第6話「美騎爾の導き」

「美騎爾の導き」(その1)

壁掛け時計を見ると、仕合開始から一時間が過ぎたが、まだ決着の知らせは伊織の下に届いていない。


 「広いお屋敷だけど、ここまで一日かかるってことはないと思うんだけどなぁ…」


 伊織に不必要に気負わせないために八重は仕合の見学を許可しなかったが、その気遣いが却って心がざわつかせてしまう。そんな風にやきもきする伊織の控え室に待ち人来り、伝令がやってきた。八重の勝利と半分聞いたか聞かないうちに、電光石火の如く彼女の控え室に向かった。考えるより行動するのが早いというのが彼女だ。


 「八重さん! 勝ったんだね!」


 扉を開けて彼女の姿が見えるや否や、伊織は力一杯に抱きしめた。しかし、その八重はというと美騎爾と装備を解いてだった。たまらず八重は真っ赤になって「破廉恥!」と悲鳴を上げて伊織を投げ飛ばしてしまったが、それでも良かった。


 白刃を携える鬼園部ではなく、いつもの八重だ。昔から知る園部八重に戻っているのが伊織には嬉しかった。


 「よかった。どこも怪我してない」

 「伊織、ありがとう」

 「逆さまにして見ても大丈夫なら、本当に大丈夫だね」

 「人をデッサンか何かみたいに言わないの」


 逆さまになった伊織の視界に映る彼女の柔肌に、一つも傷は見当たらなかった。八重も思わず投げ飛ばしてしまったが、内心では伊織がやって来てくれたことをとても嬉しく思っていた。命のやり取りを経た後に、伊織の顔を見て思わず泣き出しそうになった。それは、自分が日常に生還できた証しだったのだ。その証しが、ひっくり返りながら自分を見つめている。いつものあの笑顔で、自分を待っていてくれたのだ。


 「いつまでもひっくり返ってないの。着替えが終わったら、改めて話に行くから」

 「うん… 待ってる!」


 伊織は、ぱっと立ち上がるとそそくさと撤退した。そして八重は、いったいどこから話そうかと考えていた。しかし、エマ・ジョーンズ伍長からの贈り物だけは、話そうかどうか迷うところであった。あれが唇だったらと思うと、さっきの伊織のようにひっくり返ってしまいそうになる。


 一方で伊織は控室に戻らず、もうひとつ確認しておきたい場所へ向かっていた。


 それは、対決の場となった庭先だ。


 縁側から見るそこは、ほんの少し前に親友がここで戦っていたのは本当だろうかと思うほど穏やかであった。だが、玉砂利の乱れはここで立ち合いがあったことを物語っている。

 長年の付き合い、八重の実力を一番知る伊織だ。彼女の足さばきをその跡に見出すことは容易い、これは今まで見たことが無いほどに激しかった。八重が振るう太刀や、乱れる息遣いすら聞こえるようだ。


 すると、急に戦闘というものが身近にやってきて伊織はぞくっとした。ひとつだけ安心したのは、どこにも血痕がないこと。それはこの勝負が締めくくられたということを現わしている。


 「本当に強いなぁ、八重さんは」


 親友の剣を讃える一方で、八重を追い込んだ相手はどれほどの使い手だったのだろうかと考える。エマ・ジョーンズ伍長、その容姿は白黒でも判るほど舶来の人形のような可憐さからは想像できなかった。玉砂利には、刀剣同士の対戦とは思えない跡も残っている。想像するに、相手は飛鳥ひちょうの如き素早い身のこなしであったのだろう。


 「速度を封じるなら、相手の攻撃を受け止める…でも、難しいかも」


 伊織がそう思ったのは、ひときわ深く残る足跡からだった。


 この踏み込みで繰り出した一撃、これはうまく受けたとしても、そのまま押し切られて負ける。この速度に勝るのは理合の速度、八重が最も得意とする領域だ。

 ひとしきり観察が終わると、伊織はふうと一息ついた。そろそろ玉砂利が整えられて、この戦いの跡も消える。


 そして午後には、自分がここに立ち、ここにその跡を残す番がやってくるのだ。


 伊織は自分の気持ちが、この美しい庭から戦闘に向かっていくのがわかる。改めて八重との稽古を思い出していた。美騎爾ビキニと真剣に慣れるだけではなく、大合衆国の代表ということで銃剣術か軍刀術を想定して特訓をしてきた。銃剣は、陸軍学校の学科で伊織も優秀な成績を修めているが、大合衆国のそれは相手は体格でも勝るので油断はできない。


