「甦る美騎爾」(その5)

 八重の鮮やかな一太刀は、エマを両断した。


 断ち切ったものは肉体ではなく、彼女にまとわりつく因縁だった。その具現の如く絡み付いている黒皮の甲冑ビキニアーマーが断ち切られ、幾つかの鉄鋲が飛び散る。その下にあった汗に濡れるエマの柔肌が顕になり、春の日差しを反射していた。


 甲冑ビキニアーマーの束縛から解かれた乙女の肉体は、あらゆる彫像よりも美しかった。僅かに膨らんだ乳房、未成熟な肉体でありながら、血色のよい肌の下にその鍛えられた筋肉が山脈の如く存在することがはっきり分かる。近代化され単純・効率化された反復運動や、不自然な負荷を与える鍛練によって作られた肉体ではない。まさに、もって生まれた金脈から採掘された黄金が、あの八重を窮地に追いやった技を産み出してきた。


 この若く柔らかな肉体が、あそこまでの攻撃を産み出したのかと八重は感嘆する。エマ・ジョーンズというこの乙女は、生粋の戦士として生まれてきたと言っていい。故に、彼女の因縁を断ち切る必要があった。これだけ素晴らしい戦士を、たかが国家の権益を賭けて戦うには余りに惜しい。こんな因縁は、ここで終わりにさせる。自分が進む先を、生き方を決めるだけの強さを彼女は持っている。

 

 八重が太刀を鞘に納めた。


 その時を待つように、急にエマが八重の体に抱き着いた立会人の二人はさすがに驚いたが、八重は既に戦意を見せていなかった。よもやと思ったが、この必勝の距離にあってエマが繰り出したのは攻撃ではなかった。ゆっくりと、エマは八重の左右の頬にその柔らかな唇で接吻したのだ。余りに自然なその行為が美しく、不躾にも見入ってしまった。八重は赤面してしまったが、エマは喘ぎながら彼女に囁く。


 「叶うならば、もう一度、貴女にお会いしたい…」


 戦いが終わる。私は敗れた。この場を去らねばならない。


 もうこの鬼園部の強さ、美しさを見ることは敵わない。そんなことはわかっている。それでも、もう一度だけ、彼女に会いたい。それこそ、恋人と交わるように全てを捧げたこの戦いを、叶うのであればもう一度という気持ちでエマはいっぱいだった。何より、私が彼女の記憶から消えることが怖かった。園部八重は、これからも私以上の相手と幾たびも戦っていくのだ。彼女の強さ、美に接近するものは必ずいる。そして、私のような者は忘却の彼方に。故に、もう一度だけ。もう一度だけ逢瀬をと思うのだ。


 その時、エマの柔肌に八重の籠手が当たるのがわかった。八重はエマの柔肌を傷つけまいと、優しく抱きしめた。この美騎爾越しにあっても、彼女の鼓動や体温が伝わって来る。まだ彼女は熱くたぎっている。だから、彼女は私に聞いたのだと八重は理解した。


 「今より強くなられた時、貴女と必ずこの続きを… その時は私から、拝顔の栄誉を賜りたく思います」

 

 エマはこの一言を接吻よりもうれしく思えた。床の上の愛撫ですら感じたことのないような絶頂と多幸感が押し寄せる。この快楽の波に、エマの意識は溶けていった。あの鬼が、自分を見ている。自分の存在を感じてくれている。それだけで、ここまでの修練や戦いが一つも無駄なことは無かった。


 八重もどうしても、彼女へ伝えたかった。どうか、このまま強くありつづけてほしい。いつか、その武名がこの極東の扶桑之國に聞こえたときは、改めて自分が挑戦する。それだけの黄金を、可能性を秘めているのがエマ・ジョーンズという戦士なのだ。この美しい赤毛と碧眼、叶うことならば永久に眺めていたいとさえ八重は感じていた。


 「ありがとう」


 エマの頬に歓喜の涙が伝う。そして、この美しき鬼と再会の約束を取り交わした嬉しさを最後に、視界が暗転した。度こそ完全に気を失っている。立会人のナンシーは、友軍の敗北をそこで確認した。力無く倒れるエマを支えながら八重は叫んだ。自分より小柄で計量ながら、力無く倒れる人間とはどうも重たい。


 「誰か担架を!」

 「それ以上エマに触れるな!」


 立会人のナンシー・フェルジ大佐の怒号が聞こえた。あろうことか、手には王立陸軍制式採用の回転式拳銃が握られている。流石のこれには、希子も驚いた。あの激闘を冷静に見ていた様子とはまるで別人のように気色ばんでいる。


 「園部八重、その手で伍長の肉体を辱しめるのであれば、私が相手をする」


 圧倒的敗北、それは認めよう。この敗北の咎は、本国の忌まわしいあの連中が負えば良い。だが、一体誰がエマの心を奪われるという大敗北を喫すると予想できただろうか。あの二人が見ていた世界に、自分はどう足掻いても立ち入ることができない。その焦燥と混乱から、彼女は拳銃をホルスターから抜いたのだった。


