「美騎爾の示し」(その7)

 雹華は今回も喧嘩修業について父から説教を受けた後、部屋の前に立たされていた。これはお決まりの罰だったが、剛毅な彼女が落第生のように扱われるのに明明は笑いを堪えるのに必死だった。


 「司馬総裁、これはお恥ずかしいところをお見せしました」

 「いえ、何でもありません。ここまでやって来られたのは雹華殿のおかげです」


 雹華は、相変わらず顔を赤らめて謝罪する。名将も彼女の前では父親になり、その息女も年相応の乙女。良い、これで良いと明明は思う。 

 

 明明の優しい一言に、雹華は失礼ついでにとひとつお願いをした。無論、話を極力手身近にすませてほしいというものだった。大きな身を屈めて、ひそひそと話してくる彼女の姿は、何だか妹が一人できた気持ちになる。一人っ子で育った明明にとっては、何か嬉しくなるものがあった。


 ついに、張将軍との対面とのことで俄に明明は気持ちが引き締まった。案内された部屋で文延は一礼をした。


 「総裁、お待たせして申し訳ありません。張文延です」


 先ほどまで発揮されていた父親としての表情は無く、天下に知られる武人としての風格を漂わせていた。明明は一度、東王朝からの政権返上の折に宮殿でこの将軍を見ているが、間近でそれも一対一で対峙すると気迫に押しつぶされそうになる。


 「張将軍、こちらこそ拝顔の栄誉を賜り恐縮です」

 「まさか雹華の帰りと共にお越しいただくとは驚きました」

 「偶然とはいえ、幸いに雹華様の策のお陰で、無事にこうして…」

 「策とも言えぬ無体にまで巻き込んで、何という無礼を…お許しください」


 雹華のあの見事な策や心意気なども、この名将にすれば悪童の悪戯といった程度なのだろう。彼の表情は父親のそれであった。


 「張将軍、この度は政府に助力を賜りますよう参上いたしました」


 この一言に、文延はやはりと心の中で思った。大陸浪人たちが政府筋の動向について俄かに騒いでいたので、真偽を確かめていた所だったがその答えが今ここにやってきた。

 

 「総裁、その頼みは承服いたしかねます」

 「何故です?」

 「旧弊が再び表舞台に戻っては、貴女達が成し遂げた革命を無駄にします」

 「しかし、我々政府も盤石と言い難く…広く武の心を示すことが出来るのは将軍をおいて他にありません」 

 「総裁のおっしゃる武とは?」

 「力を正しく用いる精神、行動を伴う作法です」

 「左様なもの、近代にあってどう用いるおつもりか?」

 「広くこの心を持たなければ、如何なる貴人や武人であっても禽獣も同じ、国家というものは野盗の群れとなるでしょう」


 これには文延も「ほう」と感心した。明明の迷いのない答えと眼差しに偽りがないことははっきりわかった。反動の志士の頭目などではない、彼女はれっきとした新時代の指導者だ。


 「わかりました。総裁にも使命があるように、私にも為すべきことがあります」

 「一体それは…?」

 「重しとなることですよ」

 「重し、ですか?」


 文延の求心力を必要としているのは、未熟な東華民国の政府だけではない。王朝再興を目指す姑息な老将軍連中、或いは復古調の過激な士官たちも彼らは求めている。前者は敗戦から求心力を失い、後者は戦闘に対する覚悟が備わっていない。故に、事を起こそうとすれば張文延という旗印は絶対に必要となる。


 臨時政府の過激派、王朝完全打倒と皇帝一族の廃絶を目論む連中とて、口実のない限りは文延に兵を差し向けることもできない。ならば逮捕拘禁という方法もあるが公平平等の司法と警察機構を掲げた臨時政府がそんな様子では旧時代と変わらない上に、国民から悪逆の府と誹りを受けよう。


 「このまま漬物石として、連中が萎びるのを待ちましょう」


 彼が動かない限りは両陣営が何もできない。その間に政府が十分に成熟することは可能であり、その頃には両陣営も疲弊しきって自然消滅する。この夏は世界連盟が発足する。東華民国が近代国家として列するのがその第一歩になる。


 「退くこと、留まることもまた兵法であると…」

 「その通りです」


 明明は、扶桑之國の新政府樹立後に起きた内戦を思い出していた。旧政府打倒に尽力した初代元帥が政府を去り、その後は新政府から弾かれた連中や不満の輩たちに担がれて新政府を相手に挙兵した。そして、再び内戦を経て扶桑之國では新政府は名実ともに正式な政府となったが、国家の英雄を失うに至った。


