「扶桑八領」(その6)

 八重と伊織の特訓が今日も始まっていた。


 新年度が始まり、時山希子が少将に昇進し陸軍学校の学長に就任した。士官候補生の乙女たちの黄色い悲鳴に溢れた新学期を迎えていたが、二人はそれどころではない。扶桑之國の権益奪還を懸けた仕合に勝利するべく、一分一秒でも多く特訓を重ねておかねばならなかった。そして二領の美騎爾びきに鈴寿すず環那かんなを貸し与えられたあの日から決戦に向けた特訓が開始された。


 八重は異種仕合の中で真剣の立ち合いも経験が幾度もあるし、甲冑を装備した立ち合いの経験もある。しかし、それは例外も例外。伊織は当然ながら未経験ということで、徹底してこれの勘所のようなものを徹底的に仕込むことにした。


 真剣の扱いというのは、どうも竹刀や木刀のそれと似ているようで全く違っている。これの上手といわれる人間が、いざ真剣を用いるとからっきしになることがあった。ひどいときは自分の足を斬ったとか、弾みで味方を傷つけたとか、いくつも例がある。かえって、その逆のほうが真剣を用いたときに強かったりもするので、やはり実戦の剣術というものは剣道とは大いに異なっている。


 第一に、刀は刃物であり用途が異なるということをどうも見落としがちになる。


 真剣を用いるにあたっては、鞘から切っ先から柄の縁までが武器たりえる。この勘所は、時に奥義などとして秘伝されるものであった。こうした秘伝を、八重は旧政府に仕えた古老や剣士から継承している。これを知っていると、やはり木刀や竹刀の試合などは舞踊か健康体操程度のものにしか感じられなくなる。


 この仕合を申し込んできた大合衆国並びに泰西王国側に察知されないように、訓練は時山家の別邸にて行われていた。


 時山邸や別邸は造園の見事さで知られている。希子の父である時山希輔は、元帥大将という堂々たる軍人の頂点であった。しかし、その一方で風雅趣味でも知られ、いくつも別邸がありその造園の妙技を遺している。庭師が手入れに来るのではなく、勉強しに来るというほどであった。そんな幾つかある別邸のうち、一般非公開にしている場所がある。例の陸軍の地下鉄道がここにも伸びているということから、間違いなく何らかの軍事的側面を持つ施設であることは確かだ。しかし、それを聞く勇気は八重と伊織にはなかった。


 そんな別邸だが、庭園はやはり見事だった。


 植木や石は、おそらく扶桑之國の何処にでもあるようなものだった。しかし、誰しもが持つ心の故郷を思わせるのはなぜだろう。

 初めて来た場所でありながら、ずっと昔から知っているような気持ちになる。庭の美しさでいえば、例えば山水の美しさ、古代の哲学や宗教から来る難解さは一切無い。まったく不思議な空間だった。


 そして八重は激しい特訓の合間に、あの元老が遺した庭園の妙に心を癒しながらそう考える。道を極めるに於いて、何か剣に通じる道理を感じる。一方で伊織はこの特訓の合間、憧れの希子様が傍らに居るというだけで、気持ちがさらに引き締まった。そして恋人と常に一緒にいるような心地であった。


 二人の特訓を、縁側で希子が見守っている。


 そして自分も幼少の折は、この庭で父が得意とした槍術の稽古をつけられたものだと思い返していた。この別邸のどこかに、その木槍がしまってあるかもしれない。この別邸は、秘匿すべき事案への対応が必要になった折り用いるように父が遺したものだ。よもや、早速ここを訪れることになるとは父も向こうで驚いているだろう。


 「時山の同伴で補習授業とは熱心ね」


 約束の刻限ぴったりに、この別邸に清河爾子が手土産を持ってやって来た。庭先の二人が気づくが、縁側の希子は「そのまま続けなさい」と合図をした。


 「それにしても、本物そっくりね」 


 八重と伊織が装備しているのは、鈴寿すず環那かんなの模造品。重量や寸法は少しも違わないが、違っているのは装飾や着色を簡略化している。本物は、情報漏洩や敵方による破壊・窃盗を防止するため近衛師団の格納庫に厳重保管してある。もし、その行為に及ぶのならば、近衛師団本営の精鋭中の精鋭が武力で以ってお迎えするという寸法だ。


 「ところで得物は真剣?」

 「いや、得物は刃挽きしてある」


 そして、八重の刀のほうには朱泥がつけてあり、これに触れると朱い跡がつく。伊織の何処を斬ったか、文字通り体に覚え込ませるのだ。斬られるほうは、自ずと躱し方や逆にこちらからの仕掛け方を学ぶことができる。ところでその朱泥の跡だが、伊織の甲冑全身にその跡がある。顔にもついたそれは、汗で流れてしまい舞台役者のくま取りのようになっている。


 「月岡君は、ここでも赤点の記録更新中ってところ…?」

 

