「時が来りて」(その5)

 対決まで、あと二日。


 立会人の顔合わせを、泰西王国大使館の執務室で行うこととした。泰西王国からの秘密裏に出された要求による決闘だが、立会人同士はその条件を改めて確認する目的もあった。当然、この主催は駐在武官のナンシー・フェルジである。


 扶桑之國の権益没収を大合衆国に宣言させ、求心力低下を懸念した連中が決闘を条件に撤回を検討するというこの展開に、ほとほと我が泰西王国の身勝手さを自嘲する。

 ナンシーは、本国から正式にこの決闘の立会人として指名された。これは、一連の提案に関して彼女の父親が関与していることもあり、当然の流れであった。


 ああ、なんとも身勝手と理不尽の連続。しかし、エマと共に勝利すると誓った自分にとって、そこにもう蟠りを感じることはなかった。今となっては勝利への渇望、此のみが心を満たしている。物思いに耽っていると、ドアをノックする音がした。「大合衆国大使館からです」と、引率の職員の声が聞こえる。まずは大合衆国の立会人が到着か。


 指名したのはマシュー・ハリス海軍准将。自分と同じく駐在武官である。


 海軍らしからぬ色白の面長でウェーブがかった黒髪に、グリーンの瞳が鮮やかだ。非常に寡黙で、じっとこちらを見る様子はまるでオオコウモリのような怪しさがある。この准将が著した「海防」という短い題名の自伝小説は、扶桑之國の海軍将校が全員読んだと言われるほどに流行った。

 

 だがナンシーは、殊の外この海軍将校が甚だ嫌いであった。理由はその外見、自分の婚約者のあの老いた公爵の若き日とだからだ。おまけに声色や口癖までも似ており、先祖が大合衆国建国の折に移住したのかと疑ってしまう。


 だが、ナンシーは通された人物に驚いた。目に入ったのはあの不気味なオオコウモリではない。旧友の外交官、アリサ・スカーレットではないか。


 「あら、大合衆国側の立会人は貴女なの?」

 「ええ、そうよ。指定されたマシュー准将なのだけど、この時期は、にやられて外出もままならないの」

 「ですって?」


 春風邪というのは扶桑之國特有の疾病である。これを発症すると春が終わるまでくしゃみや鼻水が止まらなくなる。酷いものは、目の粘膜や皮膚にも炎症が起こる。これは主に、建材となる樹木が飛ばす花粉によって誘発されるアレルギーとされているが、この樹木が海外では分布が少ないため、


 件のマシュー准将はアリサの言う通り、この症状が甚だ酷いことはで大合衆国大使館の職員たちや従卒たちに知られている。できることなら、代わってやりたいほどにそれは酷い。春先は大使館や勤務先に顔を出すことはなく、自邸に引きこもって執務に当たっているほどだった。


 「ああ、この鼻をもぎとってしまいたいくらいだ!」


 こんな風に言って、滝のような鼻水を流す。そして、呼吸をするかのようにクシャミを連発して一日ぐったりしている。今のところ、季節の過ぎるのを待つしか治療法が無い。

 今回の任務について、文官に代行させることはかなり批判を受けたが、アリサがナンシー・フェルジと旧友ということもあり、今後の扶桑之國の権益返還交渉にあって有利な材料になるだろうと判断し、特例中の特例として依頼した。大変難しい段取りであったが、マシュー准将にすれば、この時期に外出しろというほうが難しいので不満はなかった。


 「なるほどね。それであのオオコウモリは洞窟に引きこもりってところね」

 「ちょっと、よしてよ」


 彼女がマシュー准将を毛嫌いしているのはアリサも承知だったが、流石に冗談が過ぎる。


 後は扶桑之國の立会人を待つのみ。


 指名されているのは扶桑之國側の立会人、時山希子少将だ。今現在、代表二名の特訓を監督中か。いや、時間としては学長としての執務中かいずれでも構わない。ナンシーが彼女を初めて見た日、希子の美貌によって自分以外の美を思い知った。そして嫉妬した。支配したいと思った。それも叶う、この決闘に勝利すれば必ず。必ず屈服させるのだ。


 「失礼します。時山少将が到着なされました」


 引率の職員によるこの段取りは、先ほどと同じ。しかし、流石は元帥大将の娘。入室しての敬礼と短い挨拶で一気に空気が引き締まる。


 ついに再会だ。


 ああ、希子様と呼ばれ士官候補生たちを一瞬で乙女に戻してしまうあの気高い美貌。あの黒髪に瞳、なんと美しい。よもやこんなことを口にすることなく、ナンシーは軍人の作法に則った挨拶を返す。恐らく、その心の声を聞いていたのは旧友のアリサだけだろう。彼女も、以前に極秘に面会していたが、やはり任務中の希子の気配は将官のそれであった。あの時とは別人のように見える。なんと凛々しいことか。


