第5話「甦る美騎爾」

「甦る美騎爾」(その1)

 「まったく、時山家の別邸もこうなっては風雅も何もあったものではない」


 非公開の別邸でも際立って美しい庭を持つ「春畝しゅんぽ」に、警察官と王室警護官の選抜者がぐるりと護衛しているのを見るとそう思う。


 普段であれば、静かに春の花が咲くばかりの静かな場所であった。


 落ち着いた趣ある別邸内にもその不格好が押し寄せる。


 大合衆国製の移動式の電信装置が持ち込まれており、こんな風景を見ていると特別に風雅の嗜みがあるわけでもない爾子も何だか興ざめする。対戦結果は泰西王国と大合衆国の立会人が確認するだけではなく、即座に各々の関連組織へ電信で報告するための用意であった。


 それら興ざめの原因を手配したのが自分だというのだから、少しばかり罪作りに思えてしまう。こんな気分を変えようと、この電信装置を見て爾子は考える。


 「国家間の通信も可能な今、次はもっと小さくして個人携帯できれば、楽なのだが…」


 それなら電信網を全世界で接続、あるいは無線技術の発達だろうか。

 

 何より情報の街道となるその網を歩くためには、国や言語が違っても通用する万国共通の「標識」たる通信規約が云々と考えつつ、電信装置の導通試験を眺めていた。こういう平素の空想から、千里眼と呼ばれる奇才が発揮されるのであった。よし、空想はここまでと気持ちを任務に戻す。この空想は後日、逓信省の知り合いに話そうと考えていた。


 遂にこの戦いが、当日を迎えた。午前は泰西王国、午後は大合衆国との対戦が予定されている。扶桑之國の立会人、時山少将こと級友の希子。園部八重と月岡伊織も無事に到着している。


 そして、泰西王国から立会人ナンシー・フェルジ大佐と、対戦者のエマ・ジョーンズ伍長も同様であった。既に対戦者たちは、控えの間で身支度を済ませているとのことだった。


 「さて、泰西王国も造園の見事で知られるが、この庭はどう見えるか」

 

 エマ・ジョーンズ伍長も、鬼園部相手にそれなりの見立てをしてきたことだろう。一つ気になるのは、彼女が千代子女史に接触したことを爾子の配下が察知している。 


 女史は旧政府の生き残りで、その人脈の頂点に君臨する彼女に接触して、園部八重の情報を探ったのだろうか。確かに、八重を指導した旧政府の剣士たちは、当然この女史にも面識がある。女史を通して彼らに接触したか。そうだとすれば、短期間ながら技を修得したことも十分にあり得る。


 爾子はこの点について助言しようと、園部八重の控えを訪れた。


 「園部君、失礼する」


 すでにその身は、美騎爾の一領である鈴寿で固められている。やはり、主のある甲冑は何とも表現しがたい覇気がある。八重は腰掛けて、じっと庭先を眺めているようだ。精神統一だろうか。こちらの声に気づいた様子は無い。よほど集中しているのかと、爾子は不思議に思った。


 もう一度声を掛けたとき、慌てて八重が立ち上がって敬礼した。


 「清河大佐、大変申し訳ありません。少し眠っておりました」

 

 なんと、眠っていたというのか。鬼園部ともなると、命のやり取りを目前にしてここまで落ち着いているものかと爾子は驚いた。

 何でも、こういった試合の前はつとめて日常、平時の心地で過ごすらしいのだが、リラックスが過ぎると居眠りしてしまうらしい。

 特訓期間にずいぶん二人の日常風景を見ることもあったが、まさか真面目な性格の鬼園部にこんな癖があるとは知らなかった。


 「この癖、伊織にも笑われるんです」


 何でも、有名な数々の異種試合の前は決まってこんな状態になっているのを、幼なじみである彼女に目撃されているという。

 

 「それは分かるな。居眠りは月岡君の専売特許だと聞いている」


 伊織が得意とする学科中の居眠りならともかく、下手をすれば死地に向かうことになる試合直前のそれは、確かに笑われるだろう。いにしえの剣客が「平時の心で万事に臨む者を達人という」と語り置いたが、まさに鬼園部の心境はそれなのだろう。

 とぼけたような剣士のこの癖に、爾子は自分とは縁遠い武術で培われた精神というものを見るのであった。


 「月岡君とは顔を合わせたかね」

 「はい、控えに入る前に」

 「それだけかね?」

 「はい。この勝負が終わったら、彼女の着付けを手伝うつもりですからその時にまた」


 八重の優しい微笑みに、爾子は鬼園部という言葉やこれからの戦いの気配を忘れてしまう。それも彼女の強さに裏打ちされたものがあるからだろうと思う。

 断じてそれは慢心ではない、強いものは自ら強いと言わない。今日迄、そしてたった今でさえ勝ちや強さといった気負いは言葉に顕れていない。雑念がない、まさにその状態にある。


