「甦る美騎爾」(その3)

 扶桑之國の美騎爾ビキニ鈴寿すずが現代の最強剣士に数えられる鬼園部とともに戦場へ帰還した。

 

 武具に記憶はないものの、対峙する泰西王国の甲冑ビキニアーマーをどのように思っているだろうか。妖しい黒革と鉄鋲の銀色の輝きに感じるものは何だろうか。


 「再び間合いに入った… ならば!」


 エマはその身軽さを活かし、今度は八重の死角からの連続攻撃を試みる。旋回速度に劣るあの甲冑相手ならば、勝機はある。どうやら先ほどは、早期決着を狙うために一点に集中しすぎたためか、が自ずと隙を作っていた。


 八重は自分の得物の間合いだけでなく、その装備する美騎爾ビキニの弱点をよく理解している。まるで、全身に目でも付いているようだった。


 そして反撃の巧みさは、例の如く挙動の起こりを悟らせない刀捌きだけでない。刀を切っ先からはもちろんだが、鍔や縁頭まで全て武器として漏れなく用いる。そう、斬りつけるだけではなく打撃にも用いるのだ。


 これもあって、死角からの攻撃も防御されてしまう。鍔の透かしで相手の切っ先を絡めとる。縁頭でしたたかに打ち付ける。後者をまともに受けたときは手が痺れて、エマはあやうく得物を取り落としそうになった。その威力は、まるで大槌で殴られたようだった。あれを、側頭に受けていれば斬られるまでもなく終わっていただろう。


 エマは連続の突きで間伐なく間接や甲冑の隙間を狙うが、いずれの突きも絶妙に反らされる。さらに八重は太刀の反りを生かして、相手の突きを回避するだけでなく、より正確に相手の急所への突きを滑り込ませてくる。


 突きは元来、死に太刀と言われるほど次の動作に繋げづらいものであるが、彼女ほどの達人相手では、この最後の一手すら反撃の好機にされてしまう。エマのビキニアーマーは、機動力にこそ長けるが防御力は皆無と言っていい。突きはどこに受けても戦闘継続を困難にする致命傷たりえる。


 いずれの一手もはエマの急所を正確に狙っている。これには、たじろぐ様子があれば、八重はさらに仕掛ける。上段からの一撃、これは確実に面を狙っていたがこれは不思議と回避できた。


 「仕損じた?まさか」


 エマは一瞬嫌な予感がした。その刹那、振り下ろされた太刀が飛燕の如く翻った。傍目で見れば、振り上げた動作のほうが速いように見えた。


 「入った!これで決まったか!?」


 立会人の希子が思わず立ち上がる。しかし、庭に敷き詰めた玉砂利に鮮血の跡はなかった。なんと、エマは太刀が翻るより先に後ろにのけ反り、弧を描きながら対比して見せた。この鮮やかな跳躍、立会人希子も対戦の最中にある八重も目を奪われた。その着地もまた、すっと静かだった。あの太刀をすんでのところで躱すとは、エマ・ジョーンズの身軽さはまるで猫。いや、あの獰猛さも相まって豹のようである。


 「あれが入っていれば、左手を持って行かれたわね」


 一方でナンシー・フェルジは、エマがかなりギリギリで回避したことを見切っていた。


 澄ました様子で座って眺めているが、冷や汗が背を伝うのがわかる。鬼園部が振るうあれは、もはや刀ではなくだ。鬼が生き物かどうか知らないが、爪や牙を「さあ使うぞ」と意識して用いる生き物はいない。そして先ほどから経験するその用途の広さも、まさにそれであった。それほどに八重の太刀捌きは自然であった。その爪と牙は、容赦無く乙女の柔肌を切り裂かんと迫って来る。


 知っているのだ。この鬼園部と呼ばれる剣士も、その手にある太刀も必勝への最短距離を知っている。それはそのまま、最強最速の一撃に置換される。戦いの最中にその動作を鈍らせる思考も感情も、勝利への道程を最短距離を駆け抜ける速度に追いつけない。


 「まさに鬼、なんと美しい怪物…」


 エマは鬼という言葉は飾り物。せいぜい、猪突猛進な戦いぶりからそう呼ばれるのかと思っていたが、その練り上げられた技の数々に圧倒されている。まさに美しい怪物と言っていい。泰西王国の百科辞典の「鬼」という項目に、新たな情報を加えるなら園部八重の肖像を掲載するべきだろう。


 自分が用いるビキニアーマーの補助がなければ、いったい幾度この身を斬られることになっただろうか。生身で戦っていたならば、少なくとも左腕は手首が無くなっているだろうし、太股は肉を削がれていた。これでは戦闘継続が困難どころか、出血多量で命を失っていただろう。