 三人は二日後の試合について話を進めていく。会場は、時山家が保有する非公開の私邸、会場の警護は扶桑之國の警視庁と王室警護官から。無論、彼らはこの三人の「会談」とのみ伝えてあり、中身は知らせていない。


 「その警護が私たちを撃つということは?」


 やはり、ナンシーの一言は泰西王国仕込みの風刺が効いている。アリサは「よしなさい」という無言の制止を視線で送った。


 「天地神明に誓って、この崇高な決闘を妨害する行為は一切を排除しております」


 しかし、希子は毅然と答えた。ああ、こんな一言にもぶれない凛とした表情、その言葉の力強さ、ナンシーは希子の声を聞くだけでゾクゾクしてしまう。やはり、話は決闘ということで、その生命のやり取りに関する部分にも触れていく、文官であるアリサにとっては余りに非日常的な単語が、余りに当然のように交わされ、困惑してしまう。負傷した折の対応、そして何より戦死となった場合の扱いについて、まるでどれも病院の問診に答えるように淡々と反応していく。なるほど戦争というものは、始まってしまえばこういうものかとアリサは思った。一度始まれば、誰にも止められないというのは比喩ではない。


 この流れから、希子は二人に勝敗の判定を尋ねた。


 「戦闘継続が不可能となった場合、敗北とするのが条件で相違ありませんね?」

 「ええ、その通りです。対戦者の死傷だけでなく、装備の全壊も同様の扱いとします」


 なるほど、確かに提示された内容と相違ないと希子は納得した。これで一つ、扶桑之國側の勝利が一歩近づいた。

 装備の全壊というのはあの二領、美騎爾についてはありえない。あとは園部八重と、月岡伊織の粘り次第といったところだ。おそらく彼女たちは、相手の装備全壊を狙うだろう。それまで持ちこたえるだけの実力はあると、この目で確かめている。


 希子の心の動きを察知したのは、やはり同じ軍人のナンシーであったが、それが何か判らないのがもどかしかった。秘策ありと思い、探りを入れようと希子に対戦相手の写真はあるか尋ねた。


 「フェルジ大佐、その前に一つお伺いいたします」

 「どうぞ、時山閣下」

 「貴女が二人を先に撃つということは?」

 「女王陛下に誓い、


 思わぬ希子の意趣返しに、全く怯むところのないナンシーの返しにアリサは流石と言う他は無かった。そして神ではなく女王陛下を選ぶ彼女の忠誠心、これには希子も非礼を詫びて二枚の写真を差し出した。


 「こちらが陸軍学校の士官候補生、園部八重そして同じく月岡伊織です」


 ナンシーはその写真を見て、何か掴めないかと思ったが顔写真以上の情報にはならなかった。あるとすれば装備か。これは当たって見なければわからないなとあきらめた。

 

 「遅れましたが、こちらはエマ・ジョーンズ伍長を選抜致しました」

 

 ナンシーが応じるように彼女の写真を差し出したが、希子の視線の動きや瞳孔の動きは「初見」ではないことを察知した。どうやら向こうは既にこの情報を掴んでいる。現にエマの情報は、自分たちが敢えて流したものだ。


 「相変わらずのやり口ね…」


 如何にも泰西王国の御家芸、アリサは彼女のやり取りから諸々を察する。これを不正とは言うまい、兵法の常道というところだろう。こうなると、正々堂々と候補者のシーラ・ウィルソンを紹介する自分が何だか不思議に思える。


 そしてアリサもまた扶桑之國の代表者を見て、一つ希子に尋ねておきたいことがあった。


 「時山閣下、こちらの園部士官候補生にはあだ名があると聞いております」

 「はい、鬼園部と周囲からは呼ばれております」

 「扶桑之國の鬼には、このような美少女があるのですね」


 アリサの冗談とも真面目とも取れない一言に、希子もナンシーも表情を崩した。美人とは険しい顔をすると、より険しい空気を生むものである。二人の間の空気は鉛のように重かったが、この微笑は嵐の最中に見える晴れ間のように、一瞬だがその張り詰めた空気をほぐした。


 成程、これが大合衆国の外交であり調停者たる由縁かと二人は妙に納得するのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る