 「たいしたものだ。既に勝つ覚悟があると見た」


 「覚悟はすべて、この任務を受けるときに二人で済ませました」


 爾子は八重の瞳に、必勝の覚悟と友との絆を見た。ああ、自分の助言は要らない、必ず勝てる。千里眼の清河爾子が言うのだから間違いない。


 「そろそろ、十時ですね。現時刻を以って、作戦行動を開始致します」

 「園部士官候補生、健闘を祈る」


 八重の敬礼は、今度こそ作法通りの美しいそれであった。爾子も敬礼を返した。ここまで真面目に敬礼をしたのは、何時以来だろう。こんなもの、無意味な手信号としか思っていなかったのに、今は彼女に心からの尊敬を送っている。存分にその剣を振るってきてほしい。


 一方で、既に立会人の両名は縁側の将机に腰掛け、先に控えを出たエマ・ジョーンズ伍長に視線を送っている。

 時山少将こと希子は、その異様な装備にやはり目を奪われていた。それ以上に気になることがある。あの鬼園部を相手に、を選ぶということは、どういう意味であるか判っているのだろうか。


 「それ以上に、あの装備から漂う妖気は何だ」


 黒い革の艶と、鉄鋲の銀の光が、その下に見える乙女の柔肌の美しさを際立たせているが、これはきわめて危ない美しさであった。

 一度触れれば、そちら側に持って行かれるようなそんな美しさだ。その美しさを極めてよく知るエマの上官、ナンシーはその仕上がりと必勝を確信した眼差しを向ける。


 「こちらの世界に、踏み込んでもよろしくてよ」


 何となく、希子が感じているものを察した彼女は心の中で呟いた。


 希子が自らこちら側にやってくるのであれば、私はただ迎え入れるだけだと思っていた。さて、鬼園部とやらはどのようなものか。懐中時計を見ると、約束の刻限まで数える程しかない。


 すると、庭先に甲冑の金具が擦れる特有の音が聞こえる。やってきた。案の定、甲冑を装備か。それに体を温める様子も無くやってくるとは、やはり鬼という自負か。庭先に、ついに扶桑之側の闘士が立った。


 ナンシーは即座にその姿をその碧眼に映した。今ここに八重が身につけた美騎爾、鈴寿すずは再び戦場に立った。


 その緋糸威ひいとどおしの鮮やかさは、祭礼で飾られる時より遥かに美しく、この戦場の空気を長い間求めつづけていたように見える。陽光に照らされたそれは、甲冑だけではなく彼女の凛々しい表情と美騎爾から露になる肌を輝かせていた。


 「美しい、なんと美しい」


 ナンシーは時間を止められたかのような錯覚に陥った。それほどに八重の姿は鮮明過ぎた。


 鬼と呼ぶには余りにも美しい。あの甲冑が、更にそれを際立たせている。いつもの悪癖も引っ込んでしまう程の美しさは、己の手に届かないところにあった。あの肌に触れれば、こちらの手が切り落とされるような気さえする。

 そう、あれは決して美を際立たせるものではなく、戦場を知る武具なのだとそこで思い知らされる。この美しさに手を出すことができるのは、同じ戦場に立った者だけ。それは今、彼女ではなくエマ・ジョーンズただ一人であった。 


 「狙うならば甲冑の隙間と胴のみ。しかし、それはこちらも同じ」


 そのエマは、特に感慨もなく八重の装備を眺める。現実主義者である彼女はそんな美に捕われることなく、冷静に分析する。

 自分が身につける甲冑ビキニアーマー、そして相手が装備するそれも同じ弱点がある。おそらく向こうも、同じことを考えているだろう。これ以上の思考は不要、先手必勝で仕掛ける。


 「何という気迫だ」


 希子は見慣れた筈の扶桑八領に初めて畏怖を感じた。園部八重という主を得た鈴寿に、間違いなくあの姫君の伝説の復活を確信する。この光景は美騎爾がここに甦ったと言っていい。


 それはこの庭園の花たちが蕾を開くような、全く静かでありながら力みなぎる生命の輝き。この陽光よりも暖かく柔らかな光でありながら、たばさむ太刀の光のように鋭い。


 そんな力が、この鬼園部と呼ばれる美しき剣士の全身に行き渡るのを傍らからでも感じることができる。

 提げ佩く太刀は最上大業物の伯耆高綱、脇差は七星藤五郎と聞いている。合戦場で昂った馬の嘶きが響くように、太刀が鞘の中で解き放たれる時を待っているように感じられるほどだ。


 「扶桑之國陸軍学校士官候補生、園部八重。お相手いたします」

 「泰平王立陸軍伍長エマ・ジョーンズです」


 八重の一礼に、この作法に則りエマが同じく一礼を返した。余りに美しい二人、装備、このような戦場は扶桑之國にも泰西王国にも、今だかつて存在しなかっただろう。庭先に静寂が広がり、対峙する二人の動作以外に音が消える。


 遂に、二人の戦いが始まる。

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