「美騎爾の示し」(その6)

 そんな製作場の光景と裏腹に、別邸の周囲で異変があった。


 周囲を巡回している衛兵が、十三人の刺客団を捕縛していた。いずれも旅装と見えるが暗器を携行しており、明らかに一般人ではない。さらに妙なところがある。この連中は格闘の末に捕縛したのではなく、全員気絶した上にご丁寧に茂みなどに寝かせてあったのを衛兵達で縛ったものだ。


 「全員が気絶、仲間割れかな?」


 巡回の衛兵が尋問したものの「一瞬で何が起きたのか判らない」とか言うばかりだが、いずれも殴打されたというのは一致していた。ものすごい衝撃と、最後に見たのは出入りしている美しい絵師だと言うのだ。休憩の合間、門前の若い衛兵は巡回の衛兵からそんな話を聞いていた。

 

 「それじゃ何だい。香月様がそいつらを片付けたっていうのかい」

 「こっちの仕事が省けたのはいいが、これは張将軍に貸しになったよ」 


 巡回の衛兵は妙なことを言い出したので、若い衛兵は不思議になった。


 「もしかして、香月様は最初からそのつもりで?」

 「当たり前だ。ただ絵を描きに来るわけがないだろう。まったく鈍い奴だ」


 巡回の衛兵の一言に、若い衛兵は何となくことの事態を察した。香月が皇后の求めに応じたのは、危機を察知した張将軍からの護衛だ。今回、自分たちが警戒している連中を撃退するのを次女の香月に任せたのだ。刺客たちもよもや絵師が香月とは思わなかった。若い衛兵とまったく同じ目線だった「あんな見目美しい女性が」と油断し、縄目を受ける羽目になった。


 「今回は、たまたま捕縛となったが、他はひょっとしたらもっと手酷くやられたのかもしれないぞ」


 なるほど、そう考えると恐れを成して逃げ出したというのはありえる話だ。休憩時間も終わると、二人の衛兵は持ち場に戻った。


 「あの香月様がねえ。本当は、伏兵でもいたんじゃないかな」


 また門前に立つ若い衛兵は、香月のことを考えていた。十三人の刺客を一人で片付けるとなると、大の男だって七人くらいは人手が要る。


 「いやだなぁ、お前って奴はまたぼーっとして」


 そんな様子を、年上の衛兵がまたからかった。大方、この若い衛兵は香月に惚れているのだろうとか、そんな風に予想していた。


 すると、そんなところへ噂の香月がやってきた。


 「おい、道中物騒だから送って差し上げろ」

 「いいのか」


 年上の衛兵が妙な気遣いを始めた。しかし、若い衛兵はまんざら香月に惚れていないわけではない。ちょっとした役得というか、幸運にどきりとした。


 「今のところ、まったく安全なのは確かだろ」


 年上の衛兵の言う通りだった。我々が「どうしようか」と思っていた刺客団は全滅しているし、それこそこの美しい景色で彼女と歩ける絶好の機会であった。


 「そうか。ありがとう」


 若い衛兵は、別邸を立ち去ろうとする香月に声をかけた。途中までお送りしますと、少々緊張からか調子のはずれた声になってしまった。


 「ありがとうございます。道中、少々心細かったので」


 香月のまろやかな笑顔を見ていると、やはり拳術家などというのは嘘だと思う。だが、自分も衛兵の一人であり多少は武術を嗜んだ身であり、事の真相を確かめる義務がある。そして若い衛兵は、その生真面目な性格を写したように率直な質問を投げかけた。


 「この一週間、潜んでいた刺客を征伐されたのは貴女ですか?」

 「はい。少々物騒でしたので」


 この質問に香月はあっさりと答えてしまった。


 「それは、張将軍の御意向でしょうか?」

 「いいえ。私は皇后様に絵を献上したく参上したまでです。例の片付けは、何と言いますか、ほんのついでです」

 

 ここで衛兵はあることに気づいた。別宅から街道へ抜ける途中には小川があり小橋を渡るのだが、彼女が歩く道はどうも違っていた。目の前にその小橋はない。そして、人の気配もない。若い衛兵は、しまったと思った。事態はすでに遅かった。


 「ここまでお送りいただき、ありがとうございます」

 「違います。私は…」

 「せっかくですから、技のひとつでも御披露を」

 「待ってください! 私は何も!」


 俄に香月の雰囲気が変わった。あの絹のような柔らかい気配ではなく、研いだ刀の刃を頬にぴたりと当てられたような気配が充満してきた。若い衛兵は大いに焦った。よもや香月に張将軍の御意向という一言が、何か問題だったのだろうか。


 

 「申し訳ありません!」


 若い衛兵の言うが早いか二三度、蹴りが空を切る音がしたが、衛兵の目には動作の起こりやその影すら捕らえることができなかった。そして不思議なのは衛兵の肉体のどこにも痛みはない。そして、傍らにあった木がざわざわと揺れて川面へ木葉がひらひらと落ちていく。


 「はしたない真似をして申し訳ありません。これにて失礼致します」

 

 香月は若い衛兵をからかった非礼を詫びるや、軽やかに身を翻した。そして小川を流れて来る木の葉の上を、水鳥のような軽やかさで渡っていってしまったではないか。


 若い衛兵は「武笑談」の「足技を極めたものは、その神速によって地面に脚の影は写らず、水面すら渡れる」という一節を思い出したが、これは本来「ありえないこと」の寓話である。だが、その現物を目の当たりとして衛兵は開いた口がふさがらなかった。


 口を開けて棒立ちになっている彼にに気づいた香月は、向こう岸から手を振って別れの挨拶をした。その笑顔のまろやかな様子は、毎日門前で荷物を改めるときと変わりなかったが、「拳術の鳳」と呼ぶに値する技を持っていた。


 確かにあの年上の同僚が言っていたことは正しかったのだが、自分が見たこの話を彼は信じてくれるだろうか。

 

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