 いくら訓練とは言えこれは酷い。やはり、対戦成績だけで実力を判断したのは早計であったかと自嘲した。


 「爾子、確か陸軍学校の頃、白兵戦闘の実技は赤点だったな?」

 「ええ、そうだけど」


 希子が妙な事を言い出した。二人の特訓にかこつけて、自分の失態を笑うつもりだろうか。長身の希子と比べて、爾子は小柄であるのでどうしてもこればかりは彼女に水を開けていた。陸軍学校時代は、散々に木銃や木刀を払い落とされたものだ。


 「月岡君の胴をよく見ろ」

 「えっ? ああ、なるほど…」


 これは驚いた。幾らか八重よりもふっくらしているが、そこではない。朱い跡が、線どころか点の一つも無いではないか。


 美騎爾こと鈴寿と環那の防御力については、矢弾を無効にできる。しかし、その独特な構造上、胴体への防御が皆無となっている。このほか急所となる間接部にもそれらの跡はなかった。顔とて、面当てを用いれば問題あるまい。これを考えれば、伊織の体中についた朱い跡を見れば、防御が有効になっている箇所に留まっている。見事と言うほかは無い。


 「この見落としは、補習室行きかしら時山学長。いえ、時山


 なるほど、これはたいしたものだ。相手は鬼園部、幼なじみ相手とはいえ今回の任務にあって手加減は一切無いはずだ。

 何せ連日のように、警視庁や王室警護館の道場にも現れては、いつにもまして鋭い太刀筋で稽古をつけていく。それも、この特訓の後に。その勢いに乗っている八重の太刀筋を見切れるとは、一体この月岡伊織とは何者だろうか。陸軍学校の学科成績や、八重の証言以外で対戦の記録は無い上に、目立った噂も聞かない。


 いずれにせよ、とんでもない逸材を見つけだしたのは確かであった。


 「いや、月岡君を見出だした千里眼に免じて補習は無しだ清河」 


 爾子はめでたく時山学長より補習なしという評価を得た。そして大佐という単語に、めでたく降格を撤回され元の階級に復帰することを知った。


 「ところで、相手方の動きは?」


 希子は不躾ながら、爾子の手土産を催促してしまった。彼女は諜報部隊という訳ではないが、やけにあちこちから情報を仕入れるのがうまい。どうも、自分と同じような各界の奇才たちと独特の情報網でつながっているようだった。


 「泰西王国は、駐在武官ナンシー・フェルジ大佐の従卒だそうよ」

 「ナンシー・フェルジ!?」


 希子は名前を聞いてゾッとした。彼女の手当たり次第に気に入った乙女を食い散らかす趣味は、扶桑之國陸軍の女性士官にも知られている。

 色目を使われたとか、危うい雰囲気になったとか、相談されたこともある。第一に、近頃は陸軍学校の士官候補生にも手を出しているともっぱらの噂だ。

 そして彼女がどうも、この希子に気があるというのをこの調査の過程で知った。だがこれは、何かものすごく気の毒なので伝えないこととした。

 

 「従卒はエマ・ジョーンズ伍長、年齢は十六歳。どうも彼女が直に採用したようね」

 「ずいぶんと勝手が効く御仁のようだ」

 

 希子はエマ・ジョーンズ伍長の得意とする戦闘は何か想像したが、極力その採用方法や過程は考えないようにした。


 「父は本国で大臣を歴任、将来の旦那は王室に繋がる公爵ときたか…」

 「何でも我が儘し放題ってところよ。彼女、退官後は政界入りしそうね」


 実際、東方連邦のきな臭い動きを抑えるために、帰国後はすぐにでも政界入りするだろうと爾子は踏んでいる。


 「大合衆国のほうは?」

 「こちらは現在候補乱立中で、選挙でもするんじゃないかしら」


 泰西王国の代表はナンシー・フェルジの一存で決まったようだが、大合衆国側は駐在武官のマシュー・ハリス准将が秘密裏に募集したものの、我こそはと思う連中が挙って立候補しており、大まじめに選抜しているという。如何にもあの国らしいというか、するらしい。


 「いよいよだな…」

 「ええ」


 これで、時山少将と清河大佐による作戦はいよいよ最終局面を迎える。二人が大合衆国と泰西王国の連合軍を迎え撃つのは、いよいよ三日後である。にわかに、これが現実のように思えてきた。これまであちこちに奔走した二人が、ようやく現実に立ち返る時間を迎えていた。二人の眼差しの先には、溌剌とした八重と伊織があった。


 「腕じゃない、体で振るの!」という八重の超えとともに、伊織の繰り出した太刀を弾く、或る時は「相手の剣は受けない!すぐに離れるか押し斬る!もたついたら組まれるわよ!」と組み討ちに持ち込んでいく。


 そんな八重の声が庭先に響く。声こそ荒いが、これほど慈悲に満ちた鬼が居るかと言うほど優しく、伊織はその指導に答えて一分ごとに上達するような勢いであった。美しい光景であった。


 数百年の時を経て、美騎爾の戦士が復活するのを見届けたいと希子と爾子は思った。この戦いの勝利とともに。

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