「扶桑八領」(その5)

 扶桑八領のうち「美騎爾びきに」と呼ばれる「鈴寿すず」と「環那かんな」の由緒は、扶桑之國を三百年あまり統治した旧政府以前の時代にある。


 この時代の甲冑を「当世具足」と呼び、この国で甲冑といえばほぼこれを指す。その構成は頭部から兜、胴、袖に加え、面頬、籠手、佩楯、臑当となる。鈴寿すず緋糸威ひいとどおし環那かんな紺糸威こんいとどおし、色彩の見事はもとより、装飾の細密さが他の具足などとは比較にならない。高い次元で様式と実用の美を両立、そして女性用の具足という希少性から扶桑八領ふそうのはちりょうに数えられるだけのことはある。


 そして、そんな二領で特に印象的なのは、胴と佩楯の造りだった。これは、やはり他に例がない。


 第一に胴を護るはずのそれは、鈴寿すずは板札の一枚造り。環那かんなは小札を重ねてある。そして、佩楯はいずれも太ももを覆う程度。真ん中が独立しており、これが極端に短く小さい。まるで下帯のようではないか。急所を守るはずの甲冑が胴を露出させ、下半身も一部のみを覆うだけとは一体どういうことだろうか。


 八重と伊織は肌を露にする気恥ずかしさよりも、この欠陥品のようなを我々に貸し与えられたのかが謎だった。しかし、爾子は滔々と解説を続ける。だが、先ほどから二人の表情の言いたいことはわかっているようだった。


 「二人の姫君は、自分たちの領国が周辺国に謀反の意はないと誠意を顕すために、この様式を用いた」

 

 美騎爾と呼ばれるこの様式だが、これは太古に東の大陸から伝来した。神々からの加護を賜る祭礼の衣装として、乙女の司祭が用いたという。原始、女性は太陽に等しい尊い存在であり、その姿を人々は平和の象徴とした。してこの様式を、戦乱の象徴たる当世具足に反映させた。なるほど、長く遺るような平和の象徴を知らしめることは周囲への有効な主張となった。その神話と新たな象徴によって謀反の疑いは晴れたが、私欲に駆られた周辺国の主戦派が連合となって攻め込んできた。


 この時代は盟約の血判状が雑紙程度の意義しかなく、偽の勅すら出回るほどだ。相手が姫君ということを良いことに、攻め掛かれば攻略できるという、処女を力付くで凌辱するにも等しい下劣な行動だった。だが、さすがは気性激しい南扶桑のお家に生まれた姫君である。純真と誠意を踏みにじられて烈火の如く激怒し、その平和の象徴を自らが着用して戦ったという。


 「平和と調和を蔑ろにする者は断じて許さぬ。我等二人、神々の代理となって一人残らず成敗する」


 それほど強く二人は平和を望んでいた。戦で傷つくのはお家だけではない、最初に傷つくのは領民だ。だからこそ、その優しさの触れ幅のようなものが、そのままこの怒りの触れ幅に置換されたのだ。


 意気込んだ二人は美騎爾に身を固め長刀を携えて、颯爽と戦場に現れた。乙女が柔肌を晒して戦う様に驚くよりも、二人の卓越した長刀の技に圧倒された。敵兵は、世にかくも美しき鬼があるのかという恍惚と恐怖を抱きながら討たれるのだった。鈴寿は長刀を折られると敵兵の太刀を分捕って斬り合うこと五度、いずれも敵将を討ち取った。環那は揺れる騎上にあって、動かぬ的を狙うごとき正確さで敵を射抜き、一本の矢で五人を射止める剛弓だったという。


 そして、その武勇から二人の名がこの美騎爾と呼ばれる甲冑に付けられたのだ。


 「清河中佐、この二領の由来は十分に理解しました。どのような能力があるというのでしょうか…?」


 八重の一言に、伊織もこくりと頷いていた。一方で解説をしていた爾子はと、仕方なく解説を休憩することとした。


 「端的に言おう。一種の霊力というか、神通力がある。矢玉を弾き、打撃や斬撃による威力を軽減させる」

 「お言葉ですが、それは神話の…」

 「園部君、それは私と清河中佐の配下で実証している」

 「じ、実証…!?」


 これには八重のみならずイオリも驚いた。清河中佐はこの美騎爾の伝書を調べるうち、あることに着目していた。それは、この甲冑を用いた御前の時代はすでに火縄銃が用いられているが、御前が負傷した記録がどの文献にもないことだ。敵方の記録にも「我々の弓鉄砲は悉く無力となり」という信じがたい言葉を見つけた。こうした合戦記録は、自身の敗北を正当化するために相手方を大きく見せるのが常だが、味方側の記録にも「敵の弓鉄砲が当たっても、姫様の堂々たる姿と槍働きを畏れ無力となる」と、やはり信じがたい記録があるのだ。


