「時が来りて」(その4)

 さっきから見せるあの表情は、私にある時の表情だ。


 そう思いながら、ナンシー・フェルジ大佐の従卒エマ・ジョーンズ伍長は彼女の美しい横顔を眺めていた。そして、そろそろ来るぞ。きっと私を名前で呼んでこう言う筈だ。


 「エマ、少し聞きたいことがあるのだけど」


 案の定だった。そのいつものナンシーの一言に、エマはいつもの笑顔で「はい、なんでしょう」と答える。思い当たる節は、いくつもある。扶桑之國の代表を打倒するためだ。この行動を、子供の悪戯と思ってもらっては困るとエマは思っていた。


 しかし、ナンシーのような生っ粋の軍人にすれば、彼女の行動などは子供の煩わしい悪戯に過ぎない。この泰西王国が提案した「決闘」による扶桑之國の権益返還については、自分の父やその仲間たちが画策した忌まわしい存在だ。だが、国王と王室を巻き込んだ以上は勝利を捧げなければならない。


 これを確実にするために、ナンシーは泥を被る事を決めた。


 そして、これ以上連中の勝手にはさせないと誓った。この勝利は自分とエマに実現する。これ以上は本国から余計な口を挟ませなかった。その行動は泰西王国陸軍の伝統たる慎重と熟慮の実践、故にエマの思慮に欠くような独断専行はナンシーからすれば軍規違反も甚だしいといったところだ。近いうちに、諸々の行動を諌めようと思っていた。


 「旧政府の関係者に接触したようだけど、何が目的かしら」

 

 どうやってエマの行動に気づいたか。


 彼女が囲っている陸軍学校の妹たちから、彼女の香水が香ったのがきっかけだ。近頃どうも様子がおかしいので男でも出来たかと踏んでいたが、エマはもっと物凄い関係を持っていたのには驚いた。そこで、どういった経緯でそれに至ったのかを、彼女が最も得意とする方法で聞いた。答えるまで、体は正直に答える。


 エマが旧政府の人間と接触することで懸念されることは、装備や戦闘技術の習熟度が漏洩する可能性が極めて高い。対戦相手の一人である園部八重は旧政府に出仕した家柄だ。当然、この連中が人脈を基に構築した独自の情報網にもその一族の名前がある。敢えてこちらの情報を流して撹乱するかと試みたが、流石は三百年の統治を実現した連中の生き残り。間違いなく、諜報関連の達者も要るようで容易に食いつかなかった。

 接触し山崎千代子、旧政府の重鎮から寵愛を受けた芸妓、この独自の情報網をたどるうちに必ずその名を聞く。それだけ数多くの重要人物と知遇を持つ人物なのだ。彼女を愛した旧政府の権力者、男ども歴史から消えたが彼女は生き延びた。一切の武器を用いず、その人脈と得た情報だけで。


 「なぜ、彼女に接触を?」

 

 千代子に幾らかの愛国心があれば、情報を流す以前にこちらを襲撃する可能性がある。それだけの先兵を揃えることが彼女にはできる。旧政府に出仕した使たちは、間違いなく呼びかけに応えるだろう。流石に相手の数を考えれば、多勢に無勢というものであり作戦は水泡に帰すこととなる。


 「フェルジ大佐、ご安心を。彼女が裏切る気配はありません。女史は私に勝てとおっしゃりました」

 「貴女に勝てと?」


 耳を疑う一言だった。あの女傑は何故、この異国の見ず知らずの小娘を信じたのか。ましてや、我々が奪おうとしているものは、扶桑之國の権益。いわば近代国家として列強に肩を並べる証ではないのかと。


 「はい。私が愛した国はとっくに滅んだと。それゆえ、私に勝てと」


 なるほどと、ナンシーは思った。千代子にある愛国心は、既に失われた旧政府に向けられている。その気持ちは、政府ではなく王室を尊敬するナンシーにも判った。お前たちは国家を統治する代理人に過ぎない。それでエマに託したのだ。おそらくは刀の一振でもともに。幸運にも最大の脅威をこちら側につけた以上、扶桑之國側の脅威はそれ以下にしかならない。万が一の折には、旧政府側の人間を動かす選択肢も増えた。


 まったく、この小悪魔は大した戦果を挙げたとナンシーは感心する。


 「それに、今の技術と装備だけでは、いけませんか?それが理由でも」 


 エマは悪びれる風もなく答える。思いだけでなく、実際に手ほどきまでを受けているとは恐れ入った。エマの格闘技術のセンスなら、習得は容易だろう。そこからくる一種の増長、或いは油断を見て取れるナンシーであったが、内心ここまで成長していたことはうれしく思う。ただ従順で可愛いエマは、もう求める姿ではなかった。これからはこの作戦を完遂する自分の兵卒として、存分にその力を発揮してもらう。


 「しかしクリップの止め方まで、元に戻していたとは流石ね。それに免じて書類の盗み見までは許すわ」


 ナンシーは嘆息した。まったく、この諜報の技術ときたら、一体誰に教わったかといえば自分が仕込んだ。陸軍学校の園部八重と対戦が決まったことは、まだエマに公開していない。そして、時山少将がこの作戦における扶桑之國側の指揮官にして立会人となったことも同様だった。だが、エマの精神と技術の成長に喜んでばかりはいられない。一つばかり諌めるのが今日の目的、お仕置きの時間である。どうしても許しがたいものが、一つだけ残っている。


