「祭典の日」(その5)

 奉納仕合で用いる装備はお互いに美騎爾、得物はそれぞれの自由、滔々と清河大佐は解説している。


 何より驚くのは仕合の終わりは、本当に、作戦で言えば行動時間が無制限という前代未聞の内容になる。


 祭禮ということであれば、夜通しの祭禮はいくつか例がある。だがやはり、奉納仕合を続けるという例は聞いたためしがなかった。日時は世界連盟発足の慶賀が終わった後、速やかに執り行われる。


 「立会人には我々に加えて、月岡士官候補生および雹華殿も同席願いたい」


 二人が美騎爾の性能試験や研究に協力していることを考えれば、この申し出も自然なことだと思った。全会一致でこの奉納仕合について承諾され解散となった。八重と伊織、そして雪梅と雹華の四人の思うところは様々であった。

  

 「雹華、この件を香月にも伝えておいてくれ」


 陸軍学校の学舎を去ろうとする雹華を呼び止めて、雪梅はそう頼んだ。彼女が天馬を用いて大合衆国出身の士官候補生と拳を交えていること、天馬にまつわる伝承を再現させたというのを聞いている。


 「ああ、香姉にも伝える。大丈夫だよ」


 雹華は雪梅の言わんとすることは判るし、自分も美騎爾の調査に携わっている以上、想定以上のことが起こり得ることは覚悟している。ましてや真剣、無事ということはありえないかもしれない。彼女が「万が一と言うこともある」と続けようとする前に、雹華がその言葉を遮った。


 「剣法の鳳と言われながら、その実際は篭の鳥より不自由なんてことがあってたまるかよ。篭の扉がやっと開かれたんだ。思いっきり飛べ雪姉、あの園部八重という剣士と出会ったのは、そのためのはずだ。間違いないよ」


 そう、篭の扉は開かれた。


 この美騎爾という奇妙な甲冑は、間違いなく我々を導いている。その途上には見えない壁のようなものがある、だがこれを超えていくことこそが、我々の為すべきことだと雹華は理解している。自分が最も尊敬する長姉の雪梅ならば、この双剣を翼とする鳳ならば、こんな壁如きを楽々と天空から見下ろせるはずだ。


 「この仕合は、私が全部見届ける…何があろうと必ず。だから大丈夫だ。」


 雹華は、やにわに雪梅の小さな体を抱きしめた。


 「香姉だって、気持ちはきっと気持ちは同じだ」


 その温もりは、父の文延を思いださせる。そう、こんなことが以前にもあった。初めて真剣を用いた仕合に臨む前、鳳雛が翼を広げんとした時、父はそうやって自分にまとわりつく迷いを取り払った。雪梅は、ますます父に似てきた妹へ小さく「ありがとう」とつぶやくのだった。


 一方で八重と伊織は、二人でいつもの道場に居た。


 自然と足がそこへ向かっていた。八重が何か考え事をするときは、決まって道場に向かう。そして自分もまた、うまく説明できないフクザツな気持ちが晴れないためか、八重と話がしたいと思っていた。このというのは、先の権益奪還の対決のような不安からではない。かといって、奉納仕合という名目上は非戦闘の形式ということに、安堵しているということでもない。


 案の定、道場には八重と伊織の二人だけであった。


 「伊織、少し時間をくれるか」


 ほら、やっぱりこれだと伊織は思った。八重が剣について考える時は、決まってこの一言だった。もっとも、五つや六つのころは「ちょっといい?」という具合で、短い竹刀であったのを思い出す。掛けてある木刀を互いにとると一礼し、昔の通り始まった。


 思えば訓練としてではなく八重と立ち合うのは、かなり久しぶりだった。互いが上段からの一刀、すかさず八重は相手の剣を左へ流し、伊織の右籠手を狙う。傍目には、互いが上段から面を打ち合ったようにしか見えないほどの自然さであった。

 しかし、伊織も心得たもので左に流された剣で八重の一刀を躱して後退、その弾みを活かしてすかさず八重の左籠手へ二の太刀、三の太刀を繰り出す。


 八重は袈裟懸けでさえ、左右の軌道を悟らせないほどであり、ましてや正面からぶつかったところでその軌道すら反らすというのだから、通常の相手はここで勝負が付く。

 脇構えからの初動を見せない一撃や、三度の突きを一度に繰り出すという八重の得意技を繰り出ささないためには、間合いを詰める。このため伊織は、小太刀の技を応用してきた。


