「美騎爾の導き」(その6)

 伊織は手にしていた上総介兼繁の大刀を鞘に納め、小刀を抜いた。


 どうも大刀の重心が少し違っている。おそらく先ほど散弾銃を両断したとき、若干力任せになったせいか刀身が歪んだようだ。この状態では誤って不要な苦痛を与えるかもしれないという考えから、小刀に切り替えたのは伊織ができる最後の気遣いであった。


 兼繁の小刀は定寸の一尺五寸。


 ナオミが用いる陸軍式の銃剣より少し長い程度で、間合いの利は望むべくもない。しかし、これで多少は「公平」という気持ちになる。公平と言いながらも、どうしても躊躇いは払拭できなかった。


 お互いの手が届くか届かない間合いで、すり足で移動しながら隙を伺う。


 立会人の二人に、その光景は野生の獅子が睨み合うような荒々しいものに見えた。手にした小刀と銃剣、それはそのまま獅子の牙と爪に見えるのであった。そして、野生の獅子が互いの身を爪でえぐり牙で噛み付くように、凄惨な対決になることまで想像できるのだった。


 「これ以上は、何としても止めなければ」


 立会人のアリサはそう思ったが、伊織とナオミの気迫に体がすくんでいた。自分が文官ではなく旧友のナンシー・フェルジのように軍人であれば、この場の雰囲気に憶することなく、隣席の希子にすぐさま停戦を申入れることもできたというのに。なんとも情けない気持ちであった。


 「組み打ちに持ち込まれる前に、月岡君は勝負を決する気だな…」


 希子はその結末を予想しながら、睨み合う二人の様子を見ていた。ただし、その結末は八重のような美しい決着にはならない。組み打ちで小刀或いは短刀のとどめは合戦の作法、あくまで戦争としての決着がやってくることは容易に想像できる。


 「来る!」


 伊織が反応するや否やヒュッと、逆手に握られたナオミの銃剣が伊織の眼前を掠める。


 しかし、伊織はこれをすんでのところで躱したが、ナオミは銃剣を繰り出すのを止めない。その射程こそ短くなった分、繰り出される速度は遥かに向上している。刺突はいずれも、急所や美騎爾の防御が薄い箇所に狙いを定めていた。彼女がここからは本気だと言ったことに、偽りはなかった。


 無論、無防備な左右の首筋をも狙う。伊織の一刀が振り下ろされれば、その隙に入り込み手首の動脈を狙う。それこそまさに、最小の動作で相手を行動不能にする最短距離を狙う理想形だったが、今の伊織にはそれは届かなかった。


 八重から教わった例の「観察」は既に完了していた。ナオミが銃剣を用いる間合いを見切っている。また、どの攻撃が囮で本命の攻撃、体術へのつなぎも予想できた。そして伊織は自分の目を疑った。眼前には妙な光景が広がっていた。


 「えっ、何これ?」


 ナオミから繰り出される攻撃と、その軌道が空中にすべて図示されるように、はっきりと見えるのだ。経験値に基づく予想を遥かに凌駕するその感覚の前では、繰り出される攻撃を回避することは造作もなかった。それこそ、あの時八重が蝶を掴んだように、


 「そうか。そうなんだ。これを、これが八重さんの見ている世界…!」


 まさに伊織は今、八重の領域に入門したと言える。ナオミという圧倒的な強敵を前にして、その極意が頭ではなく五体と感覚が理解するきっかけとなったのだ。


 しかし、伊織の師匠ともいうべき八重の場合は、相手の攻撃を目前に、さらにその先を行っている筈だ。改めて旧友の強さを尊敬するのだった。


 きっと、攻撃の到達時間まで判るのだろう。故にどこに立てば威力がなくなるとか、相手の動きが止まるというのも判る。動作がゆっくりであるどころか、動く必要さえなくなる。


 「これなんだね八重さん。やっと、少しだけ追いついたよ…」


 ナオミの銃剣が、遂に美騎爾ビキニの防御が及ばない胴を狙った。しかし、伊織は怯えることもなく峯で打ち据えて速度を殺し、そのまま絡めとった。


 銃剣はそのまま宙を舞い、伊織の後ろへ飛んで行った。ナオミは今度こそ完全に装備を失ったことになった。


 「どうやら、全部見切られてるみたいだね…」


 ナオミにも伊織の変化が判った。どれも幸運で回避しているわけではない。さっきのだって、まぐれ当たりなんかじゃない。彼女は自分の攻撃の速度や軌道が見えているから、できたのだ。今の伊織は一人の戦士として、その素質を開眼しているのだ。 

 その能力はナオミ自身が、二人の兄と父、祖父いずれも例外なくその「眼」を持っているから判る。


 オハラ家が成し遂げた大合衆国の格闘術の統合というものを考えれば、その道程で技以上に鍛えられたものがそれであった。そしてこれは、能力よりもっと近い形で、それこそ体の一分として受け継がれていった。


 ただし、受け継がれたものは眼だけではない。その「技」も体の一部として受け継がれていったのは、言うまでもないだろう。装備をすべて失ったというのは間違いだ。


 ナオミにはまだ五体という武器が残っている。それも、銃剣なんてチャチな玩具とは比べものにならない。それほどの攻撃パターンと威力を持った武器だ。


 伊織の開眼は入門、その扉を開いたに過ぎない。


 「ごめんね伊織さん」


 銃剣を払われるまでが、ナオミの攻撃の一部であった。既に、伊織との間合いは十分に縮まっていた。伊織の胸元に、これまでとは違った打撃が繰り出された。それは拳を当てると言うより、腕そのものを鞭のようにぶつけるような打撃。そしてそれが、非常に重い。そして、よろける伊織にそのまま勢いをつけて押し倒す。投げられるともまた違う技に、伊織は受け身が取れず無防備で玉砂利に打ち付けられることとなった。

