「時が来りて」(その2)

 春は扶桑之國ふそうのくにの四季で一番美しい季節だ。


 この花盛りの季節、恩賜公園の中央に建つ戦没者追悼の記念碑でさえ、この柔らかい景色に溶け込んでいるように見える。行き交う人々は、今年の桜について話し合い、足元では鳩が餌を啄んでいる。まったく平和な光景であった。ほんの四十年前に旧政府打倒の抵抗運動が激化する中で、ここは旧政府の陸軍元帥が籠城した古戦場であると覚えているものは、年々減ってきている。


 「ここに名前を刻まれた人を、はっきりと覚えている人たちはどれだけいるのだろう」


 そんな中で、澄んだ青い瞳で記念碑を眺める赤毛の少女が一人あった。


 泰西王国たいせいおうこく大使館で駐在武官のナンシー・フェルジ大佐の護衛を勤めるエマ・ジョーンズ伍長である。彼女はこうした「最期の記録」に触れる度に、自分の生まれ故郷のを思い出す。自分が産まれ育った界隈の人間は、こんな風に名前が遺る最期を迎えることはない。あの香水と白粉の匂い、何より充満する女の匂い。高級などと言われても、売春婦の運命は大して変わらない。それなのに、あそこで出会った人々の名前も顔も、今になってもはっきりと思い出せる。


 「私が戦死したら、フェルジ大佐はを思い出すかしら」


 ふと、エマは考えた。あのナンシー・フェルジに刻まれているのは、軍人としての名前か。あの界隈で育った孤児としての名前か。しかし、感傷に浸るために公園にやってきたのではない。


 人を探しているのだった。そのため、先ほどから散策するていで歩いている。この時期にこの公園によく居るというのだが、どうも見当たらない。さっきからすれ違うものは家族連れ、散策する者、風景画を描く者。エマが目当てとする人物の影も形も無い。やはり、噂は噂かと諦めようとするとそれらしき人物が突如目に入った。はて、さっきそこらを歩いたときは鳩以外見かけなかったが視線の先には、一人の老婆があった。


 歳のころは七十の手前と言ったところで、目印だという紫の巾着に鳩の豆を入れて、手元に提げている。


 「こんにちは、おばあさん。私にも少しいただけますか?」

 「あら可愛いお嬢さん。ええと、何でしょう。鳩の豆ですか?」


 エマが流暢な扶桑之國の言葉で話しかけたため老婆は少し驚いたようだったが、返事には品があった。


 「いいえ。を少しください」 


 老婆ははてなと思った。年相応に耳も遠くなったのだろうか。今、確かにと言った。それを聞くのは久しぶりだ。間違いということもある。念のため聞き返した。こういうことは、たまにある。


 「ごめんなさいね。今は、鳩の豆しか持ってないわよ」

 「ごめんなさい。それではを一つください」


 老婆は、エマの言っていることが冗談ではないと分かった。


 「ちょっと、お時間をよろしいかしら」


 エマは頷くと、この老婆について行くことにした。恩賜公園を出て十分くらい歩くと、新築された洋館が並ぶ住宅地の中に、ぽつんと旧政府時代の建築様式の邸宅があった。よく、あの四十年前の戦火を逃れたものだとエマは思った。


 老婆の正体は、旧政府陸軍の将軍たちから寵愛を受けた芸妓・千代子だ。今は、父方の姓を用いて山崎千代子と名乗っている。エマは彼女の自邸に通され、広い居間に二人は向かい合って座った。

 

 「お嬢さん、名前は聞かないわ。どこで私の話を?」


 今度はエマが驚いた。千代子は我々の泰西語で流暢に話したからだ。


 なるほど、それなりの人間を相手にしてきただけあって、教養はかなりのものがある。これも噂の通りであった。芸妓とは、体ではなく芸を売っているのだと。相手を楽しませるのは、そういった教養に裏打ちされたものであると。容姿が良いのは当たり前というところで、それ以上のものがなければ寵愛というものは無いのだ。


 「詳しくは言えませんが、人づてに」


 よもや自分の上官が囲っている愛人、妹と呼ぶ陸軍学校の乙女たちからとは言いづらかった。聞く方も聞く方で、妹から提示された交換条件で、


 「四十年前に、お嬢さんのようにかわいい泰西王国の御人は見かけなかったわ」

 「それは… ありがとうございます」

 エマも軍人という身分であるが、十代の乙女相応に褒められると紅くなってしまう。それも、美人でしられる伝説的な芸妓からである。そしてどこか自分の産まれ育った場所で共に生きた女性たちを思い出して、懐かしい気持ちにもなる。


 仕事の中身は違うが、女一人が体一つで戦い抜くという姿勢は、何か通じるものがあった。


 「それで、どのような刀をお探しなのかしら」


 エマは扶桑之國の武術などは形骸化したものと信じているが、刀剣に関しては最も信頼に足ると考えている。

 