 「エマ、私のを持ち出すのは少々勝手が過ぎたわね」


 流石は彼女の師、その一連の動作は言葉を発するのとほぼ同時だった。ナンシーはエマが腰に提げる短刀をすかさず逆手で抜きはらうや、胸元めがけて縦に一閃した。ばっと上着の前が開き、エマの上半身が顕わになった。軍服の下にとんでもないものを着込んでいた。鎖帷子でも、防弾ベストでもない奇妙な装備が露わとなった。


 それはまるで、この幼さの残る乙女の柔肌を犯しているような猥雑な魅力があった。それでいて奇妙な気高さが、その細工の確かさから伺える。胸部をわずかに覆うそれは、絡み付く雌雄の蛇のような意匠であり、皮細工が妖艶な光を放っている。また、鉄鋲の光沢も合わさり、まさしく蛇の持つそれに似ている。


 この装備は、西方諸国に古代から伝わる乙女の決闘装束であった。このように身を覆う箇所は上半身と下半身の最小限にしている理由は、暗器などを隠せないようにすることと身体能力を極限まで発揮するためであった。また、同様の意匠で手足を保護しているが、これは折り重なるような編み方でもって身体の保護だけではなく、運動の補助を行う役割があるという。


 「大佐、この装備の能力には、驚きましたよ」


 エマは当初、かと思ったが、噂に聞くその装束と知るや実際に試した。この装備は、いかなる身体動作を阻害せず、まるで自分の肌のように違和感がない。もともと俊敏さには自信があったが、却って自分の想像以上に体がなめらかに動かしてくれる。


 「あらあら、もっとお仕置きが必要なようね。すでにこの甲冑ビキニアーマーの魅力を堪能しているなんて」

 「絵画でしか見たことはありませんでしたが、噂に違わぬ一品です」

 「ところで、装備しているのは上だけということはないでしょう?」

 「それは、ナンシー」


 エマはナンシーの手を取り、ベルトのバックルに当てた。求めるものは、自分で確かめろと言わんばかりの態度だ。小娘め、私を誘惑するつもりかとナンシーは昂った。


 「良いわ。今日はこのままで、可愛がってあげる」

 

 闘志に滾る小悪魔の誘惑に、この美しき軍人は耐え切れず降伏した。これが誰であっても、おそらくは堪えられない。そのまま執務室の隠し部屋へ入り、エマの軍服を脱がすや、その全身が明らかになる。彼女の装備は完璧であった。そして、日がまだ高かったが大いに乱れた。これほどに、エマの体に感動したのは久しぶりだ。初めて肌を重ねた時以来かもしれない。


 この決闘に対する勝利への渇望が、そのままこの肉欲に繋がっている。何度絶頂に至ったか判らない。声など、抑えることなどできなかった。


 唇を重ね、その舌を吸う。甘露に満ちる秘部を愛撫し、あらゆる快楽の限りを求めた。ナンシーが餓える獣のごとく求め、エマは己の肉体をそれに言われるがまま差し出す。


 「この甲冑アーマーは肌と一体どころか、感度そのものも高めるのね」


 ナンシーが先に果てて休む折、そんな風に改めて思った。そして、一つ気になることがある。この装備には、戦いの跡がわずかに残っているのだ。鉄鋲の表面には擦れた跡があり、皮細工にも直した跡がある。よもや、このような情事でつけられたものではあるまい。

 

 「貴女くらいの歳から、私も戦ったのよ」

 

 床の上で、甲冑ビキニアーマーをしげしげと眺めるエマにナンシーはそっと語りかける。すっと近寄り、彼女の柔らかな腹部に頭を寄せる。エマの体温が伝わって来る。


 「同じく決闘をなさったのですか?」

 「ええ、どれも父のくだらない理由よ。鹿ただ一度、友の名誉のために戦った。それが唯一、この甲冑ビキニアーマーと私の誇りかしら」

 

 ナンシーの格闘技術の高さは、王立陸軍学校で学んだだけではない。実戦という裏打ちがあったのだ。故に、それを伝授された自分は一度も「学んだ」連中には遅れを取らなかった。実際、エマのセンスもあるのだが、彼女は今改めてこの上官の恐ろしさを知ったように思った。数えるのも馬鹿らしい?いったいどれだけの決闘を経験したのだ。まして、彼女の父の栄達ぶりを見れば明らかだ。


 「ふふ、この肌に一つでも傷を見たことがある?」

 

 そしてエマの考えを見透かしたようにナンシーは笑う。そう、その数多の決闘で敗北したことはない。遅れをとったことはないと、その鍛え抜かれた白く美しい肌が証明している。自分はいつのまにか、この上官を。女傑を超越したかに思っていたが、それはまだまだ先の未来だということが判った。


 「もう一度この甲冑ビキニアーマーに栄誉を捧げて頂戴」


 エマはナンシーの一言に、無言で頷いた。私を鍛え挙げたこの母に勝利を捧げようと誓った。不思議なものだ。もう本当の母の顔など、おぼろげにしか覚えていないというのに。そこでナンシーはするりと、エマの唇を奪った。最後の接吻は今までにないほど温かく、優しかった。


 「エマ、貴女は本当に綺麗になったわ」

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