 明明たちの革命は、確かにあの國を参考にこそしているが、同じ轍を踏むのであればそれは愚行と言うものである。文延が自らが研ぎ澄まされた刃であることを十分に理解しているが故に鞘に収まったのだ。


 「将軍のお話を聞いて、その精神を新しい時代に継承したいという欲が出ました」

 「ならば長女の雪梅を遣わせましょう。剣術に多少の覚えがあるだけではなく利発です。将来かならずお役に立ちます」


 自分の残りの寿命からしても、正しい判断だろうと文延は思った。新時代の行く末を見守るには、もう若くは無いと実感していた。


 「張将軍、恐れ入ります。ならばご息女は、陸軍学校への入学を検討します。現在、十代の士官候補生の中から留学生を選抜中ですので、是非その枠に」


 現在、東華民国の陸軍学校では扶桑之國への留学を検討していた。この発足したばかりの学校は扶桑之國の陸軍学校を手本としており、これまでは男子にのみ門戸を開いていたが女子の入学も可能としていた。これは明明が新時代の軍隊を考えたとき、思い浮かんだ構想であった。


 「侵略や破壊の時代は終わった。国家国民を護るための力として存在するべきだ」

 

 そして、この構想を同じくする人物が扶桑之國に居た。


 あの陸軍元帥、時山希輔の息女として著名な時山希子である。彼女への目通りは、政情からすぐには叶わないが、将来を担う女性士官候補たちは是非接触させたいと思っていたのだ。

 

 「素晴らしい理念です。私のような旧弊が及ぶべき世界ではないと納得できました」


 文延は明明が話した構想に大きく共感していた。そして、かならず長女の雪梅ならばその目的遂行を担う一人になれると確信した。そして、今も頑なに王朝の剣術教授方を名乗る彼女が、真の武とは何かを見出だす機会になればと願うのだった。


 「司馬総裁、お心遣い心から感謝いたします。政府と国民の未来が安泰であることをお祈りします」


 そして、その一言しかなかった。時代は変わる。去り行くのみとなった旧世代の人間が、今こうしてその新しい時代を担う人物と話すことができたのは、幸運と言っていい。少なくとも、自分たちがになった前の世代に多少の真があったということなのだから。


 「張将軍、ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」

 

 文延の一言に、明明は自分が抱えていたあの質問をしてみようという気持ちになった。我々が、王宮を包囲して臨時政府への正式な政権委譲を要求したとき兵を派遣しなかったのは何故かという、あの質問であった。


 明明の質問に、文延はしばしの沈黙を保った後、ゆっくりと答えた。


 「国家というものは受難の時、前に進む力が無ければその国家は死んだも同然。私は、司馬総裁や同志の方々が王宮を包囲したとき、その力を確かに見たのです」

 「その力というのは…」

 「紛れもなく武の発露です。貴女達は自分たちの力を正しく用いた。これは近衛の精鋭を持っても打ち破ることはできません」

 「恐れながら、その決断を裏切りとは思わなかったのですか?」

 「忠誠と盲従は違います。いやしくも近衛大将を引き受けた身分、王朝に害を為すものは排除します。しかし貴女たちは、この大陸を変える新しい力です。これを打ち払うことが我々の任務だとは思いません」


 明明は、改めてこの武人が何故に尊敬されているのか、どれほど生っ粋の武人であるかを思い知った。そして、自分たちが目指すあるべき武は、確かにこの名将のうちに存在していたのだ。武とは、武具と同じく振るう先と場所を選ばなければならない。その判断力を、真実の武というのだろう。


 明明はその答えに、心からの礼を送った。そして、息女の雪梅が必ずや父以上の「武」として大成するべく力を尽くそうと思った。


 「司馬明明、心から張将軍のお志に感服致しました」

 「礼には及びません。それでは雪梅を呼びましょう」


 すると文延は、座を立ち雹華の方へ行き雪梅を呼んでくるように頼んだ。すると大音声で「雪姉!雪姉!」と彼女の部屋のほうへ駆けて行った。さて、肝心の内容だが終始立ち聞きしていても、やはり何が何やらさっぱりであったが、父が漬物石だというのだけは全くいい比喩だと思っていた。

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