「祭典の日」(その4)

 「いつもの道場に居ないから、どこ行っちゃったのかと思ったよ」  


 伊織は八重に声を掛けたが、またも彼女と他の人影が見えたことで、前回目撃した八重とナオミとのが思い起こされてしまいその内心では焦っていた。


 「伊織、私はいいから雪梅さんに挨拶なさい」

 

 まるで母娘のような二人のやり取り、雪梅は八重と伊織の関係がどんなものか想像できた。そしてこの少女は、妹の雹華によく似ている。 

 

 「雪梅さん、こうやってお話するのは初めてですね。月岡伊織と申します。御両名、時山学長からの呼び出しですのでご協力願います」

 

 雪梅は挨拶とともにいつも通りの笑顔で敬礼する伊織を見ていると、まるで長三和音のような明快さが気に入った。


 「それにしても伊織、随分と大陸語が堪能になったわね」


 八重は常々、伊織の語学力について担当の教官から「この世界にそんな言語は存在しない」と嘆かれるのを知っており、特に大陸語は大変にまずい出来栄えであったが、本当に見違えるようになっている。


 「何たって、教官がいいから」

 

 甚だ図々しい伊織の一言の後、背後からぬっと影が伸びた。張三姉妹が三女、雹華が姿を現したのだった。


 「お初にお目にかかります。張雹華です」


 八重は彼女を見るや六尺近い堂々たる体格に、漂わせる将の覇気に圧倒される他は無かった。顔立ちには、まさしく虎将軍こと張文延の面影がある。名誉の表傷から虎将軍の異名で知られる以前の、美丈夫として知られた姿はこうであったのかと想像してしまう。


 何より不思議なのことが一つある。


 雹華には武術の心得が全くないというのが、はっきりとわかる。それでいて、これほどまでに相手を呑む気迫を漂わせるというのは、未だかつてお目にかかったことがない。打ち込める隙が一つもないのだが、それは構えているという訳でもない。自分を脅かす存在を悉く排除できるだけの力が自然と備わっていることの現われだった。


 「おいおい雪姉、落第でもしたのか。学長の呼び出しだなんて… 父上にわび状を書くのは勘弁してくれよな」

 「雹華、お前こそ何か面倒ごとを起こしていないだろうな。お前が暴れたら、外交問題になりかねないぞ」


 随分と不思議な豪傑だと思っていたが雪梅とお互いをからかう様子に、ようやく彼女も普通の乙女であるということは分かった。伊織もくすくすと笑っているので、これはこれで良いということにしておこう。


 少なくとも、この雹華と対決する必要はない。構えているのは、己の弱さからかもしれないと思った。


 「皆さん、行きましょう。学長をお待たせする訳には行きませんから」


 八重の一言で四名が学長室に向かうと、学長の時山少将と清河大佐、おなじみの顔ぶれにもう一人、洋装ではあるが公家の西條寺望子だと八重も伊織もすぐにわかった。何せ入学式で「扶桑の防人たる乙女たちよ! 大元気であれ! 以上!」と大音声で祝辞を述べてさっさと式を締めくくった姿を、今でも同期生の間で伝説になっている。


 そんな西條寺公が一体何の用向きだろうかと不思議だった。


 「園部八重に張雪梅、二人の剣名は私もよく知っている少し妙な質問をさせてもらう。これまでの立ち合いで、技の全てを用いたことがあるかな?」


 望子の発言を爾子が即座に大陸語に翻訳したが、この問いかけには八重も雪梅も不思議そうな顔をしていた。技の全てをと問われれば、あろうはずがない。


 「文字通りの意味だ。これまで身に着けた技の全てを用いたことはあるかね。或いは、それに値する相手に巡り合ったことは?」

 

