「美騎爾の示し」(その3)

 「まるで新年の祭礼だな」


 楽器の音は言うに及ばず提灯まで掲げての大騒ぎ。しかし、あの行列がただの酔狂や若い連中の悪ふざけでないことはすぐにわかった。明かりに照らされた赤と黒の幟には、堂々と「東大陸総追捕使」と金文字で書かれていた。


 風聞には、雹華が勝手に作り上げた自称の官位であり、これを掲げて現れるとあらゆる賊徒も猛獣も退散するとの噂だ。


 確かに、あれだけの能書であれば破邪の力があると言っても不思議はない。そして、その幟の下には遠巻きからでもわかる堂々たる体格をした人物が古式の甲冑に身を固め、真っ黒なたくましい馬に跨がってやってくる。とても十七の乙女とは思えない貫禄であった。あの後ろにいる二人は従者だろうか。


 武侠小説の主人公さながらにに甲冑に身を固めて武器を携えてでは、ちょっかいを出す気にすらならない。些か芝居じみた光景ではあるが、その漂う覇気は本物だ。


 行列を成すとりまき連中は、よく見れば元気のいい乙女ばかりであった。それも粗野な振る舞いが目立つタイプだが、見た目の美しさは確かな花たちであった。その花たちが黄色い悲鳴とともに、雹華の周りに咲き誇っていた。


 近づいて来るだけで、若く甘い香りがこの盛り場に充満するように明明には思えた。


 「親父、邪魔するぞ」


 下馬した雹華がぬっと入ると、従者ととりまき連中も続いた。先ほどの静けさとは打って変わって、店はいつも以上にやかましくなった。大将格たる雹華が上座に座り、注文は「あるものすべて」という豪快なものであった。


 威勢のいい連中があつまると、やはり酒場は面白い。


 この活気は一番の肴と考える明明にとっては願ったり叶ったりであった。そして、何より雹華の振る舞いを間近で見ることができたのは幸運だ。人間は杯を傾けるとき、本性が現れる。


 その張雹華だが、六尺はあろう男勝りの立派な体格以上に驚くことがある。


 まず女性の魅力たる胸部や臀部の豊かなこと、そして少々跳ねっ返りが多いが豊かな黒髪。キリッとした眉に澄んだ黒い瞳はまさしく美人というに相応しいものがあった。しかし、余りに猛々しい雰囲気があるため注視せねばわからない魅力だと思った。とりまきの乙女が、臨席して甘える姿などまさに武人が美女を侍らせるその絵ではないか。


 明明は何度か雹華を眺めた。杯を空けては嬉しそうな顔をし、周りの人間とともに笑う姿は暴れん坊という印象を受けない。すると、雹華と目があった。そして何やら雹華が従卒の二人を呼んでひそひそと話をしている。従卒二人は頷いていた。


 「気付かれたな」

 

 明明は昔からの勘で分かった。


 さて、彼女はどう出てくるのだろうか。志士の時代にずいぶんとこういう場面には出くわしたもので、様子を変えることなく明明は杯に口をやる。例の従卒が、のしのしと明明のほうにやってきた。二人とも、雹華には及ばないが武術の鍛練で磨き上げた肉体をしていた。長剣を背負っているのが麻美、双刀を背負っているのが林杏と、各が一応は作法に乗っ取って名乗った。


 まるで武侠物の場面だと思いつつ、明明も名乗ろうとした。すると、たくましい二の腕がぬっとのびてその第一声を止めた。


 「おっと、名乗らずともよろしい。帰って早々、随分な有名人とご対面とは恐れ入るよ」

 

 麻美の口調から、どうやら事態は望ましくない方向に進むなと明明は即座に判断が着いた。少々、楽観的に見すぎていた。


 「普段、なかなかお目にかかれる相手じゃないからな。特に私たちみたいな連中は…」


 林杏の一言を聞きながら、明明は隠し扉までの距離を考える。逃げるには十分、あの図体では扉を潜れないしその間に路地に逃げ込める。後は追いつけまい。そして二人は声を揃えて尋ねたのだった。


 「あんた女優の朋朋だろ!?間違いないな!!」


 明明は一瞬目が点になった。おそらく、目敏い彼女たちは明明が変装していると看破した。盗賊相手に喧嘩を売るのだから、相手の異変や動作の機微を察するのは得意だろうが、肝心の変装している主を見誤っている。朋朋といえば、近頃若い連中に一番人気の舞台女優で、舞踊から歌謡までなんでもこなす。近いうちに大合衆国に渡って映画に出演すると話題になっている。