 「フェルジ大佐、既に勝敗は決しました。どうか武人としての節度を、そしてジョーンズ伍長の安全は我々が保証します」


 その拳銃の前に、希子が立ち塞がった。一つの恐怖も見せていない。流石は元帥大将の娘、その言葉にはこれ以上の無礼を働かせないだけの覇気があった。そこで、ナンシーは我に返った。これ以上、己の敗北を深くすることは愚行だ。次はこの希子に敗れる積もりかと。それは恥に他ならない。このナンシー・フェルジは無作法は何より恥と思う性格だ。


 「時山少将、ご無礼をお許しください。取り乱しました」


 非礼を詫びる姿に、先ほどの怒りは無くなんとか事なきを得たと希子は感じていた。無理もない、あれだけの戦いを見せられて平静で居られる武人は幾人もないはずだ。


 「破損した甲冑ビキニアーマーの回収のご依頼と、医務室への同伴は承認いただけますか」

 「回収には、こちらからも要員を出します。同伴については問題ありません。エマ・ジョーンズ伍長が意識を取り戻されたら、我々一同健闘には感嘆したとお伝えください」

 「お心遣い、感謝いたします。時山少将」


 希子の敬礼に、ナンシーも敬礼を返す。そして、先ほどの行為の愚かさを知った。さて、どのようにして本国と折衝するか。そして何より、愛するエマをこれから待つ処分から保護するか、ナンシーの頭はようやく本来の働きを取り戻した。それだけ闘争や戦闘を生業とする彼女たちでさえ、やはり一種の熱気にやられていたと言っていいだろう。それほどの規模、濃度があの短時間の「決闘」という形式に凝縮されていた。


 まさにそれは戦場であった。驚くべきは、それがたった二人の十代の乙女によって実現してしまったことだ。勝利した喜びはなく、むしろ希子はそこを考えた。


 「時山少将、現在時刻一〇三八を以って作戦行動完了です」

 「園部君、今回の作戦に関して抜群の活躍だった。感謝する」


 希子は八重の状況報告を聞き、懐中時計で時間を確かめた。あの激戦が、わずか一時間に満たないものであったとは驚く。希子の心からの敬礼に、八重も敬礼で応じた。そこで、希子は彼女の手にもうひとつの刀があることに気づいた。白柄の朱鞘、あれはエマ・ジョーンズが使用していたものだ。


 間近で見るとその銀の拵や、組紐の色、鐺や縁頭の意匠からあの刀であることがはっきりわかった。かつて新政府と旧政府の内戦で、北扶桑の最果てまで戦った残存部隊に剣士隊という特殊部隊があり、その隊長の愛刀に他ならない。これは山崎千代子女史の下に届けられ、そのまま保管されたと聞いている。自分たちのような軍人でさえ、女史との接触は困難とされているのに、あの伍長はこれを所持していたのならば答えは一つだ。

 

 「ええ、お察しの通りです。自分も驚きました。きっと、対戦前に清河大佐が話したかったこともこれでしょう」


 さすが千里眼の爾子、旧友ながらその情報収集と目の付け所に感服する。問題はこの刀を貸し与えた意味だ。旧政府の最後の剣士が見せた意地、その魂というべき刀を貸し与えるということは、現行の軍部や政府に対する反骨、穿った見方をすれば三行半にも思える。


 「園部君、私は君に謝罪する必要がある」

 「時山少将、仰る事はわかります。それには及びません」


 彼女の家柄を知らない希子ではない。自分の配慮が足りなかったばかりに八重に代理戦争をさせてしまったではないか。一方で八重の口調はいつもの様子で、皮肉や侮蔑の感情は一切無かった。それには及ばないというならば、一体この戦いに、彼女は何を見出だしたというのだろうか。


 「いうなれば旧政府最後の剣士、同志と刃を交えたことになるのだぞ?」

 「最後の剣士に打ち勝ってこそ、新しい場所に行けると思いました。何より、全身全霊の戦いをあのお方にも見せることが出来ました」 


 園部八重は勝利した。一つ目は美しき黄金の可能性たるエマ・ジョーンズに、そして二つ目は彼女が持つ背景と因縁に勝利した。


 人間が戦って勝ち得るに値する勝利があるとすれば、自分自身の運命に打ち勝つことだ。八重と同じく希子もそうした因縁を少なからず抱えているが、自分はまだこの境地に立っていないことが恥ずかしくさえ思える。そして、文字通りその刀で道を切り開いた園部八重という剣士を心から尊敬するのだった。


 美しき戦いの結末には、美しい勝利が必要なのだ。


 「園部君、改めて君へ本当に感謝する。海内無双、鬼園部… その名前に恥じない活躍だった」

 「時山少将、恐縮ですが鬼園部というのは、その…」


 希子は今一度、この剣士に感謝の言葉を捧げ自分が臨むべき戦いへの気持ちを新たにするのだが、一方で八重はその物々しいあだ名を面と向かって言われると赤くなってしまった。

 

 園部八重、十七歳。剣士である以前に、花も恥じらう乙女なのであった。

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