「胸いっぱいの愛を」(その2)

 戦いは終わった。


 美しい戦いの決着とは裏腹に、その締めくくりの手続きは至って事務的であった。


 それは、近代の戦争という事象にあっては当然であるかもしれない。

この戦いの顛末は既に泰西王国たいせいおうこくと大合衆国の大使館に電報で速報している。最後に覚え書きが作成されそこに扶桑之國、大合衆国、泰西王国たいせいおうこくの立会人三名の署名が入り、扶桑之國の勝利に相違がないことを証明することになった。


 「これにて一連の戦闘行為は終了。御両名にご異存はありませんか」


 希子と爾子は、両国の立会人を務めたナンシー・フェルジ大佐とアリサ・スカーレット外交官に確認した。史上最小にして最短ともいうべき対決の、あの美しい結末を知るのは対戦者を除いて希子を含めた立会人の三名の他は無い。


 この一戦については秘密裏に進められたものであり、決して表沙汰になることはない。勝者の栄光も、敗者の無念も、歴史の裏側に消えることとなるのだ。そして、彼女たちは紛れもなく歴史の立会人となった。そして、多いに感じ入るものがあった。乙女の戦う様子が美しいとか、そういった領域のものではないものがナンシーとアリサの胸中にはあった。


 「時山少将、清河大佐。異存ありません」


 ナンシーはにべもなく答えた。あれほど美しい決着を見せられて、いまさら異存などあろうはずも無い。当初は我々が暗躍して権益奪還を実現し、扶桑之國を表舞台から突き落とすつもりだった。だが、結果としては檜舞台に立たせることとなった。


 二兎を追うものは一兎をも得ずとはよく言ったものだ。世界連盟の盟主に収まる大合衆国に対向して、存在感だの求心力だのと余計なことを画策したあの連中、自分の父を含めた頑迷なあの連中は今頃失意のどん底に居るだろう。


 唯一の功績、或は救いと呼べるのはこれを非公開の戦闘としたことだ。これが公になっていれば、国王の意志を台なしにしたことが全世界に知れる。もはや懲罰は免れず、運が良くて免職と爵位褫奪に加えてあらゆる勲章を返上の上で蟄居というところか。もっとも、世論がそうさせるかは知らないが。


 この戦いの顛末については、あの鬼園部相手にエマ・ジョーンズ以外の人間が戦っても同じ結果になると釘を指しておいた。幸運にも、鬼の慈悲によってエマは命を救われたのだ。


 その慈悲は武人の誠意と、相手への尊敬というものから生まれたものとナンシーは見た。


 例えばそれは、戦争に於いて我々が搾取と束縛を振りかざすときに掲げる武人の精神とは多いに異なるものだ。もしその純粋な誠意を踏みにじったとき、その触れ幅は怒りに傾く。難癖をつけて再戦も可能だが、それはこの国に泰西王国の


 これで十分、あの連中を萎縮させることができた。作戦失敗の責をナンシーに問うことは出来ない。女王陛下の意向でもって、彼女は当初の目標達成に活動していたのだから。連中はもはや、彼女に手を出せなくなった。


 これでもう、余計なことは考えまい。


 ナンシーは次の戦いに向けて既に下準備を始めており、これはその一環である。父親の職位と、婚約者の老公爵の立場を、これでまるごと利用できる。まったく、搾取と束縛を得意とする彼女らしいやり方だった。


 「同様に大合衆国側も異存はありません」


 アリサも、この停戦については異論は無かった。


 あの戦いを見て、対戦者いずれかの命が失われると確信していた。しかし、一滴の流血もなく解決したこの戦争を一体何と呼べばよいのかと考えていた。我々が考えあぐねたことを、あの月岡伊織という乙女は実践してみせた。


 「時山閣下、私はこの一戦に武と呼ばれる精神の本質を見たように思います」

 「スカーレット女史、失礼ながらそれは一体?」

 「脅威としての武力ではなく、和合や調和と言いますか…そのようなものが実在したと感銘を受けました」


 アリサの母国、大合衆国にとって武力とは問題解決の「具体的手段」でしかない。泰西王国の提案を受け入れたのも、解決する必要がある問題が発生したからというもので怨恨に根差すものではない。しかし世界連盟の構想が実現したとき、自分たちの力がその段階に留まっているとしたら、それは支配者の暴力にいつしか変わるだろう。踏み止まることも必要なのだ。


 まして、大合衆国はあらゆるものを持ちすぎる。故に我々がこの力を如何に扱うべきかを考えたとき、その答えはここにあるように見えた。その答えは未だ全容を明らかにした訳ではない。だが、確かに存在しているということが聡明な彼女には判っていた。


 「勿体なきお言葉です」


 希子はアリサの言葉に戸惑った。自分たち、扶桑之國もまたそれを見極めなければならないのだ。


 「御両名、この度の戦いぶりは誠に見事でありました」


 希子と爾子は起立して脱帽の上で一礼した。同じく、ナンシーとアリサも作法に乗っ取り返礼をした。そして二人の立会人はその場を後にした。仕合終了、停戦合意の儀式がここで終わった。


 「さて、エマを起こしに行かないと」

 「よほどの激闘だったのね」


 アリサはあの人形の良いに可愛らしい、赤毛で碧眼の少女が眠りこけるまでの激闘を繰り広げたというのが、どうも想像できなかった。一方でナオミ・オハラのほうはまだ体力が有り余って居るのか、着替えを済ませて腕立て伏せをしていたのを目撃している。


 「きっと今も、あの娘の名前を呟きながら眠ってるわ」


 ナンシーは眠る子供のような仕種を手まねしてみせて、アリサを笑わせた。二人の様子は、敗戦を目の当たりにした将校と外交官というよりは、まるで生徒が職員室で指導を受けた帰りのようであった。


 「二人が生きて還るなんて、本当に思わなかった」


 このナンシーの一言には、彼女特有の刺や厭味が無かった。


 「私もそうよ。前に不吉なものを見たせいか、ずっと不安だったの」

 「あら? 貴女も迷信深いどころがあるのね」

 「確か声明が出た頃だったかしら、晴れてるのに雷が鳴ったのよ。それで思い出したの。晴天の雷鳴は英雄が死ぬときだって」


 アリサはあの日聞いた雷鳴が暗示する「英雄の死」は、この戦いにあるのではないかと思っていたのだ。


 「晴天の雷鳴が不吉ですって?」


 ナンシーは怪訝な顔で聞き返した。

  

 「泰西王国で、晴天の雷鳴は英雄の誕生を知らせるものと言われているわ。どうもそちらの意味のほうが、今は正しいように思うわね。もっとも、

 「和合、調和としての武。それがこの國にある限り、道を踏み外すことはないと私は信じるわ」


 ナンシーの言いたいことはわかる。だが、アリサはこの国を信じるだけの価値はあると思っている。


 「その武とやらを、東方連邦あたりにいますぐ植付けてほしいわよ。まったく」

 「ナンシー、東方連邦のあの画家は…大合衆国も看過できないと考えているわ」


 アリサは、例のナンシーの口癖を真似てそう返した。どうやら大合衆国本国の諜報部も、不穏な動き在りと判断したようだ。すこしばかり、情報が入ってきている。


 「それは頼もしいわね」

 「それでは後日、また会いましょう」

 「ええ、まだ公爵夫人になるまで、もう少し時間があるから」


 まったくナンシーの冗談には苦笑する。これは昔から変わらない。奇妙な縁で再会し、歴史の立会人となった彼女たちも日常に帰っていく。美しき闘士達と共に。

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