 「なかなかやるようになったわ…」


 小太刀術の利点を定寸の得物に活用するとは、術の神髄に適ったものであると八重は嬉しくなる。しかし、ここは伊織の未熟なところと、足払いで体勢を崩し、再び間合いを作る。

 そこで伊織が繰り出す太刀を影抜きで躱し、八重の太刀は伊織の木刀をすり抜けるように、上から抑え込んだ。これにつられて伊織の体勢が崩れ、これまでと思ったが次の瞬間、八重は驚いた。


 逆にそのまま沈み込み、太刀を絡めとって下段から上段の連撃を繰り出してきた。これには八重も驚いた、臥龍や飛龍と呼ばれる技を持ち前の運動神経と勘で自得していたのだ。


 だがこの龍も鬼園部を仕留めるには、まだまだ小さすぎた。途中で胴を払っていれば、勝負は決したかもしれない。上段まで打ち込んだ時、体勢が再びもとに戻った時、この一瞬を見逃す八重ではなかった。

 完全に己の間合いにあるものを仕留めるのに、数秒もいらないだろう。伊織の最後の一撃が降り下ろされる前に、八重の左手一本突きが伊織に繰り出されていた。


 伊織の制服右胸の釦が飛び、カラリと音を立てて床に落ちたとき、残るものは二人の熱い呼吸だけであった。


 「もしかしてと思ったけれど、やっぱり八重さんは強いね」

 「貴女こそ、あんな技どこで覚えたのかしら。小太刀は参考までにと、一度しか教えなかったと思うけど?」


 小太刀は殊の外扱いが難しい上に、応用となればなおさらである。ましてや型を覚えただけでこれほどのことはできない。先の任務での経験が生きたのだろうか。伊織も伊織で「それは秘密」とおどけて見せた。


 「八重さん、一つ聞いてもいい?」

 「どうしたの?」

 「この奉納仕合が終わった後、しないよね?」


 真剣な顔で伊織は尋ねたが、思わず八重は噴き出してしまった。

 

 「私がいなくなる? そんな不吉なこといわないで頂戴」 


相手が張雪梅、奉納仕合とは言え用いるのが真剣であれば一抹の不安がないと言えば嘘になるが、少なくとも死ぬつもりで仕合に臨もうとは思っていない。


 「何て言うんだろう… 八重さんならどんな相手でも負けないって言うのはわかるの… だから、その、何て言うのかな」


 伊織は久しぶりに八重と木刀を交えて気が付いた。


 この桁違いの強さ、ずっと自分は八重を見て来た。提案された奉納仕合、八重は自分がずっと探し求めていた相手が見つかったのではないか。そして八重がこの仕合を終えたとき、


 この気持ちの正体は、親友の旅立ちを見送る時の寂しさだった。余りに照れくさいのと、余りに伊織が明快な性格をしているので、これを口にしてしまえば本当にそうなってしまうような気がしていたのだった。


 「私からも質問させてもらおうかしら」

 「えっ?」

 「私が戻ってきたら、伊織は変わらずここにいてくれる?」


 この妙な質問も、八重の心にある複雑な気持ちというものだった。


 ここまでこれたのは、親友の伊織がいたからだ。ましてやあの権益奪還の決闘とて、決心がついたのだ。自分が目指した剣術の世界、その世界を親友と分かち合いたいと八重は思っていた。


 そうでなければ、そんな世界に意味などはない。剣が畢竟暴力でしかないのなら、この頂に至るものは一人でしかない。


 そんな不自由なものではないことを、あの張雪梅とともに見つけようとしている。雪梅が扉を開いたのであれば、その先に行くのは自分だけではない。いつだって伊織が一緒でなければ、何ら意味がない。


 「よくわかんないけど… 約束する。絶対に約束する」


 お互いの気持ちは通じ合っていた。我が友よ何者よりも強くあれ、そして共にあれと。それを表現するには、二人ともまだ余りに若く、何よりも純真すぎるのだった。


 「伊織、私はどこにも行きはしないわ。いつも貴女と一緒」


 技を全て用いるというのなら、己が歩んできた剣の道を振り返るということ。それはそのまま、伊織と過ごした時間の共有でもある。どうか、この思い出と自分の気持ちを受け取ってほしいと八重は思っていた。


 そしてまた、一緒に歩んでいこうと。

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