「もう一度彼女が行くところ」(その4)

 珍しく休暇を取った爾子は、恩師公園内にある帝都美術館で絵画を眺めて過ごしていた。休日は黒山の人だかりだが、平日ともなれば閑散としていた。

 

 彼女を含めて、十人もいないほどだ。たまに響く靴音の他、静寂そのものであった。


 普段の職場、陸軍の参謀府も静かといえば静かだ。将官を補佐する陸軍の切れ者が集まる場所であり、建設的とか論理的という言葉がよく似会う。それこそ、彼らの提出する作戦案などは建築物よりもかっちりと設計されている。

 

 そこが甚だ嫌だ。


 少しも奇想天外なところがないので、爾子のような自由奔放で奇想天外な切れ者にとっては、どうにも堅苦しい。耐え切れなくなると、この奇想天外と自由奔放のサンクチュアリともいうべき美術館を訪れるようにしている。本来、そういうセンスが強いところがある。


 士官候補生時代の爾子は、その奇才ぶりに隠れがちであったが写生や写真撮影の腕前に天性のものがあり、斥候任務で用いる程度の領域ではなかった。匿名で扶桑国立美術大学の一般公募に作品を応募したら、あっさりと優秀賞を採った。ちなみに一位は、今日の画壇を代表する平沢某という現代美術家である。


 その腕を知っている気のおけない同期生たちへ、似顔絵などを描いてやるのが流行ったことがある。


 しかし、ルームメイトの時山希子のそれがないことにある同期生が気づいた。それだけ親しい仲であるのと、あの美貌なのだから描いてやれば喜ぶだろうと爾子に言うと、もし似ていなかったら私は時山元帥から除隊処分を受けることになると言って同期達を笑わせていた。


 何より、あの美貌を絵筆や写真機に留めておくことさえ、なんだが爾子にとっては罪悪感があったのだ。日増しに美しくなる時山希子という存在を彼女は特別に思っていた。花は野にあってこそ美しく、鳥は空にあってこそ美しい。


 壁一面に並べられた風景画を眺めながら、しばし思考を創造の世界に向けているとそんなことが思い出された。、二階の展示室、中央にある休憩所で椅子に腰掛けているが見物人は自分しかおらず、絵を眺めるには贅沢過ぎる空間となっていた。


 「今なら降格くらいで…いや、希子様と慕う扶桑之國の乙女全員を相手に大戦かしら?」 


 こればかりは、爾子とて勝利できる作戦が思いつかないが、真っ先に自分の首級を狙うのは月岡伊織だろう。


 「清河女史、お元気そうで」


 そんなことを考えていた爾子に声を掛けるものがあった。振り返ると、よく見知った顔だ。山崎千代子の使用人を務める杉村ではないか。


 「近頃は、随分とお忙しくされていたようで」

 「ああ、杉村さん… 館内でお静かに」


 爾子は立てた人差し指を口に当ててそう言ったが、相変わらず静か過ぎる足音だと思う。流石は旧政府陸軍の精鋭と名高い剣士隊最後の生き残り、兵卒でこの技量ならば幹部たちはどれ程であったのかと武術に疎い彼女でも想像するだけで恐ろしくなってしまう。


 「ご心配なく、守衛に人払いを頼んであります」


 ああ、なるほど。そういうわけか、剣士隊には粛清部隊があったという話を思い出す。そしてこうやってごく自然に、相手の日常の中で片付けていたのだろう。


 「なんとも素敵な逢い引きですね」


 杉村も微笑んで爾子に冗談を返す。


 歳のころは一回り以上は上であるが、笑った顔はまだ若く見えた。爾子との付き合いは長く、杉村が別名を名乗っていた頃からの知己だ。その頃と少しも変わりなかった。幼少期には古典の読み方を教わり、十代になってからは陸軍学校を目指すべくきわめて実践的な戦術や思考を教わった。爾子の奇才ぶりは、この剣士隊の生き残りによって培われたと言っていい。


 剣士隊の隊長もまた、戦術の奇才として知られていた。市街での集団戦闘に奇襲、海上での接舷攻撃など「作戦は奇を以て良しとすべし」という彼の口癖を知る杉村もまた、その方式を倣い改良して北扶桑の決戦まで生き延びた。


