「甦る美騎爾」(その4)

 庭先の春の景色が二人の視界から消える。


 真っ白な空間に、見えるのは互いの姿のみだ。奇妙なことに、この光景を八重とエマは共有していた。優れた闘士が持つ、一種の精神的な共感シンパシーのようなものであった。


 この二人きりの空間で愛を語らうことも無ければ、その柔肌や唇を求め合うこともない。互いのを求めてはいるが、その目的は快楽と真逆の行為だった。


 二人は本気だ。そこでは余計な情報は一切が遮断される。五感の全てがお互いの動作を察知するべく最大限の感度となる。勝利への最短距離を目指すのであれば、思考や感情でさえも障害物でしかない。


 仕掛けた八重の一太刀を回避する。すかさず、空を斬ったその両手を取って投げに転じた。エマの母国、泰西王国や西方諸国の長剣術に見られる技の一つだったが、それは見事であった。


 さすがの鬼園部も不意を突かれたようで、不格好に地面にたたき付けられた。エマはすかさず顔面への踏み付けと、腹部への一突きを繰り出す。彼女が得意とする速度が、単純な攻撃のそれに乗るのではなく、技の展開に乗ってきたことは少々厄介であった。八重は即座に起き上がり、体勢を整える。そして即座に反撃に出た。

 

 「本物の突きをご覧にいれよう」

 

 八重は平突きを繰り出すと、陽光が刀身を反射する。


 その数は三回連続の突きだった。まさに神業のような速さであり、踏み込む動作はわずか一回しか目視できなかった。立会人の希子もナンシーも、これには驚いた。素早い獲物を仕留めるのにうってつけの、散弾のような一撃ではないか。この突きでも本気となったエマをとらえることはできなかった。もっとも、今の彼女なら散弾すら回避できそうなほどに素早い。彼女が身につける装備は、身体反応と動作を飛躍的に高めるが、これを使いこなすのはやはり並大抵の運動神経ではない。


 エマが突きを躱しながら、八重に微笑んで見せる。それも優しくまるで同級生に「ごきげんよう」とでも言うようだった。


 「これを回避したのは、彼女が初めてか」


 八重は回避のみならず、そこからの彼女の反撃には更に驚かされた。彼女も同じ技を返してきたではないか。ひとつ少ない二段突きであったが、それは見事と言っていい。


 それも、自己の速度を活かしたものではない。八重の用いる体捌きによる加速を見事に応用している。何とか回避したと思った最後に、八重はこれまでにない打撃を左腕に受けた。美騎爾の防御力があってもその威力は伝わり、左腕が痺れるほどだった。


 「何っ!?」


 あの間合いで仕掛けられる武器は所持していないはずだ。


 当然、エマの装備ビキニアーマーでは鎖分銅などの暗器はないとと思ったが、エマの左腕を見て判った。


 あの絡み付く蛇のような黒皮の籠手は、ほどいて鞭のように扱うこともできるのだ。鉄鋲の重量を活かして威力も十分、気が付けばそれこそ蛇のように八重の左腕を締め上げている。下手をすれば、このままへし折られる。


 左手を防がれ、更に完璧な構えをとれない以上、八重が得意とする体で刀を振るうというあの理を発揮できない。威力は否応なしに半減してしまう。


 今度は自分がエマの素早さに翻弄される番となった。不格好ながらも、エマの刀を辛くもかわしていく八重だが、確実に間合いが詰められている。そしてエマが八重の背後に迫る。八重はその一瞬を狙って、一太刀浴びせようとしたが外してしまった。


 完全に背後をとられた八重は、左手をさらに締め上げられるだけではなく、腕もろともその黒皮で喉を締め付けられた。


 じりじりと、八重の背をエマの細くしなやかな脚が踏みつける。防御できない箇所を攻め立てられ、生の激痛が走る。彼女と肌を重ねた乙女の中には、こうしたを望むものもあるが、そんな生易しいものではない。


 今は間違いなく八重を絞め落とすか、背骨を折ろうとしている。流石の八重も伯耆高綱の太刀を振り落とし、この緊縛に抗う。


 「勝てる!エマが勝つ!」


 立会人のナンシー・フェルジは、握っていた白手袋を放した。なんと残虐で鮮やかな締めくくり、あの美しい剣士の苦悶の表情を間近で眺める特権を、彼女はうらやましくさえ思った。


 勝利が目前にある。遂にこの鬼を屈服させたと、エマにもまた歪んだ愉悦が満ちてきた。


 エマは自らも太刀を投げ捨て、八重の脇差しである七星藤五郎を抜き払った。この距離仕留めるのなら、あの刀では却って扱いづらい。この脇差しときたら身が厚く樋が入っており、刺突にはお誂え向きだった。

 

 「せめて最期は、自分で選んだこれでどうぞ」


 エマが八重の耳元でささやくが、まさしく魔性の声だ。彼女の誘惑であれば、地獄にさえ喜んで堕ちるものもいるだろう。そして、彼女はは八重の柔肌めがけてその一尺ばかりの短刀を突き立てた。


