「扶桑八領」(その2)

 「月岡君、しっかりしたまえ。月岡君!」


 この呼び声に月岡伊織は視界が明るくなるのと、身体の自由を再び感じるようになった。呼び声は清河中佐の声でも、八重の声でもない。誰の声だろうと思えば明るくなった視界に、憧れの希子様が立っているではないか。夢を見ているのだろうか。いや、夢ではない。自分が買い求めた甘味処「穂のか」の「蒸かし」を包んだ新聞紙が卓に置いてある。これは夢ではない。


 「あなた、気を失ってたのよ」


 聞き覚えのある声、八重の声だった。なんと、自分は希子様と対面した感動で気絶していたのだという。憧れの人となんとも恥ずかしい対面となってしまった。


 「も、申し訳ありませんでした」


 伊織は恥ずかしさのあまり、顔を赤らめて非礼を詫びた。希子も相棒の爾子も、こんなに純真な娘を見たのは久々だった。なんとも面白い士官候補生があったものだ。妹あるいは娘を見るような、どうにも母性本能のようなものを刺激されるタイプだ。


 「さて、仕切り直して本題に入ろう。話すことは他言無用、となる」


 希子も爾子も将来の将校としての雰囲気を取り戻しており、その本題というのが如何なるものかが伊織にも八重にも分かった。これだけの秘密を、我々に共有する意図は何だろうか。

 

 八重も伊織も、希子の話に呆然とした。大合衆国の声明以上の難題を、あの泰西王国が扶桑之國へ突きつけているとは予想すらしなかった。例えば、伊織が甘味処「穂のか」から持ち帰った「蒸かし」を包んでいた新聞紙に書かれた勇ましい見出しなど、本当にいい加減だと思った。そして伊織は、希子様に出会ったことよりも、こちらのほうが夢なのではないかという気持ちになっている。


 「代表者による決闘で決着させるとは、随分な内容ですね」


 八重は俄に信じがたい内容ではあったが、落ち着きを取り戻していた。


 連盟結成まで西方諸国では、この方式で諸侯が土地争いなどの是非を決したと古老から聞いたことがある。諸侯中には、この決闘のために名のある闘士を国外から呼び寄せるということもあったという。そして古老によれば、


 西方諸国は、国家間の戦争の規模こそ小さくしていったが、地政学的に闘争そのものを放棄することが出来なかった歴史を八重は納得する。そして、希子が自分に演武を所望した理由が分かった。突如、就任前の時期学長が来校するとは、


 「ところで時山大佐、得物はでしょうか」

 

 自然と出たこんな八重の一言に希子は「話が早い」と、そのまま話を進めることにした。流石は鬼園部、その家系が旧政府でも屈指の剣士を輩出した家柄でもあり、指導者でもあった。白刃の下に自分の命を晒す覚悟は、とうにできているものと瞳を見ればわかる。


 「真剣で構わない。得物については、個人が携行できるものとのみ規定されている」


 なるほど、研ぎに出していた大小が仕上がっているかと八重は考えた。


 それと予備のそれを選ばなくてはならない。極力堅牢な作りの刀を探さねばなるまい。刀剣が実用の美を失って久しく、現在鍛えられたそれでは不十分だ。なにより問題は「人を斬る」という覚悟であった。当然だが、そればかりは経験がない。それとも、斬らずに勝てるか。思考は徐々に緊張に縛られていった。


 「そしてこの仕合、間違いなく異種仕合になる。園部君は既にわかっていると思うが、その点も考慮して我々は君を代表として選抜した」


 なるほど、となると警視庁の面々や王室警護官から選別はできないだろう。なぜなら、保安上の理由から技術が漏洩しないように他流試合を禁止している。このため、異種相手の仕合は不得手という思わぬ弱点がある。その点、八重ことときたら相手の得物に関わらず数多の仕合を経験している。それも、無敗という途方もない記録を残している。


 ところで、こうした陸軍の動きに対してやはり海軍からの物言いもついたらしい。

 

 希子たちの代表者探しに、やはり海軍が「陸軍の独断専行は許しがたい」と首を突っ込んできた。海と浜辺がそうであるように、は向かい合いはしても、絶対に混じり合わない。しかし、不運にも名うての剣士たちが遠洋警備の最中であり、次の帰航が五月の半ばということで時期を逸することとなる。内地にある名手は今のところ柔術だけで、やはり得物相手には遅れを取るということで話は流れた。


