「甦る美騎爾」(その2)

 泰西王国側の立会人、ナンシー・フェルジ大佐は鬼園部こと園部八重、あの美しい剣士が身につける装備の名を知りたいと思った。純粋な気持ちから宿敵たる時山希子に尋ねた。


 「時山少将、無教養で恐縮ですがあの装備は一体?」

 「扶桑八領に数えられる甲冑の一つで、銘は鈴寿すず、そしてあの様式は美騎爾と呼ばれます」 

 「美騎爾…?」


 希子が手帳を取り出してその三文字で記すと、その三文字をナンシーはまじまじと眺めた。この扶桑之國にも同じ様式の、同じ名の甲冑が存在しているとは何という奇縁だろうか。まして、その二つが戦いを通して交わろうとしている。この一戦、やはり我々は歴史の立会人になる。この美しき戦いを、一瞬たりとも見逃すまいとナンシーは思った。 


 対峙する二人が動いた。 


 エマが朱鞘を抜き払うとすかさず八相に構え、対する八重は伯耆高綱を抜刀し脇構えを取った。


 いずれの得物も、戦場を知っている。エマが用いる無銘の一振りには、その証拠が数多く刻まれている。誉傷と呼ばれる相手の刀痕が峯にはっきり残り、鎬も研ぎ減りして刃紋が不鮮明になっている。一方で八重の伯耆高綱は随分と綺麗に見えるが、手元で刀身を見ればそこには血と脂をすった艶を見出だすことができる。それは、優れた剣士たちに用いられた無言の証明というべきだろう。


 互いの顔が白刃に映る。その闘気は、立会人にも伝わっていた。


 なるほど、本国に居た頃の対戦など、どれも彼女の燃え上がらせるものではなかったかとナンシーは思った。一方で八重は、波一つない水面のように静かな眼差しであった。それは相手よりも先を見ているような、ややもするとぼんやりとしているようにも見えた。だが、これは優れた剣士の見せる脱力であると、かつて八重の演武を見た時山希子は知っていた。


 互いに歩を進め、徐々に間合いが縮まる。先に仕掛けたのはエマだった。八重の喉を狙った見事な片手一本突きだったが、僅かに彼女は間合いの外にあった。立会人の二人が思わず立ち上がるような一撃にも関わらず、やはり八重は動じる気配がない。


 「あと一歩、こちらに近ければ」


 エマは二の太刀を繰り出すべく、すかさず退く。その身軽さと言ったら、まるで武術のそれではなく舞踊、この庭園の春の景色にあっては胡蝶が舞う如きであった。鬼と呼ばれる剣士の間合いで停止することは、賢明とは言えない。先ほど分析したように甲冑の防御の外にある箇所を狙う一撃離脱で勝負を決する。


 そして彼女が身を翻す動作からの胴を狙う一閃、その素早い一撃は刀身が見えなかった。間一髪のところで八重の柔肌に触れることなく空を切っていた。こちらはまだ、脇構えのまま仕掛ける気配がない。


 「どうやら、押しているな」


 ナンシーは精彩を欠くような相手の動きと、エマの攻撃の見事さから圧倒しているものと確信した。

 無理もなかろう、八重が装備する美騎爾とやらはあの様式で軽量化したとはいえ、基本的に扶桑之國の伝統的な甲冑具足と意匠・構造を同じくしている。


 故に防御力も優れるが、手足の防具はその構造上どうしても体の動きが制限されると見た。何より、八重の構えがその可動範囲の狭さを物語っているではないか。


 おそらくは、間合いに入ったところで「後の先」を取るつもりだろうが、エマのあの軽快な動きがあれば、それは難しい。狙った瞬間、エマが死角に入って


 一方で希子も、エマの技に驚く。


 なるほど、訓練する期間は我々とそう変わらなかったはずだが、扶桑之國の剣術については概ね基礎を習得している。

 古流の使い手でも目録くらいでは、竹刀や木刀相手なら造作も無く片付けられるだろう。これを支えるのは近代的な鍛錬に加えて、あの妖気を放つ装備にも仕掛けがある。


 どうもあの手足に絡み付くような荊を思わせる鉄鋲スタッズを打った革帯、あの意匠に秘密があると見た。


 「結び方に一定の法則がある。それがカラクリだな…」


 あれは恐らくは、骨格や筋肉のつくりに沿ったものになっている。それがあのように折り重なることによって、ばねのような役割を果たしているのだ。胸部と腰部から伸びており、上半身と下半身の筋肉の働きを助けているのだ。


 「一体、何を考えている」


 エマは、この鬼園部とやらもこんなものかと、やや拍子抜けしていた。


 そのあだ名も道場の中だけ、いわゆる道場剣というやつで実戦にあっては、どこかに消えてしまったのだろうか。そういうことも珍しいことではないのだが、不思議と八重からは恐怖に怯えるような気配が微塵もない、これが妙だった。