 準備万端とはいっても、何が起きるのが判らないのが真剣勝負というものだ。


 頭の中でああしよう、こうしようというものは、真剣勝負の中でひとつも実現しないと、八重から何度も聞かされた。思い通りにならないのが戦いなのだ。万が一、銃剣どころかあの国の十八番ともいうべき拳銃を使用することも想定して、際の対策を伊織は八重から伝授されていた。


 「あれを知っているってことは、八重さん一回は鉄砲と戦ってるんだよね」


 それも、知識と経験を持ち帰っているのだからまったく、恐ろしい親友もあったものだと思う。考えは尽きることなく、ずっと八重の事ばかりが浮かんでくる。この一戦が終わったらまた直ぐに会えるというのに、本当だろうか。ここで考えが止まる。ひょっとしたらという言葉が、どうしても頭を過ぎる。


 そう、何が起きるのが判らないのが真剣勝負というものだ。そんなとき、縁側から清河大佐の足音と声が近づいてくる。


 「月岡君、月岡君はあるか」

 「清河大佐!月岡、ここにおります!」


 どうもその様子が尋常ではない。これまで作戦を共にした彼女は、いつも飄々としており、動揺する様子は見たことがなかった。伊織が庭先から手を振ると、ようやく彼女を認識したようだった。やはり動揺が尋常ではない。


 「午後の対戦だが、どうも状況が変わった」

 「何事でしょうか…?」


 何が起きるのが判らないのが真剣勝負というものだ。やはり、何かしら起きた。考えられることは、先ほどの仕合に対する報復か。それとも、泰西王国側の立会人の異議申立て、いずれもあり得ることだった。


 「停泊中の大合衆国の戦艦で火災が発生している。搭乗員総出、あちらの代表も消火対応しているようだ」


 火災が発生した新鋭戦艦レイクランドは、対戦相手のシーラ・ウィルソン上等兵が乗船している艦である。新鋭の戦艦ということで、扶桑之國側からの支援も停泊する他国の艦からの支援も機密保持の観点から限定的であり、もっぱらレイクランドの搭乗員で消火から諸々の活動に当たっているとの連絡を受けていた。


 「それで、皆さんはご無事なんですか!?」

 「全員無事だ」

 「良かった… それは何よりです」

 

 伊織は安堵した様子で返した。真っ先に敵の安否を確認するとは、なかなか見上げたものだと爾子は思う。こんな理不尽な要求で戦う羽目になれば、誰しもが相手を憎むものだがそういう感情はこの月岡伊織には少しもない。


 「補欠の立会人がこちらに向かうとのことだが、詳細な情報はまだだ」

 

 問題の補欠について、大使館のアリサ・スカーレットが連絡する手筈だったが、どうやら本国や駐在武官とのやり取りで連絡が遅れてしまっている。女史のてきぱきした仕事ぶりからは想像できないが、何が起きるのが判らないのが真剣勝負というものだ。


 「不安はないのかね?」

 「はい。不安がないわけではありませんが… 園部士官候補生より強いということは、無いでしょうから」


 爾子は思わず脱力してしまった。なんとも暢気というか、肝っ玉が据わってるというか、なんというのだろうか。鬼園部こと八重とは、まったく違う強さがある。言うなれば


 だが、言われてみれば道理だ。対戦後の得物の検分をしたが、八重の差料はいずれも刃こぼれも捲れもなかった。あったとすれば、鍔元に切っ先を受けたような傷がひとつばかりで、刀身は無傷。そこまでの使い手と向き合い続けた彼女にとって、今回の脅威とはその程度の存在なのかもしれない。

 

 「月岡君、その通りだ。しかし、油断はできんぞ」

 「はい。万全の態勢で臨みます。ところで、清河大佐。一点確認させていただきたいことがあります」

 「答えられる範囲で回答する」


 伊織の眼差しは真剣だった。その引き締まった伊織の眼差しに、爾子も態度を改める。彼女の意見は、随分おおらかなものだが正鵠を射ている。もしや、何か新たな気付きがあったのかと思った。


 「ありがとうございます。昼食は定刻通りでしょうか?」


 ついに爾子は、伊織の大器ぶりに堪えきれなくなり大笑いしてしまった。まったく、どこまでも大きい人物だ。心も胃袋も、自分の目をもってしても推し量れない。

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