「美騎爾の導き」(その3)

 約束の刻限が過ぎること実に二時間余、ようやく大合衆国大使館の車両が見えた。その様子を確認した伝令が「清河大佐!」と連呼しながら廊下を走ってやってきた。


 「よし、スカーレット女史は時山少将の下へ。対戦者は、控えに… 対戦はすぐにでも可能だ」


 爾子は、待ってましたとばかりに段取りをする。こちらもちょうど大合衆国側のとの電信交換が再開されたところだった。時計の針は進んでいたが、ようやく我々もそれに追いついた気持ちd。この作戦の趨勢は、月岡伊織の勝利に托される。いよいよ作戦も大詰め、あちらは月岡と希子に任せて、彼女は自分の戦いを進めなければならなかった。


 「焦らすなんて、アリサもずいぶん大人の技を使うようで」

 「フェルジ大佐、まさに待ち人来りというやつです」


 爾子の前に泰西王国の立会人を務めたナンシー・フェルジ大佐が椅子に掛けている。彼女は大合衆国側の立会人が到着できなかった場合を考えて、代理の立会人を自ら申し出たのだった。また彼女は美騎爾の鈴寿を装備して戦った鬼園部こと園部八重に一人の武人として魅了されていた。


 「あの美騎爾の戦いぶりを見届けたいところだけれど…」

 「私も同じ意見ですが、どうやらこちらの仕事も相応に難しい」

 「その通り… ところで清河大佐、どこまでお話したかしら」


 ナンシーがこの爾子と対話に臨んだのは、代理の立会人の申し出のためだけではない。


 エマが破れた以上、故に泰西王国の思惑が半分実現しなくなる。扶桑之國からの権益奪還が叶わなくとも、女王陛下の悲願である世界連盟の成立のために、東方連邦の動きだけでも抑える一手が必要になる。西方諸国を戦禍に巻き込まないために、これだけは何としても手立てを講じなければならない。


 このような事態に備え、扶桑之國側にもパイプが欲しいところだったが、これには旧友のアリサ・スカーレットが爾子の著述を紹介した。特に驚くべきは、先の二つの大戦における泰西王国の思惑を事前に看破している点だ。扶桑一国に留まらないその発想力と視野ならばと、ナンシーは清河爾子を頼るに値する存在として認め対話に至った。


 「フェルジ大佐、我々に変換される権益ですが、これを東方連邦と共有するのは今後の為にならんと考えております」


 東方連邦に、どうも妙な奴が現れたというのは扶桑之國の軍部も一部で察知していた。この東方連邦の陸軍との関わりは深い。


 扶桑之國の老将軍と呼ばれる重鎮も、新米士官の折りは連邦から派遣された軍事顧問の将官たちに指導をされたものだ。それは時に机上で、時に演習の場でびしびしとやられた。しかし、武人の振る舞いとは気持ちいのいいもので、学科や調練の後は宴席で故郷の話を交わし、交流を深めていったものだ。そしてその絆は、彼らが退官した後も続き独自の情報網を構築している。扶桑之國の老将軍たちが、半ば隠居となっても情報に聡いのはこのためだった。


 「妙な奴が現れた」


 そんな風に動乱の兆しとなるような人物が現れたことを掴んでいる。


 件の人物は東方連邦の政界進出と政権掌握を実現するために泰西王国への反対感情を煽り、国民からの支持を取り付けている。そして行く行くは、西方諸国一同での反対運動を実現し具体的行動に移ろうとしている。それは何か、言うまでもあるまい。


 扶桑之國とて、泰西王国には東の大陸と北方の帝国との戦役で「極東の番犬」として使われてきた。故に好きか嫌いかと言えば、はっきりいって嫌いだが、泰西王国打倒の動きに呼応するのは間違っている。


 まして、西方諸国を巻き込んでなど、戦国乱世の分捕りと同じ、近代国家としてあってはならない行為だ。これは自分の著書に書いた通りで、これ以上、列強と戦争を望むことはそれは、我々が自ら望んでもならないし、加担してもならないのだ。


 爾子のそういう思惑もあり、午前中までは敵であったナンシーの申入れを受け入れた。流石は泰西王国の女性将校の中でも、女王陛下の覚えめでたき女傑。行動に独自の信念が強すぎるものの、全ては王室への忠誠に帰結している。


 彼女を押さえておくことで、あの国からの差し金にそれ以上は無い。友以上に敵は身近に置かなければならない。


 「扶桑之國が老いた番犬なのは周知でしょうが、老いた犬は経験があります」


 泰西王国が扶桑之國をどのように扱ってきたか、当然ナンシーは知っている。その反動がこの決闘の結果だろう。飼い犬に噛み付かれた挙げ句、愛人のエマ・ジョーンズ伍長まで寝取られてはぐうの音も出ない。いや、あれは鬼にさらわれたというべきだろうか。


 もっともこれは、自分もその美しさに心奪われていた。これは生涯で経験した完全な敗北、いや敗戦というべきだ。


 「お上手ですこと。それなら私たちは今日、になったわ」


 ナンシーは自嘲した。しかし、爾子は不思議と彼女の気持ちがわかった。どうやって、この絶対不利の状態から自分の悲願を達成するか。その苦悩がよくわかった。 


 「フェルジ大佐、負け犬というなら私は生まれついての負け犬です。なにせ祖父と父は、旧政府の人間でしたから… 偉そうな物言いで恐縮ですが、敗北から勝ちに転じるのも我々の役目です」


 その一言に、なるほどどナンシーは納得した。確かに、それは自分にとって「次の戦い」だ。そう、絶対不利の背景から勝利する道を探るのも軍人の役目だ。しかし、この清河大佐の背景には驚いた。時山少将こと希子の旧友というから、てっきりその筋の家柄と思っていた。


 そんな彼女が今回の国難にあたって参謀を務め、勝利に王手をかけているのだから見事という他はない。アリサから聞いた件の著書も、そうした戦いの一環だったのだろう。彼女は一度も戦場に立ったことはないが、生まれながらにして敗戦から立ち上がる戦いに身を投じているのだ。

 

 「残った植民地の問題ですが、正々堂々と調停なさったほうがいい。火種がある以上、小さくするしかありません」

 「かがり火と蝋燭では、随分と違うといったところかしら」

 「いい例えです。蝋燭の火ならば、消すための労力は些かですから」

 「燭台を倒して延焼させてしまわないようにするのが我々の役目」

 「その通りです。仮にそうなれば、私が東南諸島に渡って極東統合国家を段取りしますよ。人、モノ、カネ…青写真は既にあります」


 爾子はけらけらと笑って答えた。小柄な彼女のそれは、まさに女学生のように見えた。ナンシーはどこまでが本気で、どこまでが冗談なのか掴めなかった。


 この秀才も、いずれ将来の敵になるかもしれない。だが、今は東方連邦の動乱に反対しているのならそれでいい。今のところは、脅威ではない。ナンシー・フェルジは決して屈することを知らない軍人だ。


 そして、見込んだ人物ならば出自もわからないエマを鍛えあげたように協力は惜しまない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る