 「いや、私は」と明明が言ったか言わないか、林杏と麻美は大声で雹華のほうに言った。

 

 「雹の大姐!やっぱり女優の朋朋です!」

 「言った通りだろう。どうも杯を傾ける様子が絵になる御仁だと思った。こちらに来てもらえ」

 

 雹華の手招きで、明明は隣に座った。その様子を、取り巻き連中が「思ったより小柄だ」とか「そんなに美人に見えない」とか、少々しゃくに触るようなことを言っていたがこの際構わない。


 「廻国修業で見るものときたら、むさ苦しい馬賊と夜盗の顔… あとはこの二人ばかりでまったく華というものがない」


 物は言いよう、父親と喧嘩した鬱憤ばらしを廻国修業とは驚いた。


 そんな修業相手にされる盗賊達に同情してしまう。そして連中を餌食にする方天戟は彼女の後ろにある。


 「雹の大姐、それは随分ですよ」


 林杏と麻美は声を揃えて笑った。この二人と連れだって気の済むまで喧嘩三昧、そして雹華の武勇ときたら聞けば聞くほど信じられない。


 特に「農民は盗賊が来ないように戸締まりするというが、盗賊は雹華が来ないように戸締まりする」はよく知られているが「盗賊が警察に雹華に襲われたと届け出た」というのには、明明も思わず笑ってしまった。


 こんな調子で、その武勇伝が酒の肴にされて座を沸かせている。


 ものすごいのは、人間相手だけでなはい。露営して冷えたとき、二人に毛布をどこからか都合してきたと思ったら気絶した熊だったとか、毒へびに噛まれたら毒へびが牙を折って死んでしまったという猛獣相手にも怯む気配がない。


 「この間は、雄の虎に惚れられてたよな」

 

 雹華が「やめろ!」というのにも関わらず、麻美が思い出すように続けた。


 「なんだか羊やうさぎが夕餉に出ると思って雹の大姐に聞いたら、虎が持ってきたって」

 「まったく、よく心得た虎も居たもんだ」

 「うるさい! うるさい!」


 なぜだか、この話題だけは雹華が年相応の乙女のように真っ赤になって怒った。不思議に思った明明に、取り巻きの一人が耳打ちしたところでは雹華はあれでも「いつかは素敵な武人が自分の婿に」と、夢見ているらしい。余談だが「気に入った殿方に恋文を送ったら、果たし状と思われて待ち合わせ場所に死に装束で相手がやって来た」という逸話もあると聞いた。


 理想の恋人を求めるのは、まさに年相応御の娘だ。その純情をからかわれてはしかたがないが、彼女の腕力は年相応の娘どころではない。さっきの逸話がすべて納得できるような猛烈な取っ組み合っている。店が揺れるような勢いでどったんばったんやっていると、親父がのそのそ歩いてきた。


 「張将軍、店が全壊する前にお代をもらっても?」


 その一声に、三人は騒ぎをおさめた。特に雹華は父の呼び方で呼ばれて、我に返ったように見えた。さすが、かつては志士を相手に商売をしただけあってこの程度でも驚かないし、人間の心の動きをよく理解している。そして、明明に視線で「言った通りでしょう」という合図を送った。

 

 「わかってる。これでいいか」


 雹華がずしりと重たそうな銭の入った袋を親父に手渡した。親父は中身をちらっと見てぎょっとした。その様子にニッと雹華は笑って答える。


 「親父、釣銭はいらんぞ」

 「いいえ、幾らか足りません」


 親父の素早い銭勘定に、思わず雹華は椅子から転げ落ちた。


 「わかった…筆と硯を頼む」


 彼女の求めに応じて親父に持って来くると、壁一面に堂々と「東大陸総追捕使張雹華参上」としたためたではないか。その筆を取る姿が、あの方天戟であったらどれほどだろうと思わせるほど、勇ましいものを傍らで明明は感じていた。


 「よし親父、これで足りるか!?」

 「ありがとうございます。これなら曾孫の代まで繁盛ですよ!」


 親父は心得たもので、この雹華が能書でも知られているのでこれを期待していたのだ。これの見物代を取るだけでも、商売ができるほどだ。


 「親父、言葉は正しく使え。大繁盛だ。よし、続きといこう」


 そう言って雹華の笑う姿は、まさに父親の張将軍とうり二つであった。まったく持って、気分のいい連中であった。そして、場の空気にのまれていたのか、酒に飲まれていたのか遂に明明も一緒になって騒ぎ出す始末だった。


 この連中なら月ほどある杯でも飲み干すだろうと、親父は面白そうに見ていた。

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