 全身全霊を尽くした立ち合いの経験、直近で言えば八重が経験したエマ・ジョーンズとの一戦がそれであり見事に勝利を収めている。


 だが、自分が見せた技が全てと言えばそうではない。或いはこの質問のように「技の全てを見せる」などと人は簡単に言葉にするが、そうした機会などは実際に存在しない。


 ましてや、八重と雪梅の如き領域のが、世の中に何人いるというのか。


 それこそ大海の無尽蔵の大波、大河の激流を柄杓か何かで受けるような無理無謀であり、単なる比喩表現でしかないのだった。この気持ちは、雪梅とて同じだった。その感情は彼女にとっての孤独と懊悩になっている。


 一度だけ夢想したことがある「全て」を受けきれる相手が欲しい。


 妹の香月、雹華さえも凌ぐ相手が欲しいと。自分の彼女の心にあるものは奇妙な情愛への飢餓であった。全てを受容することなど、男女の交わりであっても、親子の絆であっても存在しない。頂点から先に何が待ち構えているのかと、彼女はそれを己の剣の世界に探求した。


 生死を分かつ交わりに「生」を求めるとは奇妙この上無い探求である。この扶桑之國で出会った園部八重とならば、それが叶うかと思っていた矢先のこの質問、二人は当惑せざるを得なかった。


 二人の回答は口に出すまでも察しているように、望子は続けた。


 「そのための機会を設けた。お人にはを行ってもらうが、よろしいかな」


 自分たちが抱えるもつれを断ち切る機会が、最も単純な形で唐突にやってきた。ここで水を差したのが時山学長こと希子だった。


 「西條寺公、先ほども申し上げましたがこの提案、余りにも危険が過ぎるのでは?」


 彼女のいう危険というのは、単に安全面だけではない。


 これまでの活躍が近い将来間違いなく旧政府の名誉回復につなげるであろう八重を、かつての敵将の息女と立ち会わせるということは、背後にいる面倒な連中がをすることは容易に予想できる。


 それは旧政府側も、現在の政府の人間のいずれも当てはまる。爾子がついていながら、なぜこんな提案をと希子は思った。彼女ならば、こんなことを予想できない人間ではないはずだ。


 「命のやり取りをしろというのではない。これは奉納仕合として執り行わせてもらう。場所は鈴寿御前を分祀した社、これは御前様の御遺言に基づいた歴としただ」


 鈴寿御前は晩年、己の武勇を彩った甲冑「美騎爾」を帝室に献上したのち故郷の南扶桑で没している。臨終の際、墓所は華美にせず領民と同じ様式にすることに加え、自分の供養についてはこう遺言している。


 「我が霊前にてその技を献上せよ」


 余りに猛々しい遺言は、南扶桑どころか扶桑全土の武芸者に伝わった。


 乱世を知る姫君に、ましてや自身が戦場を駆け巡ったという鈴寿御前にとって、ということであり、武術本来の在り様を思い知らされる激励の一言であった。


 また、この気概を未来永劫のものとするべく、東扶桑には御前の御霊を南扶桑より分祀して社を誂えたが、この場所は長らく帝室と帝都の鎮守として神聖な場所とされ、一般には秘匿されている。


 聖域での奉納仕合、これ以上余計な口は誰にも挟ませない、面倒ごとは私に任せろと言わんばかりの提案である。


 事実、社の場所は帝室の許可なくば立ち入りも出来ず、ましてや急遽に祭禮を執り行うなど西條寺家でなければ出来ない荒業であった。彼女の奔放さが周囲を騒がすというのは、別に今始まったことではないというのは希子も知っている。


 ましてや今回は、自分がもっとよく知っている奇才の爾子が付いたとあっては、なるほどの一言しかなかった。


 「扶桑建国以来、これほどの剣士がそろい踏みとなることは数えるほどしかないだろう。お互いが持つ技…。一切の手加減なんてものは承知しない、それは互いの気持ちを偽ることになる。ましてや鈴寿御前の御霊を欺くことなど、相成らぬ」


 望子の提案に、八重と雪梅は動揺することはなかった。魂の交流としての剣を試す機会など、これからの生涯幾度あるだろうか。それ以前に、このような経験をした剣士があるのだろうか。


 「生涯の栄誉としてこの提案を謹んでお受けいたします」


 言語の違いはあれど、二人の返事は同じであった。

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