「胸いっぱいの愛を」(その5)
大合衆国と泰平西王国を相手にした一戦から二日後、帝都の真ん中にある宮城が俄に物々しくなった。
「陸軍の六大将が参内する」
このことで王室警護官に侍従も女官も、このビリビリとした雰囲気を感じずには居られない。六大将とは黒木、榊木、保志、岸尾、野津山兄弟を指す。この老将軍たちの集結は、実に時山希輔の葬儀以来であった。
六大将たちの雰囲気は、実戦を経験した具足や刀を眺めるときとそれは似ている。そう、武具は戦の無いときは静かに蔵で眠るばかりだが、その気配と役目だけは消すことができない。この六将軍たちも老齢に至り、今では性格こそ穏やかだが旧政府との戦を初めとして全ての戦役を経験したせいか、その覇気はどうやっても隠す方法が無かった。優れた武具ほど、そういうところがある。
謁見の間にその六大将が列席する。
当然、中央の玉座には帝が座っている。そこで今回の報告を行う希子と爾子は、少将と大佐という身分でありながら、まるで女学生が作文を読み上げるようであった。それほどに、周囲が圧倒的な雰囲気であった。普段は凛とした希子でさえ、手が少し震えた。怖いもの知らずの理論家である爾子は、久しぶりに思考が停止していた。
若い帝は眉一つ動かさず二人をじっと見つめながら、報告に聴き入っていた。
「時山少将、清河大佐、この度の一戦は大義であった。扶桑之國の防人を朕は頼もしく思うぞ」
二人の報告をそう帝は締めくくったが、その表情には婦女子を遂に戦に駆り立てたことに対する複雑な心境が読み取れた。六大将とて同じことであった。王室への報告が終わると、次は陸軍の本営に移動してあの六大将を相手に報告と会議である。そう、希子と爾子の戦いはまだまだ続いていた。
そんな会議も終わり、二人は六大将が去った会議室で二人はぐったりしていた。さすがに緊張の糸が切れて、疲れが一気に出てきた。なにせ、八重と伊織が戦いを終えた後から休む間もなく、諸々の対応をこなしていたのだ。この書類だとか会議だとか、まったくもって煩わしいが、これは彼女たちの役目だ。
「相変わらず、あの六名の威圧感といったらないな」
希子が珍しく冗談を言う。あの時山希輔、元帥の娘とは思えない一言に思わず「貴女の父上のほうがよっぽど恐ろしかった」と爾子が返したら、希子はその通りだと笑った。
「しかし、流石ね。新品大将の連中とは別格ね」
「戦いの本質を知っていると、痛感したよ…」
六大将たちは、二人と八重と伊織を含めた特殊部隊の解散を命じなかった。
大合衆国と泰西王国の更なる行動に対応するべく、装備の数々もまた借用の延長を許諾した。また、必要であれば増員についても言及し、警視庁や王室警護官の中でも腕利きの連中には既に話をつけているとのことだった。
少なくとも、世界連盟の成立と加盟国の協議が開催される夏までは臨戦体制であれと命じられた。まったくもって、この老人たちは戦というものを知っている。勝利は常に不思議なものだが、敗北は常に理由がある。これを避けるためには、用意周到な備えが要るのだ。
「最後の授業と言ったところかしら、急に全員揃ったのは…」
爾子はなんとなくそう思っていた。特に、希子に託しているものが大きいと感じていた。
扶桑之國陸軍は別の意味で変わりつつある。
どうも近頃は、官僚的な新品大将たちが余りに政府と距離が近くなり過ぎている。防人の本懐から離れつつあるのは確かだ。希子の目指す新しいこの国の軍隊、防人がどうなるか。あの六大将がこの世を去ったとき試練に晒されるだろう。
「そういうことだろうな」
希子とて、爾子の考えていることを薄々感じていた。そして二人の思うことは、どこまで我々が手を取り合って戦い続けられるかということだ。外からの敵よりも、どうも内側に居る敵のほうが厄介になると考えていた。これも、次の戦いの一つであった。
「あの二人は回復したの?」
八重と伊織だ。激闘の果てに疲労困憊、身辺警護も含めて希子の自邸で預かったが、湯浴みをした直後に寝入ってしまった。
「希子の家で預かったの?月岡君なんか、興奮して静養どころではなかったんじゃないの?」
「それどころか、今日私が出るときまで二人ともぐっすり眠っていたよ」
なんと羨ましい。自分も仲間入りしたいものだと爾子はケラケラと笑った。
「しかし、困ったことが一つあってな…」
「月岡君の食欲?」
「それもそうだが、どうも鼾がものすごくて…女中達からなんとかしてほしいと言われたよ」
八重が静かに寝ている横で、まるで熊か虎がほえているような伊織の鼾が轟いていたという。その様子に、鬼園部は熊や虎には怯まないのかとその武名に感心しきっていたという。
「ははは、いかにもあの二人らしい」
「爾子はしばらく会う機会がないな。あの二人と」
部隊編成は維持されるが、全員が本務に戻る。そうなると爾子は、元の参謀府へ一人戻ることとなる。そこが、なんとなく希子には寂しく思えた。
「そうねぇ… あの面白い二人を見れないのは寂しいけど、後は
「ああ、任せておいてくれ」
二人は互いに微笑んだ。同じ組織にありながら、かつては同じ時間を共有した旧友でありながら、どこか遠いものを感じるような年齢になったが、あの園部八重と月岡伊織は再び自分たちを結び付けてくれたように感じていた。
そんな八重と伊織は、陸軍学校に向かって移動していた。
見慣れた路面電車も、道行く人々も、何も変化は無い。しかし、少し中吊り広告に目をやると「大合衆国、声明を撤回し再協議へ転換」とか「扶桑之國の威厳、超大国をも凌ぐ!」と、確かにあの一戦で約束したことは進められていた。
見えないところで、確かに物事が動いていた。今も、時山少将や清河大佐はその中にあると八重は思っていた。伊織は、その見えない動きの中に自分たちが居たことが急に実感となってやって来て、何だか足元がふわふわする心地がした。
陸軍学校前の停車場に到着、この時間もあの戦いが決まった時とまったく変わり無い。世間一般は休日ということで、学舎に人の気配はなく宿舎のほうに活気があった。各が、訓練と学科から解放された休息の時間を過ごしているのだろう。
「さて…戻ろうか」
「待って…!」
八重が自室に戻ろうとした時、伊織が突然呼び止めて八重の手を取った。
「ちゃんと挨拶しておこうよ」
「どうしたの改まって。明日も会うでしょ」
「そうだけど、ちゃん明日が来るようにに言っておこうよ。またねって」
思い返せばこの戦いに臨むことを決意した時、日常の景色が一瞬にして変わった。
これから遠い将来、自分たちがこの国の防人として活躍することがあれば、きっとまた同じことがある。自分たちは気づいた筈だ。日常に戻るために戦いを勝ち抜くことの厳しさを、あの仕合の姿を借りた初めての戦争で。ならば、言っておこう。ちゃんと明日が来るように、変わらない二人のままで居られるようにと八重は思った。
「わかったわ伊織、またね」
「うん、またね。八重さん」
二人はいつものようにごく自然に挨拶をした。だが、その一言はまるで魔法のようだった。たった数日前の出来事が夢にさえも思えてくる。二人はようやく帰還したのだ。二人はまた明日から美しく健やかな時間に帰っていく。
胸いっぱいの愛とともに。
=第一部「奪還」完=
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