 かつて、戦いとは愛撫に似たものと思ったこともある。自らの強さがもたらした幾たびもの勝利と、数え切れぬ程に肌を重ねた美しき上官ナンシー・フェルジとの営みを振り返ると「如何に与え、如何に奪い去るか」という点で似ていると思った。その一方で、その先にあるのが快楽なのか苦痛なのか、まさに、この鬼が持っている妖気にやられたと言っていいだろう。


 「一体どうすれば、この鬼に勝てるの…?」

 

 だんだんと、そんな思考が脳内を支配してきた。


 やはりエマの剣は空を斬るばかりで八重には届かない。これは完全に得物の間合いを見切られており、そんな一撃はこの鬼にとって身を躱すまでもなく、ほんの一寸、間合いの外に居れば済むことであった。


 自ずとエマの呼吸も乱れる。その運動量と恐怖によって心臓の音が大きくなり、耳元にあるようにさえ感じる。無理もなかった。あの神業というべき爪と牙を回避するために消費する体力は、通常の決闘の比ではない。


 このままでは、負傷することがなくとも戦闘継続は困難になる。だが、あの鬼がそんな終わりを望んでいる筈がない。それは、今こうして思考する隙をすかさず狙う一太刀で理解できる。一方で八重の息は乱れることなく、汗の滴る様子以外は疲労の色すら見られない。


 乱れがないのは、動きも同様であった。砂利に残る八重の足跡は数えられるのではないかというほど少なく、そしてはっきりと残っていた。


 「まるで能楽だな」


 希子はその跡から、この国に古来伝わる芸能を思い出す。あの静寂と省略の世界、物語とその音楽が動作によって完結される世界に、極めて似ている。名人達人と呼ばれる剣士には、派手な動きなどはどこにもない、常に整った拍子で物語の完結までで進んでいく。それは確かに能楽とよく似ている。

  

 「間違いなくこの戦いを通して、新たな境地が拓ける」


 八重は呼吸を整えながらそう思った。断じて、己の技量にあかせてエマをなぶっているわけではなかった。


 このような機会を与えてくれる相手と、国家の権益を賭けた戦いで出会うことになるとは思いもよらなかった。この鬼にそう思わせるほど、エマの身体能力は素晴らしかった。あの体捌きや回避、基礎となる格闘術は何か、もしこのような場でなければ直に教わってみたいと感じている。


 さらにエマがこれまでに選んだ攻撃は、自分が相手でなければ数分前に造作もなく勝利を収めていただろう。これには旧友、今は友軍というべき月岡伊織が彼女と対戦しなくて良かったと思う。伊織はエマに力で勝るだろうが、やはりあの速度にはついていけなくなるはずだ。


 八重は再度脇構えを取り、エマをじっと眺めた。エマは未だ死に体になっておらず、反撃に転じる覚悟が伺える。


 一体何があったのか、その答はエマの右手にある無銘の一振にある。北の最果てまで戦いつづけたこの刀が、我が手に渡ったのも何かの縁だ。ならば、自分もやってみせようではないか。かつての主のように、最後まで戦い抜いて見せる。エマはふいにそう思った。その剣士もまた「鬼」と呼ばれたと、この刀を貸し与えた千代子女史が語っていた。


 「鬼園部… 貴女の奥義はこの鬼とともに、私が全て見届ける」

 

 どうやって勝つのか、生き残るのかという思考はもう捨てた。自分の全てをさらけ出してぶつける。もはやそれ以外に、この勝負を締めくくる方法はない。どのみち、この任務の失敗に待つものは形式ばかりの軍法会議と処分だけ。ならば存分に、この剣士と斬り合う。思考を捨てて、一個の獣として戦うほかはない。この刀の持ち主が、かつてそうであったようにだ。


 彼女に纏わり付く焦燥と恐怖が一気に失せた。


 この若く美しい闘士は、初めて死を傍らに置くことで真の勇気が沸き上がってくるのが判った。その勇気と覚悟は、眼前の鬼にも伝わっていた。その精神に全身全霊で以って応えようと思った。二人の気迫が増しているのは立会人の二人も感じていた。特にエマ・ジョーンズのそれが丸っきり違うではないか。


 「あの伍長も、向こう側に立ったか」


 希子はあの鬼園部に「挑むこと」を選んだ美しき伍長を尊敬した。皮肉ではない。優れた武芸者は勝敗ではなく、その先にあるものを目指すものである。執心を捨てたとき、その道が拓ける。


 一方でナンシーも決着の瞬間が訪れようとしていることを二人の様子から感じ取っていた。予想される結果最悪、最善いずれの結末でも相討ちの他はなかった。


 これには、彼女が握る白手袋の内側に汗が滲んだ。

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