の巨体が現れた。


 「電報で伝えただろ?ちょっと手伝ってほしいところがある」

 「何を手伝えばいいの?この部屋の片づけ?」


 香月は座る場所もないので、いそいそと書き損じの山を切り開きながら話しかけていた。


 妹が一体何を苦慮しているのかと香月は気になった。妹の能筆ぶりは知っており、普段は粗雑だというのに揮毫で書き損じた試しが一度もないという不思議なところがある。想像と現実の不一致がないという点は、絵筆であれば写実に向いた素質であろうと思った。


 「違うよ。なんというか… 記録の締めくくりをどうしようか考えてる」

 「あら、日記なんかつけてたの?」

 「いやぁ、雪姉が仕合をしてな。例の鬼園部というやつと…」


 妹の唐突な暴露に、香月は思わずひっくり返ってしまい書き損じの山に身を投じた。


 「ちょっと何それ! 聞いてないけど!?」

 「それは当然、香姉には言ってないから」


 そんな雹華は馬鹿正直にと言うが早いか、香月の平手が炸裂していた。


 「おお、痛い!痛い!…だって、言ったら香姉は止めるだろ!」

 「当り前じゃない。万が一なんてことがあったら… どうやって父上と母上に申し開きするのよ!」


 しかも美騎爾を用いたというならば、何より先の自分の件がある。雪梅の安否が気がかりだった。


 「大丈夫だ。陽王が護ってくれた」

 「護った?」

 「ああ、あの美騎爾は雪姉を相応の剣士と見てくれたようだ。それに相手も無事だ」


 美騎爾が秘める能力は恐るべきものがあるが、その反動は非常に大きい。仕合が終わって装備を解いたのちから、小さな寝息を立てて眠ってしまった。そんな具合なので、今も陸軍学校の自室で今も眠っているだろうと説明すると香月は安堵した様子だった。


 「それで、この目で見たものは全て記録しておこうと思ったんだ。だが、流石は剣の鬼だ。最後の一手は全く分からなかった」

 「扶桑之國の剣術は、抜刀も突きも速いと聞いているけど…」

 「そんなもんじゃない、

 「陽王が護ったというなら、ひょっとして向こうもそうだったのかしら?」


 香月も雹華から話を聞いてあれこれ想像してみたが、やはり説明が付かなかった。おそらくは剣術、武術のだとしか説明が付かない。なるほど、本当に締めくくりの言葉が存在しない。そこで香月は何かを思い出した。


 「雹華、前に何か言ってなかったっけ?美騎爾の記録で、妙な言葉があるって」

 「ああ、例の勝負なしか…」


 しばらく雹華は考えたのち、そうすることとした。扶桑之國における美騎爾同士の仕合については「勝負なし、この領域を表現する術を持たず」と締めくくりの言葉を書き添えた。


 ひょっとしたら、過去にこのような一戦があったのかもしれない。


 それも、文書にも口伝にも残らないような、残せないような規格外の仕合が。この甲冑を用いるのは、何れも時代を代表するような稀代の武人、というものであるのかもしれない。


 「これを読んだ未来の人間は、どう思うだろうな」

 「その答えは、未来の武芸者たちがどうするか… 委ねてみたらいいんじゃない?」


 香月の言う通りだ。それがいい、あの鈴寿という姫君の如く未来の武芸者に向けた言葉として遺しておこうと雹華は思った。この一方で、今回の奉納仕合を目論んだ西條寺望子と清河大佐は、もっとにとりかからんとしていた。


 「この顛末については、ひと夏かけてまとめ上げる算段です。大陸からの三領を扱える時間も、限られておりますから」

 「残っているのは環那と、紅王だったかな?あれもどうにかして検証するのだろう?」


 同じく立会人を務めた月岡伊織と張雹華に望子は注目していた。あの二人が立ち合うことになると考えていたが、話に聞く分では力量差がありすぎる故に、そこまでの環境が揃うのかと疑問だった。


 「現在、時山少将が執り行っている演習内容について、今回の一件を参考に軌道修正して実施します。それと駐在してる大合衆国海軍との協力を取り付けておりますので」

 「何? 大合衆国の陸海軍がタダで動くとは思えないが…」

 「無論です。こちらの研究成果を融通することにしました」

 「それでは、爾子のくたびれもうけにならんかね?」

 「私もがめついので、連中が使用している電子計算機だとか先端技術の提供を条件にしました。もっとも軍用品を直ぐにとはできないかもしれませんが、あれはこれから必要になる技術ですよ」


 大合衆国における科学の進化は「柔らかい機械」の解析を進める上での副産物というのだから、今回の研究協力はその一助ということで散々にふっかけてやった。あとは経産省あたりで、夏季休暇返納で技術輸出輸入の段取りをしてもらえば解決する。


 流石は奇才で知られる爾子だと望子は満足げだったが、どうしても一つだけ確認したいことがある。


 「ところで爾子、これは最後の質問になるが… お前さんはどうやってあの場にを入れた?」

 「流石の慧眼です。やはりお気づきでしたか…」


 この質問には爾子も観念した様子で答えるほかは無かった。どうやら、望子は密偵の正体にも感づいている。


 「あすこに出入りする巫女にしては歩き方が現代的すぎる。そして、のが間違いだったね」


 ちらと視線を、爾子の護衛についている上等兵へ向けた。


 「上等兵、名前を聞いておこう」

 「はい、田村銀千代であります」

 

 敬礼して凛々しく答えた名前に、望子は思わず笑ってしまった。


 「ふふふ…いいだろう。その名前に免じて許してやる。だが今度は破廉恥な振る舞いは許さないよ」


 実に四十年ぶりにその名前を聞いた。よもや愛馬は連銭葦毛だとでもいうのだろうか。確かにあの内戦で戦場を駆け巡った時、遂に自分も本名乗らなかったこともあり、


 「それと、これは質問ではなく提案だが、この夏が終わったら…」

 「それは平に…」


 望子の言わんとしている縁談という二文字を前に、爾子は平伏してしまった。


 祭禮は終わった。蝉しぐれとともに夏も過ぎ去っていく。


 扶桑陸軍学校でも夏季休暇ということで、多くの士官候補生たちが里帰りをするなど、思い思いの夏に向かっていった。その中で、立会人として八重を見守った伊織は自室でぼんやりと考え事をしていた。


 あの仕合で突如聞こえた八重の声は、一体どこから聞こえたのだろうかと。


 =第二部「接触」完=

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