 「ならば少し、可愛がってやるか」


 嬲って仕留めるのも悪くはない。


 この美しい剣士を恐怖に戦かせるのも、また一興だ。床の上で可愛がるように奪える限りを奪い尽くし、最後に与える絶頂の中で敗北の味を教えてやる。その絶望に満ちた彼女を、本当に可愛がってやるのもいいかもしれない。


 「屈服させる。必ずこの剣士を屈服させる」


 そう思ってエマが仕掛けようとしたとき、八重がついに動いた。しかし、こちらに仕掛けるでも無く、悠然と脇構えのままエマの間合いに完全に入って来た。間違いなく、あのわずか遠い距離が縮まった。今一度打ち込めばこの勝負は終わる。この好機を逃すような鈍臭さは、彼女になかった。


 「勝った!」


 勝利を確信したエマだが、それと同時にふいに首筋に重い気配を感じた。なんと、いつの間にか八重の佩刀である伯耆高綱の刀身が彼女の首筋にあるではないか。僅かに動かせば、その切っ先三寸で頸動脈を切断できる。


 「何!?」


 エマは、ばっと飛びのいた。一気に冷や汗が吹き出した。


 完全に自分が有利な間合いにあって、全く打ち込みの初動が見えなかった。再び八重が間合いに入るや、すかさずエマは袈裟懸けに一太刀浴びせた。

 だが、繰り出した彼女の太刀は途中で止まった。既に八重の太刀が伸びており、こちらの小手をとらえている。狙いやすいとは言え、またもその初動が見えない。


 「一体何を…?動きは私のほうが遥かに速いはず」


 八重の動きそのものは緩慢でも、エマの動作より先に居る。まるで時間でも止められたかのようだった。エマのそれは確かに速い。装備する甲冑ビキニアーマーの構造が身体反応を向上させるのと、元来の運動神経による技であったが、八重のそれははるかに上を行っていた。


 エマは全く理屈が判らなかった。


 「何が起きている?奴は幻術の類も使うのか?」

 

 これは立会人のナンシーも同じ心境であった。身体の自由度は間違いなく軽装なエマの甲冑ビキニアーマーのほうが有利であるはずだ。


 この八重の初動が読めないのは、腕だけではなく体裁きで刀を扱うためだ。


 腕だけで剣を用いれば、動作の起こりは一点に限定されるため、容易にその軌道を予測して対応できる。

 だが、腕のみならず同時に体全体の捌きを用いるならそれは違う。一撃を繰り出し、相手の返す刃への回避行動までもが一つの拍子で実現できる。根本的に、動作の性質がエマのそれとは異なると言っていい。


 真剣勝負は、常に最小最短の動作で勝敗を決する。


 ただの速度に頼るような剣捌きに、それは存在しない。この理合いはこのように甲冑で身を固め動作が制限される時には、更に無駄な動作を削ぎ落すことになる。この不自由な甲冑という保護の下で、制限されるどころか益々加速する。そこに最小動作で最強最速の一太刀を生み出すのだ。


 このように、一見すると神業のように見える八重の太刀捌きだが、これは旧政府の剣士にとって基礎程度のものでしかない。これを彼女は幼少のころから、父や祖父、その知己たちから教え込まれたものだ。


 「父上の口癖が、よくわかる…」


 これには希子も驚嘆するほかは無い。彼女が父がまだ元帥大将などと呼ばれる遥か昔、旧政府との戦役では旧政府に与した剣士たちの妙技を大いに恐れた。

 父も槍術をよくした人物であったため、連中への尊敬と恐怖から「戦場では断固として腕比べなどを考えてはならない。連中の奥義を見るときは己の死の到来である」と指示するのが常であったという。この原因となった経緯はとして父の体に刻まれているのを、早朝の冷水浴を見たときに彼女は見ていた。


 「届かない…私の剣が、技が通用しない…?」


 エマはこの理合いを見切ることができなかった。不利な条件は、自分にはないはずだという気負いもそうさせていた。ならばここは攻めの一手でしかない、相手が次を繰り出す前に、有効な一撃を放てばよいと彼女は考えた。


 一方で八重はこの最中に手の刀について一つの分析を完了し、ある確信を得ていた。


 「やはり、あの方の差料… でも、一体どうして彼女の手に?」


 朱鞘の白い柄巻に銀の拵、鍔は梅の花の透かし。極めつけは、峯に残る誉傷の数だ。その一振を、八重はよく知っていた。


 というよりも、その持ち主の知己たる剣士にも剣を教わったことがある。そして、その刀がどういう顛末を辿ったのかも知っている。経緯はともかく、八重はエマが手にする一振に込められた第三者の意図を汲んだ。この仕合の勝利することは任務の成功だけではない。


 これは自分が背負うものと向き合い、進むべき道を切り開く試練だ。


 「北の果てまで戦い抜いた貴男と…まさか、こうしてお会いできるとは望外の喜び…!」


 八重は心の中で呟くと、傍目にも彼女の気配が急に変わったことがひしひしと伝わってくる。それは紛れもない、鬼の目覚めであった。

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