第2話「美騎爾の示し」

「美騎爾の示し」(その1)

 東の大陸で三百有余年の樹齢を誇った大樹がついに倒れた。


 この東王朝という大樹は遠巻きに見れば枝葉末節に至るまで立派であったが、近くで見てみれば木肌は病に歪み中身は虫食いだらけとなっていた。民主化運動によって遂に臨時政府が発足し「東華民国」としての承認を受けた。


 極東地域では扶桑之國に続く近代国家の誕生、臨時政府による初の選挙では、無血革命の中心にあった女傑、司馬明明が総裁に選出された。女性による元首という点では、扶桑之國が旧政府を打倒した時よりも遥かに先進的な成果であったとえよう。だが国民はその先進性ではなく、彼女の一族が抱える過去であった。


 司馬一門は古来から王朝の崩壊や動乱の時期に必ず大人物を輩出している。


 著名な例では三国王朝、あの王朝に伝わる美騎爾と呼ばれる甲冑が女将軍によって用いられた時代まで遡る。長年の戦乱の末、東部の王朝によって三国は統一。新王朝と名乗ったがほどなくして世継ぎが逝去。この混乱に便乗し一宰相であった司馬一門が政権を掌握、新王朝を真王朝と改めて統治した。


 人々が長くこの出来事を覚えているのは、これが戦乱によって起こされたものではないこと。今回のように無血でもって成立した変革であったためだ。戦乱が絶えなかった古代の大陸にあって、この王朝成立は奇跡であった。


 王朝政治の腐敗などは、誰しもが知ることであった。


 明明は王朝に仕える高級官吏の祖父や父を通して、その大樹の実際を知りこの運動に身を投じた一人だ。賄賂が横行することは言うに及ばず。中央から地方に至るまで官吏は半ば世襲となっており、登用試験にも平然と不正がまかり通っている。この有様を是正しようと考えるものは、悉く消されていった。


 その一方で、隣国の扶桑之國は見事に革命を成し遂げた。


 当然だが誰もそのような事例に関心はなかったが、あの国に敗れたことで気がついた人々が少なからず居た。あの強大な近代国家を作り上げたのは、変革を求めて立ち上がった人々の功績だ。目覚めなければ本当の明日を見ることはできない。そしてこの敗北から立ち上がろうと、民主化運動の支持に参加するものは瞬く間に増えていった。


 扶桑之国に王朝が降伏したその日、立ち上がった人々は王宮を囲うほどの人数となっていた。僅か百名程度しかいない活動家たちでは、この変革は成し遂げられなかった。彼らに続き明日を目指そうと覚悟を決めた人間達の勇気によって成し遂げられたのだ。


 この出来事を契機に王朝は臨時政府との交渉を開始、正式に政権の譲渡を承認したのだった。


 この奇跡が再現されたことと、共和国の建国について国民は祝賀の雰囲気一色であったが、革命の本旨たる民主主義という概念や実現に向けた道程を見定めるものは、まだそう多くは無かった。だが、明明は大衆の無理解に対して明明という傑物は増長することもなければ、見下すこともしなかった。この出来事の速度を考えれば、理解がないことは当然であった。


 「この成果が、百年先の友となることを」


 彼女の思いはそれだけであった。


 ようやく芽を出して、青天が頭上に見えた。そこを目指して、この共和国という新たな木は伸びていく。百年先もこの木が成長を続けること。そのためには、土壌も整えねばならない。教育制度の刷新から取り掛かりたいという気持ちがあった。


 我々が成し遂げた成果が潰えることなく、国民を支えて行くことだけを彼女は考えている。


 この若い木は天に向かってに伸びる一途にある。だが、その大樹の影はまだ取り除くことができない。このまま伸びつづければ、


 それが融和になるのか、衝突になるのか。明明は改めて自分が座った総裁という椅子の責任を感じていた。


 王朝は瓦解した。だが、皇帝一族の処遇を巡っては目下議論が続いている。この判断については、どうも政府内で一枚岩になっておらず議論が紛糾している。

 

 「また考え事か明明、いや司馬総裁」

 「周明か。よせ、私とお前の仲だ」


 ノックもせずに入ってこれるこの人物は趙周明、明明の右腕であり今は副総裁となっている。彼女とはそれこそ革命の黎明期から活躍した盟友だ。周明とは男性の名前だが、これは文学者であった父が「男児に勝るように」と名付けたとのことで、髪も短くして敢えて男性用のジャケットとパンツスタイルを愛用している。


 「もう考える時期ではなく、実行の時期だ。違うかな?」

 「ああ、まったくその通りだ」


 周明の一言を明明は十二分に理解している。


 皇帝一族は現在、首都の郊外に監視付きで生活を営んでいるが「世界連盟」の発足する夏までには処遇を決めて国内の政情を盤石にする必要がある。


 万が一、旧王朝を支持する連中によって内戦が起これば、旧王朝側は北方の帝国に支持を求めるだろう。


 そうなれば我々だけでは手に負えない。連盟の盟主であり、世界の調停者たる大合衆国の軍事力に助けを求めることになるのだがその時国土は無事で済む保証はない。何より、我々が成し遂げた無血革命を信じた人々を裏切る事になる。


