「祭典の日」(その6)

 「ここに世界連盟の発足を宣言し、今日これより世界は進歩と調和の実現を目指して歩み始めます」


 世界各国の言語に訳されたこの宣言によって、八月一日は新たな日々を歩みだした記念の日となった。あるものは植民地支配からの解放や国家の独立を喜んだ。そして、またあるものは掴んでいた利権を平等と公平の下に放棄することとなった。


 何が公平であり平等であるか、それは千差万別であったが、間違いなく明日より始まるのは世界の新たな一日であった。


 そんな一日を目前に、もう一つの新たな幕開けが到来しようとしている。


 あちこちから聞こえる祝賀の賑わいを余所に、奉納仕合に参加する八重と雪梅、そして立会人の五人たちは陸軍の地下鉄道にて鈴寿御前を祀る社のある某所まで赴いた。


 学長こと時山少将と相棒の清河大佐さえ、この場所を訪れたのは初めてであった。


 概ね場所は帝のおわす御城の鬼門方面か、いずれにせよこの聖域へアクセスする路線を陸軍が設けているということは、祭礼や信仰以上の目的が秘されていると二人は考えていた。


 「陸軍の仕事より、今は奉納仕合に集中しなさい。まったく… 若い連中のほうがしっかりしてるよ」

 

 二人の様子から諸々を察したのは、この奉納仕合を段取りした西條寺望子である。


 その若い連中たちは、面布をした巫女たちに案内されて支度をしていた。


 八重は伊織と、雪梅は妹の雹華とともに奉納仕合に向けた禊と美騎爾の装備をしている。その支度が終われば、神官が祝詞を奏上し鈴寿御前の御霊を分祀する社の前に案内された。


 この間は神事ということで終始無言、それでも彼女たちには言葉以上の絆と信頼があるせいか、皆が穏やかな様子に見えた。


 雪梅の用いる美騎爾、陽王は明光鎧めいこうがいと呼ばれる甲冑を基本にした仕様であり、胸部と背部を保護する護心鏡の表面から放つ金色の輝きはまさに太陽の如きであった。雪梅が用いる双剣は鞘にこそ収まっていたが、鳳の翼というべきだろう。


 「実験で見てはいたが、装備する者がいるとまるっきり違う」


 そう思ったのは美騎爾の歴史的背景や、用いられる素材の「柔らかい機械」と呼ばれる金属を調査している清河大佐だった。彼女は画才もあることも手伝って、この風景を写真やスケッチにさえ残せないことを非常に惜しんでいた。


 

 一方、八重の用いる鈴寿はこの社に祀られる鈴寿御前が用いた一領。緋糸威ひいとどおしで板札の一枚造り、鬼園部と呼ばれる彼女が用いるのであれば赤鬼とあだ名するだろうか。これは、彼女に協力している立会人の雹華も書家としての創造力を大いに掻き立てられていた。今日この日目撃したものは、寸分たがわずおのが筆で永遠の記憶にしようと心を決めている。


 時山学長は、再び八重の戦う姿を目の当たりにすることへ一種の畏怖を感じていたが、伊織は「きっと大丈夫」と彼女の後姿を見守っていた。

 

 御前が分祀される社の前で一礼、八重と雪梅の剣が交わるまでの時間はあといくらもない。


 表を上げて互いの表情を覗いた時、八重も雪梅の表情に僅かの曇りもなく、心の平穏が伝わってくるようだった。互いの得物に太刀と双剣という違いはあれど、装備する美騎爾の如く「今この時の為に」とすべての力を解放しきっていた。


 「ここまで穏やかな対峙を、見たことがない」


 立会人の誰もがそう思っていた矢先、二人が同時に仕掛けた。


 聞こえたものは金属音と一瞬爆ぜた火花だけであった。お互いの鞘がいつ払われたのか、全く見当もつかなかった。


 八重の抜刀が全く見えないのには、目の当たりにした雪梅が一番驚いた。


 この太刀筋は「速度」とは物理的な速度で推し量れるものではなく、挙動を消すことによる相手への認識を遅らせること。ないしは構えた時点で動作が完了してしまうようなところがある。身体操作を基本とする大陸の剣とは、根本的に異なるものだ。