 「園部君!」


 希子が声をあげた。あの体勢で反撃は不可能。よもや鬼園部がここで敗れることになるのかと、平素の希子からは考えられないほどに動揺していた。その表情を、ナンシーは横目に見る。いいぞ、その狼狽した表情。澄ましたあの美しさが失せ、恐怖と焦燥に支配されている。


 「ああ、なんと可愛そう。今すぐに身も心も慰めてやりたい」


 ナンシーの悪癖が始まった。この決闘の場にあって、希子を屈服させることを諦めていなかったのだ。ぞくぞくする快楽を覚えた彼女であったが、次の瞬間に正気に戻った。今度はエマが腕を取られ投げられ、したたかに地面へたたき付けられたではないか。投げた八重は一滴の血も流していない。


 「流石は鬼園部、やはり刀は体の一部か」


 希子は八重の右手に視線をやった。そこには、鞘に納まる七星藤五郎があるではないか。彼女はあの一瞬で、鞘を取りあの突きを防いだ。まさに鬼の爪と牙だ。エマの歪んだ愉悦が闘争の速度を落とし、八重に好機を与えることとなった。そしてすかさず、取り落とした伯耆高綱の太刀を拾い上げる。


 エマまた立ち上がったが、今の自分はおそらく傍目にも苛立っているのがわかるだろう。それも、自分の余計な感情によって自分の勝機を逸したということだ。


 彼女もまた左手の鞭状になった籠手で刀を絡めて拾い上げると、雑念を振り払うが如く攻撃を繰り出す。だが、一度沸き上がった執心の火を消すことは難しかった。攻撃の中で、刀同士が打ち合うこともなく、八重の太刀が常に自分に迫ってくる。八重が自分に近づくことはできても、自分の技で彼女に近づくことができない。まだ見届けていない、これでは八重の全身全霊をそれを見届けるまでは、決して諦めない。 


 「見たい。もっと美しいこの技を、そして貴女を」


 エマの執心は、一種の恋愛にも似ていた。この自分と八重しかいない一対一の決闘という空間で、彼女の美を独占できるのは今しかない。際の際まで戦うと決めた彼女の心は、いつしかこの剣士への恋慕に変わっていたのだ。


 生きて還ることがかなえばと、エマの胸は更に高鳴る。鬼園部こと園部八重、彼女は戦いのなかに合ってこそ美しい。その美しさに近づくことができた。だが、すべてを見ることは叶わなかった。彼女の美しさを、すべてを知るものがこの世にあるのだろうか。恐らく彼女にとって最愛の人とは、自分よりも強い御仁なのだろう。


 ふと、八重の攻撃が止んだ。


 見れば、刀を鞘に納めている。れで幕引きというつもりではないことは、エマには判った。彼女は見せてくれるのだ。文字通り自分が望む究極の美を、それはこの決闘の決着になる。ならばとエマも刀を左肘を固定するように、そして右腕はまっすぐに伸ばした上段の構えを取った。自分の最速を、この最強最速の一撃を生むとされる構えに託した。駆け出すことまさに電光石火、その玉砂利の擦れる音よりも速くエマは無防備となった八重に打ち込んだ。


 その時、相手の刀はおろか八重本人の姿さえ消えた。


 そして八重の太刀が己の両腕の内側にあり、彼女の息遣いが聞こえるほどの距離にその姿があるではないか。腕、胴、首、どの角度からでもエマを仕留めることができる。最早、この領域の技を見せられてはその理を解読することすら敵わなかった。いつ抜刀したのか、いつ移動したのか。まるで人体の反射のそれのように無意識。あるいは武術の世界でいうところの無の境地とか、融通無碍というところである。


 何が起こったのかわからないのは立会人とて同じであった。八重が一瞬消えて、エマの間合いに出現したようにしか見えなかった。だが、勝敗は決したと二人の立会人は思った。これ以上戦う必要はない。いや、術がないのだ。  


 真っ白な空間に色彩が戻って来る。


 庭先の春の景色が、音が戻って来る。全ては終わったのだ。エマは自然と構えを解くと、八重の傍らにがくりと膝をついた。


 「この剣士の強さ、いや。


 この感情に、一つの不快感も後悔もない。全てが自然に還っていく。全身が心臓になったかのように脈打ち、肌は燃えるように熱い。肌を伝う汗が、次々と玉砂利の上に落ちていく。刀はおろか、立ち上がる力さえも使いきった。己の持つ技は全て用いたのだ。この刀とともにまさしく自分の持つ最果てに、際の際までやって来たのだ。ならば、思い残すところはもう何もない。


 「私の負けです」


 エマの小さな呟きに、八重は頷いた。立会人のナンシーが、何かを叫んだようだが二人には聞こえなかった。この二人の世界の中に、彼女の叫びが入る余地は無かった。


 再び二人だけの真っ白な空間、そして八重の太刀が一閃した。

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