 話は淡々と流れていく。実際の戦争というものは、開戦が決まればこういうものかと八重は思った。


 一方で伊織は気が気でなかった。


 幼馴染みがいくら強かろうと、これから出る場所は道場でも野良仕合でもない。戦場なのだと理解している。待っているのは勝敗ではなく生死だ。まったく違う場所に赴こうとしているのだ。敗れば戦死通達がとも思ったが、厳秘扱いというならこの戦闘の顛末は一切明かされないのだろう。それくらいのことは、単純な伊織でも薄々感じていた。


 「八重さん、簡単に聞いてるけどいいの…?」


 伊織は何か助けになってやりたいと思っていたが、自分になにもできない。このもどかしさの中で、この軍隊という組織が戦闘に向かう前のやり取りを体験していた。昨日まで、落第士官候補生などと、女学生のような気分でいたことが夢のように思えてきた。 


 「対戦者は二名を選抜とある。そしてもう一人は月岡君、我々は君を選んだ」


 八重を案ずる伊織に、希子から意外な言葉が飛んできた。誰を選んだ?月岡?伊織はキョトンとしてしまった。


 「二人とも待ってください!それはいくらなんでも無理です!」


 その一言に八重は声を荒げてしまった。無理にもほどがある。確かに伊織は体力や運動神経は優れているが、真剣での斬り合いはおろか異種仕合だって経験がない。


 「理由は簡単だ。園部君の対戦成績で、唯一引き分けにしているのは月岡君の他はいない。これによって、月岡君にも十分資質があるものと判断させてもらった」


 伊織のいう体力を目の当たりにした清河中佐こと爾子が、その理由を説明した。 陸軍学校内の紅白対抗戦や、白兵戦の実技でも唯一この鬼園部に勝利させなかったのは、月岡伊織の他はなかった。鬼園部が海内無双とか扶桑第一と呼ばれるならば、この成績を見れば扶桑第二は自ずと伊織ということになる。


 伊織も、言われてみれば勝ったことは無いが負けたこともない。特に意識して考えたこともなかった。この幼馴染みの強さと、剣を振るう美しい姿をずっと見ていたいということの他は。


 「そんな、あまりに横暴が過ぎます!」


 八重の動揺はおさまらなかった。「伊織頼む、一言何か言ってくれ」と心の中で懇願した。しかし、伊織は何か言いたそうにしながら、沈黙してしまった。無理もない、すぐに返答できるようなものではない。

 

 「園部君、わかっている。職権濫用、勝手な決定だと言えばその通りだ。だが、君たちを除いて今のところこの難題に対応できる者はいない」


 希子とて、心苦しかった。


 自分がしていることは、国家間の揉め事を「将来の防人」に押し付けていることに他ならない。いったい、元老の娘として何をしてきたのか。この決断は過ちではないかと、昨日も夜を徹して考えていた。このような事をしておきながら、もうじき将来の防人を育成する学長になるとは、一体なんという運命の仕打ちだろうか。


 「この仕合で勝利すれば園部君は卒業時の階級を近衛大尉、配属先は近衛師団の第一連隊へ。月岡君は卒業単位取得免除と、近衛少尉を約束する。また政府からの褒賞金がある。内容は書面を確認してくれ」


 成果報酬の書類を差し出す爾子とて、希子と同じ思いであった。


 自分でこんなことを説明して虚しくなる。、十代の乙女を死地に送り出すというのか。旧態依然の「凶器」としての軍隊の仕事と大差ないではないか。だが、いやしくも二人は扶桑之國の将校である。八重や伊織と違って、候補生である時代は過去。今は冷静にこの命令を受けるかどうか、この二人に委ねなければならない。


 考えても見れば、ここに居る将来の防人二人も、将校の二人も戦争というものを経験するのは、これが初めてとなる。それも、この戦争は誰にも認知されることはない、まことに不思議な性質を持っていた。その勝敗に、国家の威信が懸かっているというのに。


 「今日ここで直ぐにというのも難しいだろう。明日の正午に、陸軍省の庁舎へ返事を持ってきてほしい」


 希子がそう言い終えると、すこしの沈黙があり八重と伊織は返事をした。明日の正午、二人の本当の返事がやって来る。これを受けとるには、希子も爾子も彼女たち以上の覚悟をしなければならないと思った。この戦いは必ず勝つ、そして二人を生還させると。

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