 「ははは、ご冗談を」


 爾子は、こればかりは少し心動かされるものがあった。思い返せばそんな時期に、確かにそういう感情があったかもしれない。


 「例の件ですが、女史を通せば大陸浪人たちに声を掛けます。間違いなく力になれるでしょう」


 この大陸浪人とは四十年前の内戦、北扶桑での決戦に破れそのまま東の大陸へ渡った旧政府の将校や士官たちの末裔である。


 幸いに王室かつての東王朝に接近し再仕官したものや、現在の東華民国の官僚筋に入り込んでいるものも居る。この大陸浪人を軸にすれば、柔軟な接近と懐柔が可能だ。扶桑之國が先の大戦で東王朝に勝利したのは、彼らに協力を取り付け内部工作を進められた点もあった。


 この手腕を活用して東の大陸に眠る三領の美騎爾を接収することを爾子は考えていた。


 接収という形式が困難であれば学術研究のため長期貸与という形式であっても構わない、東華民国の財源確保と外貨獲得の為に王室が所有する神品名宝の数々が散逸している現状もある。ここでの問題は美騎爾に用いられる金属だ。これに着目するとすれば、科学においても超大国である大合衆国もしくは世界屈指の鉄鋼技術を持つ東方連邦だ。


 特に後者については、既に火種が存在する以上、最悪の展開を想定しなければいけない。既にあの国家では空想家と思われた「例の画家」が政治の場に出てきたのだ。


 これは伝説の美騎爾二領を用いた故の試練か。いずれにせよ美騎爾の持つ能力よろしく、有り得ないことがこれから連続していくことは爾子の勘が察知していた。

 

 作戦行動上、希子は旧友ではなく上官として接している。果たして、この奇想天外と自由奔放を彼女がどれだけ信用するか。これだけは難しい。軍が先に先行すれば、それは防衛ではなく侵略に他ならない。我々が動くのはつねに有事、既に事が起きた後になるのだがそれを飛び越しての行動になる。下手をすれば今度は降格どころでは済まない。


 「杉村さん、ありがとうございます。山崎女史にもよろしくお伝えください」

 「清河女史、と千代子様もおっしゃっておりました」

 「これは恐悦至極。助言重ねてお礼申し上げます」


 流石は女傑、山崎千代子。私の考えていることなどお見通しかと爾子は思った。


 「それでは失礼致します。またお会いしましょう」

 「ええ、ありがとうございます。杉村さん」

 

 再び一人となった爾子は、一枚の風景画を眺めた。古城を描いた「風景画:作者不明」というこの一枚は、爾子が東方連邦へ留学していたころに買い求め、寄贈したものだ。今でも彼女のことを爾子は覚えている。画学生というのは、どこの國であっても苦労しているものだ。



 初めて出会ったのは、小さな画廊で開かれていた個展になんとなく足を運んだ時だ。東方連邦きっての国立美術大学に通う割には、随分と粗末な格好をしていたがその目がらんらんと光っていたことと、絵画にかける情熱が凄まじかった。血色のいい頬が、より赤々と見えたほどだ。


 彼女は好んで、東方連邦の古城や史跡を描いていた。いずれも、東方連邦がまだ帝国であったころの栄光の日々を讃えるが如き作品群であった。


 「絵画にこの国の歴史と栄光を刻み、次の百年も誰もが胸を張って生きていけるように…!」


 豪奢な様式美に独特の物悲しさを備えるそれらは、東方連邦の建築の妙を写真以上に美しく繁栄していた。写実性よりも、絵筆のタッチがそう思わせる。その中に無名の古城を描いた一枚があるのに気づいた爾子は、これを買い求めることにした。


 「お客人、それは習作です」


 彼女はいくぶん照れ臭そうにしていたが、これが一番の自信作だと爾子は思った。そして、どうにかこの画学生の背中を押してやろうと、こんな言葉をかけてみた。


 「この無名の城に名前を付けるのは、きっと貴女ですよ」

 

 なんという臭い台詞だろうか。しかし爾子の一言に表情を明るくして、彼女は絵にサインを書き加えた。あの時の表情も、サインの書き方も爾子ははっきりと覚えている。その筆跡を、泰西王国のナンシー・フェルジ大佐が残した資料の中に再び見つけた。


 彼女は今、東方連邦において政党「祖国」を率いている。その名前は、もうじき世界に知れ渡るだろう。

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