 「これは、未知の領域だ」


 雪梅の胸中にあるのは恐怖ではなく喜びだった。


 あの時、道場で八重に見せてもらった所作の「完成」の疑問が解けた。自分の見立てが正しいどころか、それ以上のものが八重は持っている。同じくこの秘技に感動していたのが立会人の雹華だ。


 姉の雪梅の剣を追える人間を、ましてや双剣を一寸の間合いで回避できる人間を雹華は初めて見た。大陸に居た頃、あらゆる挑戦者はこの一撃で終わってしまっている。


 「園部八重… あだ名は鬼と聞いたが、鬼でもあんな技は使えないだろう…」


 すんでのところで、一歩遠く身を引いた雪梅の俊敏さは自分の体格では実現できない。仮に自分が八重を仕留めるとすれば、片腕を捨てる覚悟でやらなければならない。そして、二の太刀の前に戟で刺突するという算段だが、これ以上の思考はできなかった。 


 そう、考えている暇も、見とれている暇はない。八重が繰り出した袈裟懸けの一刀、樋の入った刀身ではないというのにあそこまで見事な音がするとは、それこそ空気すらも切断できるのではないか。


 だがこれは、ピタリと雪梅の眼前で停止した。


 「白刃取りを、まさか双剣で…!」


 これには八重が驚いた。雪梅の双剣が太刀を捕らえているではないか。厚みを比較するならば双剣は重ねても、八重が用いる太刀・伯耆高綱より薄い。だが、双剣は重ねて鞘に収めることから、二本を一つにまとめることのできる構造をしており、これを白刃取りに用いるとは思いもよらなかった。


 第一に、正面から己の太刀を受け止められたのはこれが初めてだった。まるで蝶が羽を閉じるような柔らかくて静かな力で、鬼の一太刀を抑え込んでいる。雪梅の用いる双剣は隕鉄を用いた一振りであり弾性と硬度を両立させるという特性のみならず、彼女の剣筋の正しさが剣先まで粘りがかかっていることの証明でもあった。


 太刀を引くか振り切るか、いずれにせよ八重の動作は二つに一つしかなかった。


 「これは見事…」


 少々焦りを感じた八重であったが、間近で見る剣の見事さに目を奪われたが、やはり蝶が飛び立つ如き静けさで、左右の剣が八重の死角めがけて左右の剣が止むことなく繰り出されるが、さながら両輪の如き滑らかさであった。八重はかつて、捕虜となった北方の帝国出身の騎兵が用いるサーベルと戦ったことがあり、やはりこの回転を活かした攻撃があった。しかし、あちらの回転はまるで水車のように大振りで緩慢に感じられた。


 「やはり足さばきが違う…」


 八重の見立ては正しい。騎兵の剣術と、徒士の剣術は異なる。


 雪梅の足さばきは拳術のそれに似ており、極めて軽快であり舞のようにも見えるが、その重心移動の巧みさはそのまま剣勢を増す。雪梅の小柄な体格でも十分な威力を産むことが出来るのは、この妙技からだった。


 剣が手の助けをする武器であるように、その器用さも同じであった。しなやかな刀身は時に八重の太刀を滑らし、時には鍔の透かしから八重の籠手や掌を狙う。飛び跳ねるだけの演武ではない。あの動作の意味を実戦に活用できるとなると、近代化によって失われた剣術を復活させたというのは納得できる。


 「すごい… あんな剣士、見たことがない」


 八重が圧倒される姿を、伊織は初めて目撃していた。何度か危ういと思われる雪梅の剣を払う太刀、受ける籠手から火花が飛ぶ。しかしここで八重が攻勢に出た。横薙ぎの一閃を繰り出したと同時に、躱した雪梅にすかさず突進してきた。


 「素手…!?まさか…!」


 彼女はすかさず後ろに跳んで退いたが、八重は太刀を手放し七星藤五郎の短刀で更に肉薄を試みた。剣勢の速さに気を取られて、回転の中心が空白となっていることを見落とす程度の剣客ではない。退く既に雪梅の右手を絡めとっており、このまま着地すればすかさず組み敷かれることになる。


