「美騎爾の導き」(その2)

 定刻通りの昼食を済ませると、伊織は八重に装備の手伝いをしてもらった。


 この美騎爾のように軽量であっても甲冑というのはやはり勝手が難しい。練習用の複製品でずいぶん慣れたつもりだが、どうにもぎこちない手つきだった。


 「仕方ないわね…」

 「ゴメンね八重さん…」


 そんな風にして八重が伊織を手伝っている。だが、こうして二人きりになる時間はこれが最後になるかもしれないと思うと、互いが何か言葉をと探し始める。これは二人とも、何かぎこちなかった。


 「八重さん…」

 「どうしたの?」

 「私、頑張って来るから」


 伊織の微笑みは、いつもの伊織だった。さっきの手許の覚束なさとは裏腹に気負いや不要な力みもない、いい表情だ。まあ、きちんといつも通りに懸案事項である昼食をすましているのだから、それもそうかと八重は思った。


 「大丈夫、相手は私より強いなんてことは無いでしょうから」

 「うふふ…」

 「どうしたの?」


 伊織はそれを聞いて少し可笑しくなった。先ほど、清河大佐に自分が答えた内容とまったく同じではないか。真面目な八重であるが、時折こういうところがあるのを伊織はよく知っている。着付けが終わると、伊織は軽く動いてみて環那かんなの動きを確かめた。


 本物はやはり違う。


 優れた武具には、やはり何か不思議な力が宿るように肌で感じる。何より、先ほどから来ていた陸軍学校の制服のほうがよほど不自然に感じられるほど、この美騎爾こと環那かんなはそれほどに自然な肌触りと重量だった。


 伊織が甲冑を試している間、八重は彼女が選んだ打刀に目釘やハバキに緩みが無いか見ていてた。


 「大小揃いの上総介兼繁かしら?」


 反りが浅く先身幅の少ない造り、刃紋もそれと一致する。


 この打刀だが、前の戦いで自分が選んだ伯耆高綱や七星藤五郎よりも遥かに新しい時代の作であり、格付けも良業物程度である。

  

 この一戦のために用意された最上大業物すら霞むほどの名刀の山に、この大小は無かったと見ていたが、見落としていたのだろうか。


 その兼繁は銅色の海鼠透かしの鍔、柄は定寸より少し短く、胴の中程にくびれを持たせた立鼓形で柄巻は鹿角の漆塗り、鐺こじりなど刀装具はすべて鉄という実戦向きになっている。


 鞘にもまた工夫があり、組紐を通す返角かえりづのも独特の角度がついこれは抜刀時の鞘の脱落を防ぐと同時に、この角度を利用すれば即座に胴を守る楯にもなる。


 この鍔や拵の意匠は、環那御前が生前に用いたそれと一致する。故に八重はよもやと思った。


 「伊織、この大小に折り紙か、鞘書きはあった?」

 「何もなかったかなぁ… 上総介兼繁って書いてあっただけ」

 

 どうやら、先ほど戦ったエマ・ジョーンズ伍長の件もあって、差料の出自に妄想を駆り立てすぎてしまったようだ。

 第一に、環那御前の伝説は広く知られており、この意匠を模した鍔や拵を上総介兼繁に施す剣士、或いは収集家がいたとしても不思議はないかと八重は思った。


 「ところで、伊織はどうしてこの大小を?」

 「何て言うのかな… 手に取ったとき、一番自然だったからかな」

 「自然だった? どういうことかしら」 

 「それは、何て言えばいいのかな…」


 平素は図太い性格の伊織であるが、この刀を手にしたとき八重と初めて手をつないだ時を思い出したとは何故か言い出せなかった。

 

 それは八重の柔らかな手を刀の柄とたとえることへの後ろめたさ半分、なんだか余りに詩的で気恥ずかしいと感じたのが半分というところだ。


 当然だがいつも一緒だった友でさえ、立ち合いの場所までは一緒に行けない。ゆえに、このもっとも彼女を自然に感じた大小を伊織は選び、いつもの日常に戻ってこれるようにと願を掛けた。


 「そういえば、こっちも一つ聞きたいことがあるんだけど」

 「さっきの仕合の話かしら?」

 「それもあるけど… 八重さん、香水付けてたっけ?」


 伊織はくんくんと鼻を鳴らして、その残り香を不思議そうにしている。これには八重も焦った。まさか、あのエマ・ジョーンズ伍長の贈り物がまだ残っていたとは、思いもよらなかった。一応は戦場ということで、万が一に備えて仕合の後は丸腰にならないように湯浴みせずに、控室では湿らした布で体を拭いただけだ。それでも伊織の鼻の良さと来たらどうだろう、妻にする殿方は浮気などまずできないと思うのであった。