 千代子は現役の頃、ある特殊能力で座を湧かせるのが得意だった。


 それは、鞘に納まったまま刀の銘を当てるというものだった。そして刀身を見れば十中八九それは外さなかった。これは、彼女の父親が刀鍛冶であったためとも言われているが、よくわからない。刀身を見て当てるならともかく、鞘に納まったままでも当てるというのは一種の神通力のようなものだった。


 そして、千代子の能力を旧政府の将軍たちは面白がった。


 収集していた刀を持ってきては鑑定させて、千代子はこれから料金を取った。おかげさまで、現在の御殿に住むに至っている。現在、この御殿のあちこちにはそんな刀たちが数々眠っている。このエマと千代子が座る居間にも刀掛けが床の間にだけでなく、壁にもある。


 これだけの刀がある理由は簡単だ。旧政府と新政府の戦役で持ち主の多くが戦死したり、戦後に軍事裁判で極刑になったりと、帰る場所を失ったのである。


 千代子はこれを、希望するものがあれば譲ったり貸し与えたりしている。相手に刀が必要な理由は聞かない、刀の役目とは一つしかない。その一つが何であるか聞くのは野暮というというものである。


 故にエマは彼女を尋ねた。西方諸国に伝来する大剣やサーベルなどは、これに比べれば鉄の延べ板だ。しかし、刀剣商を今訪れることは相手に足取りを察知されることになる。ある程度、情報を敢えて流しているが装備に関しては不明にしておきたい。


 「戦場を知る作を一振、見立てて頂ければと思います」

 「そうねえ…」


 千代子は、少し考えると床の間の刀掛けから一振を手に取った。朱鞘に、白の柄。拵は銀という一際目に着くものだった。


 「こちらをどうぞ。無銘ですが、ご要望に叶うものと思いますよ」

 

 この年齢の女性が、楽に持ち運びできるということはそれなりに軽量というのが伺えた。エマは作法に則り、懐紙を咥えて鞘を払う。


 刃紋は幾度も研ぎに出された為か不鮮明だが、刀剣本来の役割を果たしてきたいくつもの誉傷がある。戦場を知らないような、綺麗なだけの刀など役に立たない。しかし、一体どれだけの修羅場をくぐってきたのだろう。血と脂を吸ってきた艶がある。


 「持ち主は旧政府の剣士隊の隊長よ。先の戦争では扶桑之國の北端まで戦い抜いて、そこで戦死したわ」


 持ち主が持ち主ということで、その切れ味は誰もが気になった。そこで死刑執行人、古くは公儀介錯人と呼ばれた役人に切れ味を試させたところ実に五ツ胴、重ねた五つの刑死した罪人の胴体を両断したという。戦場を生き延び、切れ味は衰え知らずであった。しかし、エマは気になったことがあった。


 「どなたかが、これを届けられたのですか?」

 

 持ち主が戦死したというのに、刀がまさかここまで歩いて来るという訳はあるまい。


 「ええ。彼の従卒が私のところまでね。かわいい坊やだったわ」


 この家にある刀は形見というよりも、昔の馴染みの思い出の品なのだ。そこに、その男たちの顔写真も無ければ名前も刻まれていない。それなのに、ありありとその姿も声も浮かんで来る。そしてこの刀を預けた男たちも、彼女を忘れはしなかっただろうとエマは思っていた。


 届けたという従者も、きっとその一人なのではないだろうか。


 「これをお借りしたく思います」


 エマは恭しく答えた。しかし、よく作法に通じたものだと千代子は感心だった。異国の来客者で、ここまで丁寧に刀を扱ったのは彼女が初めてだそして彼女にどうしても一つ聞きたいことがあった。


 「戦う相手は、扶桑之國の剣士かしら?」  


 エマはギョッとした。もしやこの千代子も内通者か、彼女の背景や旧政府支持者であったことを考えればその線はないと考えていた。だが、後に続く言葉はもっとエマを驚かせた。

 

 「もしそうなら、必ず勝利してください」

 「失礼ですが、この国…扶桑之國の威信を損なうことになるかもしれませんよ」


 全く奇妙なことをいうとエマは思った。自国の剣士と戦うというのであれば刀を取り上げるのが筋、愛国心というものでなないのか。


 「構いません。今、ここにあるのはよく似た別の何処かの国ですから」


 貸し与えられた刀を左手に、千代子の一言を胸にしてエマは千代子の自邸を去った。不思議な女性だった。そして、もう一度この女性に会いに行こうと思った。

 

 扶桑之國の威信を打ち砕く、私ならやれる。


 闘争とは何か、それはナンシー・フェルジにもう一つ仕込まれた情交の技に良く似たところがあるとエマは思う。


 如何にして奪うか、そして与えるか。如何に相手を底に落とすか。絶頂に至らせるか。この勘どころとか最中の呼吸はよく似ている。相手が男か女か知らないが、前者などはもっと容易い。


 しかし、後者であれば長々と楽しみたいところがある。そして決闘は私が勝利する。ナンシー・フェルジに仕込まれた軍隊格闘術。そして今、この五ツ胴の刀が左手にある。


 そして、が揃った今ならばと、エマは自信を増長と呼ばれる感情に変えていくのだった。

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