 王朝からの助命嘆願は政権譲渡の折りに認めた。


 しかし、一部の連中が交換条件といわんばかりに王朝重代の神品名宝、保有する土地や金銀の譲渡も要求した。まるで、命以外は持ち帰れるものはないと言わんばかりの対応に盗賊の所業ではないかと明明は激昂し反発した。だが、同志の多くは王朝の圧政に苦しんだ地方の出身者であり、いくら総裁の意向であっても理解されなかった。司馬一門は王朝にも仕えた名家ということで、その立ち位置について警戒されることは昔から多かった。


 「命だけは、助けてやりたいと思う」


 明明は愛用の丸めがねを外し、ため息をついた。


 我が先祖はなんと思うだろうか。皇帝の命を助けたいとは、かつて三国王朝の時代に簒奪者とまで言われた政治的手腕を持つ先祖からすれば、しょせんは志士を気取った小娘の浅知恵と笑うだろうか。


 「明明、それが人の心だ。この革命を復讐と捉えている者は少なくない…だが、それは我々のすることではない」


 彼女の父も、王朝に意見したことで公職を追放され困窮を極めたが、それを恨みと思った事はない。その中で父が言った「正しいと思うだけで行動しないことこそ、本当の恥や悪と呼ばれるものである」という言葉は彼女の背中を後押しし、民主化運動への参加と明明と出会うきっかけとなった。


 「周明、この国に欠けているものは何だろうか」


 明明が皇帝一族の処遇以上に考えることがある。この国には何かが欠けている。あの腐敗しきった王朝にすら、微かに存在が感じられた「何か」が欠けているように思う。それが政治制度か、教育か、どうも姿が見えるようで見えない。いずれも違うように思えるのだ。


 「明明、それは武だ。この国にまだ武が備わっていない」

 

 周明は文学者の娘であったが、この国に備わっていないものを見抜いていた。寧ろ、文学の世界に生きた故にそのその存在の大きさに気づいたと言えよう。


 「武力で以って制した試しはないぞ?」

 「武とは元来、その力を正しく用いようとする精神だ。ゆえに盗賊紛いの意見を民意だなどと正当化する同志もあるのだ」


 武を用いる術が武術、当たり前のことであるが剣、槍、矛、戟、弓を執って戦うこの術が暴力と根本的にことなることは、その力を正しくあろうとする精神や作法が必要なのだ。周明に言わせれば、扶桑之國はその精神の権化ということだった。東の大陸、北方の帝国を制覇しながら、世界の覇権を握ることに野心を見せないことや敵軍への処遇もその実例であった。


 仮に、皇帝一族の処遇問題を抱えながらこのまま進んでいけば、総裁の意思も虚しく政府全体の意見としては間違いなく「討伐」に向かうだろう。この予想については、明明も納得せざるを得なかった。総裁であっても、意見に対しては一票の力しかない。


 「思い上がりかもしれないが、その力が一人にだけあっても意味はないということか」


 明明は自嘲したが、周明に言わせればそれは全く違う。


 先ほど見せた「命だけは」という気持ちにそれは顕れている。彼女の祖父や父を見ていれば、王朝の腐敗やそれによって生かされる自分を嫌悪したことは数限りないはずだ。それであっても、悪を糾し赦すということは武の精神に他ならない。


 「私は、あの御仁を政府に迎え入れるべきだと思う」


 明明は周明の考えている人物に予想がついた。


 「張将軍か」


 張将軍こと張文延、まさに適任と言えるだろうし彼を尊敬する人間は数多ある。だが彼は今も王朝に忠誠を誓い、自宅にて娘たちと蟄居している。


 「流石は明明、察しが良い。交渉は私の方で進める」


 周明は将軍が扶桑之國にルーツを持つ大陸浪人たちと接触していることを察知していた。そして、彼女もまた彼らとパイプを持っており接触する機会を見出だすことができた。


 「いや、周明。それは私が自ら出向く」


 明明は確かな眼差しで周明に行った。自分から出向く、そしてこの國に必要な「武」について教えを乞いたいと彼女は思っていた。


 「おい、よせ。危険過ぎる」


 張将軍の住まいは、皇帝一族が住む別邸の近くだ。そこに王朝にすれば仇敵が現れたというのであれば、万が一のことがないほうが奇跡であろう。


 「三顧の礼という故事がある。こういうときは誠意を見せねばなるまい」

 「明明、それを君が言うのか」

 「ご先祖の件は、一門で反省しているからな」

 「それなら、もう一つ礼を重ねねばならないだろう」


 司馬明明のの祖先、著名な三国王朝時代のその人物は王朝からの仕官の要請を四度も断り最後には皇帝自らが出向いて説得したと伝わっている。そのことに託けた周明の返しに、彼女は怒る様子はなかった。


 「そうだな。もう一つの返礼はこの大陸に新時代を拓くことで返す積りだ」


 周明は彼女のそういうところを尊敬するのであった。

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