 「それは、何て言えばいいのかしら… 全部終わったら、ゆっくり話すことにするわ」


 伊織は急に赤くなった八重を不思議そうに眺めていると、伝令がやってきたので準備が完了した旨を伝えた。そして八重は、廊下を歩いていく伊織の後ろ姿を見守った。


 庭先に着いた伊織は床几に腰掛け、相手の到着を待つ。


 午前に仕合をした八重の鈴寿すず緋糸威ひいとどおしの赤が鮮やかだった。伊織が今身につけている環那かんな紺糸威こんいとどおしは、また違った趣がある。庭の作りとその色合いからそう感じるのか、清流のような一種の爽やかさが漂っている。これから命のやり取りをするというよりは、何か川辺を眺めながら詩を詠ずるような、そんな趣があるのだ。


 そして伊織の大小についている銅色のぶ厚い海鼠透かしの鍔が、清流の半ばに現れる巌のように見える。


 「あの美しさ、確かに千年に一度と言われるだけはある」


 戦場にあって風雅を思わせるとは、意匠だけにとどまる美ではない。かつてあれを装備した姫君も美女で知られたというが、当時はどれほどの美しさだったか知りたいものだと、立会人の希子はそう思った。


 しかし、一つばかり気掛かりなことがある。美騎爾を身につけた伊織の雰囲気に、何か違和感がある。どうも八重の雰囲気とだいぶ違っている。凛々しいことには凛々しいが、何だかそれは男子の節句で用いる兜飾りのような雰囲気がある。どうも、彼女のはつらつとした元気な性格をしっているせいか、そんな雰囲気を感じてしまう。


 希子は懐中時計をチラと眺める。時計の針は刻刻と約束の刻限に近づいている。相手が到着しないことは、やはり気を揉ませる。最初、火災と聞いたときは情報撹乱か、こちらの動揺を狙ったものと疑ったが、続報でそれは事実と確認できた。何より、大合衆国はこういう約束は必ず守るし、小細工を用いて勝負事を決するのを良しとする国柄ではない、良くも悪くも公平な連中だ。


 今できることは、立会人のアリサ・スカーレット女史の到着と代理の対戦者の到着を待つばかりだ。それと、一刻も早く火災が落ち着くことを願う。


 この一件を幸運か不運か、そんなことを考えながら今は待つばかりであった。


 不運の光景とは、突然訪れるものだ。

 

 例えばジャムを塗ったトーストを床に落とすときは、ジャムを塗った方から地面に着地する。そして着地するのは掃除していない床。もっと酷いと絨毯の上。いつだって不運は「よりにもよって」という時と場合にやってくる。シーラ・ウィルソン上等兵は、つくづくそう思う。


 よりにもよって、扶桑之國の代表との決闘の日に停泊中の母艦レイクランドで火災が発生した。火元は厨房と電気系統、火薬庫に引火させまいと水兵一同総出で対応している。当然だが、大合衆国側の代表となったシーラ・ウィルソン上等兵も本人の安否確認を済ませると、消火活動に臨んだ。


 最新鋭、電力によって自動化を実現した設備の多くは、こういうときに電力以上の人力を要する。自動消火装置もどうやら送電の不具合で稼働率は半分くらい、そして内部を移動するための扉の開け閉めも一苦労。仮に破壊して被害拡大を防ぐにしても、撃破できるだけの手段がどこにもなかった。


 しかし、船はいつだって困難に向かい風に向かって進む。それは帆船時代から変わりはしないのだ。搭乗員一同が「海軍根性の見せ所」と、極めて士気は旺盛だった。


 「ツイてないなシーラ、今日は特別な日だったんだろ?」 


 消火活動にあたるライオネル・ピケット軍曹がシーラに声を掛けた。大柄で丸坊主、この騒動の中でもはっきりわかるほどの大声、まさに舟の上で生きてきたような典型的な男だ。


 「ピケット軍曹、現段階で死傷者はゼロ人、周辺地域や艦船への延焼も無し。

 「シーラ、まったくいい根性だ!」 


 シーラは軍曹の一言に物おじせずそんな冗談を返したが、確かにこれだけでも十分ツイているといっていい。ピケット軍曹はそう笑うと、また迫力のある声で陣頭指揮に戻った。その張りのある声に教練で散々にしごかれた連中は、気持ちをびしっと一つにして炎と格闘していた。あの地獄の教練に比べれば、これしきの炎がなんだというのだ。火元が厨房だというなら、昼飯のおまけだと思っておけばいい。それくらいに、ここの連中は根性も肉体も鍛えあげられている。


 時計をチラと見ると、自分が従事するはずだった特別任務の開始時刻はとうに過ぎていた。

 

 「オハラ士官候補生、あとは頼みましたよ」


 そう思うと、シーラは再び自分の戦場に戻っていった。この母艦を焼く炎の鎮圧には、もう一踏ん張りといったところ、こちらも根性の見せ所だ。

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