 「組み付かれれば… こちらが…」


 双剣の柄を用いた梃の原理で八重を投げて転がしたが、その先には八重が手放した伯耆高綱の太刀があった。


 なるほど、ここまで八重は予想済みかと立会人すら固唾を呑んだ。身を転がすと同時に八重は、膝を地面ぎりぎりの低さから逆袈裟を繰り出した。更に雪梅も伸びきったところを狙ったが、これを八重は左手の短刀でいなして雪梅を切先で狙う。


 雪梅が右の剣で払おうとしたが、八重の操る短刀は飛燕の如く素早く激しいぶつかり合いとなった。互いの攻撃が止むと、再び二人は得物を構えて対峙する。


 「何と言う動き、ここまでついてこれる相手は、いなかった…」


 玉のような汗を流し、息が乱れている二人が再び対峙すると、まるで互いの心地が聞こえるようであった。


 立会人からすれば一瞬のようにさえ見える攻防、その背景に彼女たちが練り上げた技の激突があり、その交わりが緩慢な時間の流れにいるように作用しているように思えた。まさしく彼女たちにとって剣術が言語(ことば)になっているのだ。そんなことがあり得るのだろうかと誰もが思うが、


 互いの心に殺意が介在する余地も、闘争心が居座る隙間さえも存在していない。間合い、撃尺と呼ばれる空間が、二人にとっては完璧に自由な空間に変化しているではないか。


 「惹かれあう者同士、男と女だってこれほど交わり合いはしない…」


 少々自分の口の悪さを内心反省しながら考えたのは、西條寺望子であった。男女の情交と比喩したが、ひょっとしたらそれが適切であるかもしれない。彼女たちは事前の手合わせなど何もしていない。それでいて、互いを求めるがままに行動しているが、それは収奪でも暴力でもない愛の行為そのものではないか。


 一方で時山少将は極めて冷静に二人の奉納仕合を眺めていた。自身も女性の武人として、この場に立ち合えたことへの感謝を思うばかりだった。かつて彼女は八重の剣を権益奪還の「任務」として見届けたが、この奉納仕合は明らかに性質が違う。


 「鈴寿御前、どうかこの剣士たちの御姿をご覧ください。扶桑の剣士は、相成りました」


 剣士たちの死生を超越した魂の交流、ひょっとしたら御前が生きた時代には普段に見られた光景かもしれないが、現代の扶桑之國にあって再現することは奇跡だと言っていいだろう。


 立会人が思いを巡らす最中、八重と雪梅の得物が互いに弾かれて中空を舞った。


 この音に再び立会人一同は驚いたが、驚くのはここからだった。なんと、得物が入れ違いになって二人の手もとに戻り、それでもなお立ち合いを続けている。


 八重が双剣を、雪梅が太刀を用いて技を繰り出している。それも、まるで何事も無かったかのようにだ。


 まるで勝手の違う得物でありながら、二人がしばらく何の変化もなしに立ち合っていたのは、彼女たちにとって剣というものが既に「何物でもない」存在であることを顕していた。もはや、手に握られたものが何であるかさえ、その重ささえも体感にはない。剣を執るという動作さえ、どこか鈍重に聞こえある。


 例えば弓の達人は弓を射るのではなく「矢が飛ぶ」というように、すべては剣が思う先に進んでいくようであった。剣を執るにあたって、精神は融通無碍の領域にある彼女たちにとって、この極限の仕合は更なる境地へ向かわせているのは確実だった。


 突如、二人は手を止めて一礼しお互いの得物を基のあるべき主へ返した。二人が魂とまで見立てた存在を共有した充実の表情が、立会人たちにも見えた。


 「この先、一体何を見せてくれるのか、この美しき剣士は!」


 八重と雪梅にあるのはこの一心、ただ澄んだ気持ちでお互いの剣を求めあう。この先に何があるのかは、二人のみが知る世界だった。


 ここで立会人の伊織は妙なことに気づいた。雪梅が装備する陽王の装飾が輝きを増しているように見える。それも、明らかに光の反射ではなく発光の輝きであった。この理由を陽王の伝承を知る雹華はいよいよ覚悟を決めた。


 「間違いない… 陽王が再臨する!」


 彼女と研究に当たる清河大佐も、これから何が起ころうともすべてを信じることとした。美騎爾が装備する者の精神に反応することは、先の張香月の実戦演習で確認していた。

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