 それを知った後、王城の宝物殿から具足櫃を運ぼうとしたところ、誤って立てかけてあった槍を何本か倒したのだが、まるで櫃を裂けるように倒れた。これに、よもやと思って初めは弓矢、装薬を弱めた火縄銃で実証を始めると、やはりこの櫃を避けるような現象が再現された。その後、中身の本体に対してはどの口径の拳銃弾や小銃弾もこれは、夢ではない。この格納庫を所有する近衛師団付きの兵器開発部隊も、同席した希子も目を丸くした。


 「一応、この美騎爾びきにを打ち破るとすれば、防御の薄い間接などを狙う他はない。より高度な、たとえば介者剣術のような技術が必要だ。さて園部君。いや鬼園部、これを着て恐れることは何かあるかな?」


 爾子は自信に満ちた表情で八重に微笑む。奇才、千里眼、いろいろな言葉が八重に浮かぶが、こんな作戦をよく立案したものだ。そしてよく実現させた。


 「この美騎爾と同等の性能を有する防具は、大合衆国はおろか決闘を提案した泰西王国にも存在していない。だが、この防具に頼りすぎれば必ずが生じる。相手はそれを見逃さないはずだ」


 希子の一言に改めて、八重と伊織は気持ちが引き締まった。これだけの装備を自由に、そしてこの伝説の防具があれば確かに勝てる。だが、決して油断はできない。決闘という時代錯誤の形式を提示する以上、相手の技量は我々の想像を超えたものであるはずだ。

 

 二人は改めて、鈴寿すず環那かんなを見る。古の姫君たちは、どんな気持ちでこの甲冑を身につけたのだろう。自分たちが直面した困難にどう立ち向かったのだろう。そんな気持ちが沸き上がって来る。そして、この美騎爾にのは自分たちであるという、戦いとは別の覚悟が芽生えつつあった。

  

 「清河中佐、一つ質問があります。それだけの能力を一体どういった原理で実現しているのでしょう」


 伊織は率直な質問を投げた。しかし、その通りである。例の独特な意匠を除いては、構造自体やはり具足のそれである。


 「言っただろう?今の扶桑之國の科学力でこの原理は解明できない」


 できるとすれば、科学の進展が必須だ。たとえば大合衆国くらいの「規模」か、あるいは東方連邦くらいの「精度」があれば、解明できるかもしれないと爾子は答えた。やはり、どちらの例を見ても今は解明できないというのが、よくわかった。こればかりは、遥か及ばずであった。 


 「太古に東の大陸から伝来したとのことですが、元となったそれは現存しているのでしょうか?」

 

 この八重の質問に爾子は、待っていましたと言わんばかりに先ほど中断した解説を再開するのだった。


 「この美騎爾についてだが、東の大陸に三領の存在を確認している。これは現在隠遁中の皇帝とその一族が保有しており、外部に流出した形跡はない」


 東の大陸に現存三領とは、三つの王朝によってその覇権を争っていた時代に用いられたものだ。当時は各々の王朝で名を馳せた三人の女将軍が好んでこれを用いて、数々の武功を挙げたという。あの甲冑を身につけた乙女は、龍を凌ぐ力を身につけると伝えられる。


 その時代の扶桑之國だが、ようやく鉄器による稲作が始まり占星術を用いる女性を長とした統治国家が、現在の南扶桑に登場したばかりだった。


 この三つの王朝からの遣いが三度、この南扶桑へやって来た。これが伝来の背景である。この折にその長に美騎爾を一領贈り、長は祭礼に用いた。そして、鈴寿すず環那かんなという二人の御前は、その長の末裔に当たるという。この一領の伝承の多くに、この鈴寿すず環那かんなに似た箇所があるので、同等以上の能力を保有していると想定される。また、その製法について長らく不明であったが、どうも用いた金属が「外の世界」から来たものとされている。


 美騎爾に用いる金属は、星が降るときに採取されたというのが、東の大陸の碑文やその拓本をたどるうちに分かった。外の世界がどこか解らないが、いずれにせよ我々が一般的に知る金属ではないのは確かだ。


 「これはまだ憶測でしかないが、その経緯を考えればこの原点となった一領の金属を用いたと考えている」


 あとは国史編纂所なり、兵器開発部隊の研究結果を待つというのが爾子の意見だった。いったい、いつになるか解らないが。


 「しかし、部分でこれだけの性能となるなら、はどれ程か。もし、大合衆国や泰西王国が奪取していたとすれば」


 八重はそう考えて身震いした。


 古代の東の大陸は、それこそ扶桑之國の群雄割拠の時代を凌ぐ戦乱と闘争の歴史だ。戦の規模、殊に兵員の数などは文字通り桁が違う。そこで一人の女将軍が名を残すのだ。信じられないことである。一方で、伊織も神妙な顔つきをしているのに八重は気づいた。


 「やはり思うところは同じか」

 

 八重はそう思ったが、伊織のそれはもう少し身近な心配のほうの心配であったようだ。


 「少し、甘いもの控えようかな」


 確かに、この美騎爾を装備するにあたってのゴマカシは効かない。そして、自分の神経とともに最近少し太くなった気がするからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る