 

 「攻撃が全く読めない」


 例えば拳闘や組み打ちのように、構える気配も無い。しかし、相手の動作すべてに反撃するように変幻自在の攻撃を繰り出す。だんだんと、伊織の眼前からあの光景が消えていく。銃剣を用いていたときと、まるで違う。


 「こっちが動くだけで、相手の攻撃が完成する?なら動かない?まさか」


 まるで、地雷原のど真ん中にでも立たされたような気分だ。例の光景が消えた伊織は焦った。


 観察しようにも、間違いなくナオミの格闘術は、八重がいる領域と同等かそれ以上の段階にある。


 一歩踏み出せば、足に軽く一撃。


 これに気を取られた瞬間、本命の攻撃が来る。そのまま胴を取られて投げが入る。さらに、地面に着く前に当て身のような技で阻まれ、その反動で強制的に伊織は元の体勢に戻される。そこに拳、肘、膝、掌底を容赦なくナオミは叩き込む。棒立ちになっている伊織は、まともにこれを受ける。さきほどの蹴りでさえ、早すぎて影が映らないほどであったが、今度のは別格であった。


 「何これ」


 どこから撃ち込まれたかは、直撃を受けなければわからないほどだった。その数も、またしかり。この撃ち込みによって臓腑への衝撃からくる激痛と、脳を強く揺さぶられることによる影響で、伊織の目に映る光景を完全に崩壊させていく。


 それでもこの距離ならと兼繁の小刀を繰り出そうとするが、ナオミは憶することなく自分に近づけた。接近戦では、得物を持つことが有利とは限らない。案外に得物とは不自由なものであるのだ。そして、ぴたりと体に押し当てて来たのでは使い道がなくなる。完全に刀身と伊織の動作が止まった。


 そしてナオミの全体重を載せた掌底、会心の一撃であった。


 視界がどろどろになり、足元も覚束ない伊織にナオミが放った一撃は、彼女の体を飛び上がらせる程の威力であった。その一撃で、伊織は前のめりに倒れる。

 

 「これがオハラ一族の本気か…」

 

 希子は改めてこのナオミ・オハラの才能と、その一族が完成した技に恐怖した。


 あの一族は、大合衆国の多種多様な格闘術を組み合わせただけではない。各々の格闘術が持つ欠点を補うべく、様々な体捌きや受け身などの動きが細かい部品を重ねていくように組合わさっている。その動きが、ナオミが今披露した一連の技だ。


 これは単なる個人が考えた武術という原始的なものではなく、れっきとした科学的な発明品であった。


 発明大国の大合衆国は、当然兵器開発も得意としているが、この格闘術にいたっては自動拳銃に並ぶ領域の完成度と威力を持っていると言えよう。これらが量産されるとき。そう、大合衆国陸海軍すべての兵が習得するときが来れば、扶桑之國の武術を凌ぐ存在が誕生することになる。


 扶桑之國の武術は白兵戦にあって驚異的な強さを誇るということを文官のアリサもよく知っている。ナオミがBIKINIを装備していたときに用いた拳闘や組み打ちの技術などは、競技用格闘技の域を出ていなかったが、これは紛れもなく人体を破壊する術である。自分が対戦者であれば、銃剣で一突きされたほうが余程楽に終わるとさえ思う。


 掌底を受け、倒れ込んでいる伊織にナオミは心の中でつぶやく。


 「伊織さん、立ち上がらないで」


 ナオミには美騎爾を破壊する威力を持つ兵器はない。故に、破壊するとしたら自分がよく知る彼女なら、気を失っても立ち向かって来る。だから、どうか立ち上がらないでくれと願うのだった。


 もうこれ以上、貴女を傷つけたくない。それだけだった。だが、伊織は立ち上がる。満身創痍、美騎爾の保護があっても、打撃の痣がかしこに見える。視界とてまだ完全に回復していないだろう。そして右手には変わらず兼繁の小刀が握られている。


 ナオミが伊織の回復を悠長に待ってくれる筈はなかった。


 立ち上がった以上は、戦わなければならない。それがお互いに戦士、闘士としての役目である。止めの一撃で、勝負を終える。その気持ちは伊織とて同じであった。小刀を前にして半身を取る八重に、最後の一撃が同時に繰り出された。小刀に蹴りを放ち、防御の崩れたところに再び掌底を繰り出していたが、その先に伊織がいない。


 「しまった」


 伊織は体を落とし、ナオミの蹴りを受け流すのと同時に掌底も回避していた。技を繰り出して完全に伸びきった状態の今、伊織に反撃させるには十分過ぎる隙ができたた。回避と共に背後を取るそれは、小太刀術の奥伝そのものだった。


 これは偶然の産物であった。既に伊織が動ける体力もこれが最後、この極限の脱力から来る夢想の中に見出だした一撃であった。


 「オハラさん、ごめんね…」


 心の中でつぶやいたのか本当にそう言ったか。伊織の頬に一条の涙が伝うよりも早く、その小刀は飛燕のように一閃する。


 勝負は、ここに決着した。

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